《一言半句》パンデミックとの戦いから丸3年ーコロナ下で希望は見えたか
覚えているだろうか。3年前の2020年3月31日。北日本新聞朝刊1面トップニュースは「新型コロナ県内初確認 富山の20代女性が感染か」。準トップは「五輪来年7月23日開幕、日本側とIOC合意」。真ん中には「チューリップフェア、チンドンコンクールも中止」。
新型コロナウイルスの感染者が出たため、激震が走り、相次いで大型イベントの中止が決まった。たった1人の感染者の出現が県内の空気を一変させ、県民は怯(おび)え、ウイルスは姿形を隠した妖怪のようだった。
これより2か月半前の1月16日、厚生労働省は「国内で初の感染者を確認した」と発表。感染が全国に拡大する中、3月末まで富山県は感染者が出ない数少ない県だった。「ひょっとして、霊峰立山・大権現のお陰でコロナから守られているのでは…」と、まことしやかに語る人がいたし、2月に入ると、感染者が近くの某レストランに立ち寄ったらしい等々、あちこちでデマとも思える情報が飛び交い、異様な雰囲気に包まれていたことを思い起こす。
その2月末に友人から、予定していた叙勲祝賀会延期の案内が届いた。その後、「コロナの年内終息の目途が立たない」と「中止」の案内状に変わった。記念品と式次第、出席者一覧も同封してあった。さぞかし残念だろうと電話したが、本人はさばさばしていた。得体のしれないコロナウイルスは大きな祭りやイベントに限らず、コンサートや展覧会、講演会、各種団体の総会と懇親会の中止や延期、さらには飲食店の閉鎖、倒産に追い込んだ。同時に失業者や生活困窮者が急増し、職や生活資金の緊急融資を求め、ハローワークや市町村社会福祉協議会の窓口に殺到した。
一方、県民の暮らしと地域に目を向ければ、地域活動に大きな変化があった。コロナ襲来直前の1月、運悪くというか、私は小さな町内会の会長に就いた。町内の道路や農道、農業用排水路などインフラの点検と用排水路の泥上げ、地区内の安全パトロールなどが続いた。
判断に迷ったのが春の例大祭と獅子舞の可否だった。中止となれば前代未聞だろう。主役の青年団、宮総代と宮方、町内会役員が集まり、協議した。「各班長宅だけでも」「いや獅子の胴幕(どうまく)に入ると、密閉状態で危険だ」…。侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が続いた。結論は安全第一。獅子舞を諦め、祭りの神事のみ執り行うことに。苦渋の選択だったが、「来年こそ」と悔やむ若者たちの表情が忘れられない。
苦渋と言えば、1人暮らし高齢者や障害者などの見守り、相談役を務める民生委員も同じだ。自宅訪問し、「面接と対話」という日常の命綱が一時、奪われた。その分、電話で凌いだという。昨年、民生委員だけに任せず、みんなで地域を見守り、声掛けの「ふくしサポーター制度」が新たに生まれた。コロナ下の〝福音〟のようだった。そして今春、縮小するも3年ぶりに獅子舞の開催が決まった。
コロナは収束に向かい、地域は元気を取り戻すか。それとも衰退か。息苦しい日常生活の中から、小さくとも何か希望を見出したと言える3年間だった、と信じたい。
(S)