《一言半句》国会論戦「失われた10年」ー野田元首相の追悼演説

 2012(平成24)年11月4日、衆議院第1委員会室でのこんなやりとりから日本が変わった。「今週末の16日に解散をしていいと思っています」(野田)、「民主党というのは改めて思いつきのポピュリスト政党ですね」(安倍)、「明快な答えを頂いていない。16日に解散をします。やりましょう」(野田)、「おおー」(議場)、「16日に選挙をする。約束ですね。よろしいんですね。よろしいんですね」(安倍)。

 かつての民主党党首(首相)野田佳彦氏と野党第1党自民党総裁(元首相)の安倍晋三氏が党首討論で対峙していた。安倍氏は野田氏の激務をねぎらい、「たまには総理のチャーミングな笑顔が見たい」と切り出し、余裕綽々(しゃくしゃく)だった。ところが、冒頭のやりとりが始まり、空気が一変した。衆院の定数と歳費削減の実行を条件に、野田氏の突然の解散宣告。議場がどよめいた。たじろぐ安倍氏は「よろしいんですね」と二度繰り返し、とっさに切り返したように映った。

 参院選の選挙応援中に銃撃を受けて亡くなった安倍氏に対する野田氏の追悼演説が10月25日、衆院本会議で行われた。因縁の党首討論から10年が経った。演説を聞いて、テレビ中継で見たシーンが蘇った。

 野田氏は最も鮮烈な印象を残すあの党首討論の場面を挙げ、「一瞬一瞬を決して忘れることができない」と振り返った。さらに「少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張りつめた緊張感。激しく.ぶつかり合う言葉と言葉、それは一対一の果たし合いの場だった。再び、議場で火花を散るような真剣勝負を戦いたかった」と語り掛けた。

 「国会は言論の府」と呼ばれる。憲法41条に「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と明記してある。野田氏が語った言葉と言葉の戦いの場である。また衆議院規則と参議院規則にこんな条文がある。「会議においては、文書を朗読することができない。但し、引証文は報告のためにする簡単な文書は、この限りではない」とある。国会審議で発言の際、原則的に朗読は禁止されているのだ。

 現実はどうだろうか。首相や閣僚、政府側は官僚が作成した答弁書を忠実に読むあまり、うつむいたままの姿勢の棒読み。加えて、なじり合いやはぐらかし。政策を巡る国会論戦には程遠く、虚偽答弁や与党の強行採決しか思い浮かばない。

 野田氏はなお演説で「暴力に打ち勝つため、あなたが放った強烈な光もその先に伸びた影も、議場に集う同僚議員たちとともに言葉の限りを尽くして問い続けたい」と呼び掛けたが、長らく続く国会軽視の在り様は〝伸びた影〟の一つかもしれない。

 確かに、野田元首相の演説はうまかった。与野党は称賛したが、追悼ゆえに影の部分はあからさまには語れないだろう。政界に魑魅魍魎(ちみもうりょう)がすんでいるという。表には見えない政治の裏側の権力闘争は凄まじい。だからこそ、国会議員は政治の表舞台・国会の場で言論を通し、国民に闘う姿を見せたい。

 世界の中の日本の政治や経済は歴史の大きな転換点に立つ。与野党共々、国会議員に今、求められるのは国会論戦に「失われた10年」を取り戻すことではないか。

(S)