《一言半句》安倍元首相銃撃事件に思うー政治の貧しさを憂える
安倍晋三元首相が参院選の応援演説中に銃撃を受け、死亡する痛ましい事件が起きてからほぼ1カ月になる。銃撃した山上徹也容疑者の生い立ちと家庭環境、母親が入信した宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の実態や政治家との関係などが次第に明らかになる。だが、事件に至った根っこはどこにあるのか、見えてこない。
思い起こしたのは昭和初期に続発した、青年将校らによる5・15事件や2・26事件ではなく、平成時代のオウム真理教による凶暴な事件だった。あの頃、阪神・淡路大震災が起き、バブルが崩壊し、日本は金融危機に陥った。大学生の就職難が続き、多くの非正規雇用者を生み、経済格差が広がった。以来、「失われた20年、30年」と言われ、令和の今も日本社会に重くのしかかる。
1995(平成7)年、山梨県上九一色村の富士山麓の原野にオウム真理教の拠点があった。村人も寄せ付けない異様な建物はサティアンと呼ばれていた。施設はまるで「化学兵器工場」。生き方に行き詰まった若者らが麻原教祖の説く「解脱」や「超能力」といったキャッチフレーズに心酔し、サティアンでサリンを作っていた。恐怖心を煽られた若者らは次々と拉致事件や地下鉄サリン事件に関与していった。オウム真理教の文書には「真理を実践させるためには、いかなる手段でも用いる」とあった。
旧統一教会とは無縁の容疑者は、信者(母親)のいわば「2世」だ。母親は夫の自殺後、旧統一教会に入信、1億円ともいわれる大金を献金して会社経営と家庭生活が崩壊したとしう。山上容疑者は「人生が狂ってしまったのは旧統一教会のせいだ」と思い込み、矛先を関係が深い安倍元首相に向け、狙いを定めたようだ。犯行の直接的な動機は安倍元首相への政治的なテロではなく、個人的な恨みとの見方が強い。
オウム真理教や旧統一教会の信者は生きることに悩み、救いを求め、入信した。人間の心は弱い。辛い、苦しい事態に遭遇したとき、宗教が支えになることもある。宗教を否定するものではないが、宗教が人の弱みにつけ込み、献金という名で財を奪い、時に他者の生命を奪う。信者を生活のどん底に陥れる行為は宗教ではないし、そこに救いなどあるはずがない。
報道によれば、会社と家庭が破産した20年前の2002年当時、現在41歳の山上容疑者は21歳だ。奈良県の進学校を卒業するも、既に家庭生活は暗転し、進学をあきらめざるを得なかった。自衛隊に入隊し、家族の生活費に充てた。3年間務めて除隊したのち、職を転々としたという。この間、日本経済は立ち直ることもなく、就職氷河期世代の山上容疑者は川の流れに呑み込まれるように、寄る辺(べ)の無い身だったのだ。
政治家と旧統一教会との関係についての報道は続く。旧統一教会は政治家を広告塔として利用し、その陰で多くの信者の家族や子ども(2世)たちはもがき、苦しんでいた。政治家は集票に目が眩み、信者、家族を救うために動かなかった。この国の政治の貧しさを憂える。
(S)