《一言半句》「平和な景色」守ろうーサッカー、ウクライナ、中東、日本は⋯

 昨年末、サッカーのワールドカップ(W杯)で日本中が沸き返った。日本国民が一つになり、平和な日本を実感した。優勝経験のあるドイツ、スペインを撃破し、続投が決まった森保一監督は4年後を見据え、「新しい景色が見えた」と意気込みを語った。

 新しい景色という言葉を聞き、なぜか思いをウクライナに馳せた。新年を迎え、なおロシアの攻撃が続き、大勢の市民が毎日亡くなっている。厳冬期の中、暖房もままならない多くのウクライナ国民もいる。ロシアによる電力インフラ攻撃で深刻な電力不足のため、氷点下の極寒にさらされている。戦場となった街や畑、道路に砲弾が突き刺され、不気味な穴があちこちにある。

 報道によれば、作業兵らが道路に埋まった地雷を除去するため、凍った地面から掘り起こしているそうだ。地平線まで続く小麦畑にも無数に埋まっており、農民は畑に入れない。今年の収穫はないと悲嘆にくれる。

 地雷が埋まった無数の穴と言えば、1995年10月、取材で訪れた中東のゴラン高原を思い出す。元々ここはシリアの領土だったが、イスラエルが突然、侵略し、占拠した。国連は国境付近に有刺鉄線を張り、30キロメートルに及ぶ非武装地帯を設けた。「地雷注意」の看板が立ち、野戦砲が放置されていた。遥か高原を望むと、イスラエル兵が立ち、不気味な世界が広がっていた。

 かつてのゴラン高原は緑と水に恵まれた肥沃な土地。シリアの農民ら13万人が暮らしていたが、イスラエルが長年のアラブ諸国との中東戦争で奪ったのだ。中東を訪れた頃、日本の自衛隊の国連平和維持活動(PKO)の派遣が決まり、ゴラン高原が注目を集めていた。だが、その後、ゴラン高原の領土交渉や返還のニュースは皆無である。

 中東問題と言えば、イスラエルとパレスチナ自治区との交渉も膠着状態だ。1993年、当事国のイスラエルとパレスチナの間で「ヨルダン川西岸とガザ地区でパレスチナ暫定自治区を認める」と合意した。米国のクリントン大統領の立ち会いの下、イスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファト議長が握手し、和平が進展したかに見えた。

 その後、ラビン首相が和平に反対する同胞の青年に暗殺され、アラファト議長も後に死亡し、和平を巡る動きが途絶え、現在も戦争状態。つまり、「戦中」なのだ。

 かつて聖地を追われ、虐待されたユダヤ人。第2次世界大戦後、世界中から集まったユダヤ人がイスラエルを建国する一方、生活の根を張っていたパレスチナ人が追われ、難民化した。第1次、第2次世界大戦を経て、中東諸国は西欧諸国の覇権主義に伴い、分断が進んだ。大国の犠牲者である。

 ロシアとウクライナの戦争も両国の歴史や文化、宗教、ことにロシア正教圏での教会の分裂と冷戦崩壊後の政治が背景にある。ロシアのウクライナ侵攻後、識者らは終戦まで「2、3年」、「いや10年を要する」等々、予測した。一旦、武力を行使すると、いつ終わるとも知れないのが戦争。日本が仕掛けた旧満州(中国)への侵略や太平洋戦争が証明している。

 不戦を誓った日本は今年「戦後78年」を迎える。二度と「戦前」、「戦中」に後戻りすることなく、「平和な景色」を守りたい。

(S)