揺らぐサムスン共和国:脱中国に動くサムスンSDIのバッテリー事業(1)
国士舘大学経営学部客員教授 石田 賢
米中貿易摩擦が顕在化する現在、韓国のバッテリー事業は大きな影響を受けている。急激な事業環境の変化に、韓国バッテリー業界及びサムスンSDIがどのように対応しようとしているのか、これをテーマに3回連続で報告する。
まず米中対立の経緯をみると、2017年米国にトランプ政権が成立した時、中国の関税問題に端を発して米中関係が緊張したことに始まる。続く2021年にバイデン政権が誕生すると、米中間の貿易問題は後退したものの、中国を重大な競争相手と位置付けたうえで、自由と民主主義の価値観、軍事安全保障、先端技術など広範囲な問題に発展し、民主主義VS専制主義の対立として顕在化していく。
グローバル経済を基調とした1990年代から30年間は、企業が世界市場を面的に捉え、採算性を最も重視して、生産拠点や物流ネットワークなどを築くことに専念できた期間であった。
しかし2020年以降、米中対立が悪化しつつある現在、アメリカ・ファーストに代表されるように自国第一主義の政策が次々と打ち出され、企業は政策変化への対応を余儀なくされており、世界市場の分断による生産拠点の見直し、サプライチェーンの再構築などを迫られ、コスト上昇が避けられない事態となっている。
本稿のテーマであるバッテリーについて、米国政府の動きを見ると、2021年8月、米国連邦議会上院が「インフレ削減法案(IRA)」を可決したことから、米国のエコ政策は、エネルギー転換と再生可能エネルギーを促進するという施策を実行する段階に入った。
同法により、米国で販売される電気自動車(以下EVと略)は、米国内における生産にとどまらず、EVに使用される部品の調達先の制約、さらにはバッテリーに使用される素材の調達先にも制約が加えられることとなった。IRAの具体的な内容を図表1に示す。

図表1「インフレ削減法案(IRA)」の具体的な内容
資料 : 各種資料より作成
IRAは重要鉱物の調達先として、脱中国を徹底していくことが米国にとって戦略上の最優先課題であることを宣言したことになり、米国EV市場に参入するには、この政策を受け入れる以外にない。
だがこれを短期間に達成するのは、GMなど自動車メーカーはじめ至難との議論が百出している。IRAの補助金を受けるには、完成車の北米生産を前提とするだけでなく、車載用電池の部品の生産も一定割合以上北米でなければ、支援を受けられない。
世界最大のレアアース(レアメタルの一部の17種、レアアースを中国は国家戦略備蓄資源に指定)産出国である中国は、輸出規制や輸出税など管理を強化してきたが、2015年以降、世界貿易機関(WTO)の勧告によりそれらを廃止及び撤廃してきた。なお、米国地質調査所の2020年データによると、レアアース産出量の58%を中国が占めている。
ところがバッテリーの主要原料レアメタルに関しては、中国は川上から川下まで供給網を独占しつつある(図表2)。オーストラリア、アフリカ、南米などで採掘された鉱石は、中国の大規模精錬工場に運ばれて製品化されており、EVの製造全体に権益を張り巡らしている。

図表2 中国のレアメタル戦略の経緯
資料:経済産業省及び現地報道より作成
中国で精錬されたレアメタルもIRAは規制の対象としているため、規制が本格化したとき、企業の対応は困難を極める。リチウム(Li)、マンガン(Mn)などのレアメタルは、EV用バッテリーの要であるリチウムイオン電池の生産に欠かせない。
資源大国である中国を前に、韓国は微妙な立ち位置にある。
韓国はソビエト連邦が崩壊した1991年以降、冷戦構造が氷解したことで、中国との関係正常化に動き、韓国産業界は巨大な市場を持つ中国経済、しかも資源大国である中国に深く入り込むことで成長の機会を捉えてきた。
このとき米国と韓国の関係は、北朝鮮との緊張関係から軍事費がGDPの2.78%(2021年実績)と高いものの、基本的には米国による安全保障を頼りにすることで良好な関係を築き、韓国は経済に専念できる環境を享受してきた。
米中のバランスの中で発展してきた韓国経済は、ほぼ30年間、経済効率を重視した政策を追求することができた。米中対立が激しくなったここ数年、韓国は米中の強烈な自国第一主義に翻弄され、板挟み状態に陥っている。米中それぞれの戦略の狭間で、どのような解決策を見出していくのか、韓国バッテリー業界を代表する3社(LGエネルギーソリューション、SK On、サムスンSDI)は重大な岐路に立たされている。