《一言半句》レガシーは必要かー自民党県連・国会議員が知事に異例の要望

 英語のレガシー(legacy)。遺産や遺物と訳されるが、時代遅れや過去の遺物とネガティブなニュアンスで使われることもある。小池百合子東京都知事はひと頃、東京の都市開発やまちづくりを「東京五輪のレガシーとして活かしたい」と発言していた。この場合、東京五輪のために造った施設など物理的遺産や精神的遺産を表現する。政治家はえてして在任中に築いた業績を、ポジティブなレガシーとしてアピールしたがるようだ。

 過日、自民党県在住国会議員らが新田八朗知事に対し、レガシーとなる大型事業の検討を求めた、と報じられた。県が開いた国への重要要望事項説明会で、調査してきた立山カルデラの地熱発電構想を例に、「新田県政でこれが目玉だというものを遺してほしい」「大きな構想、新たな投資を考える時期に来ている」と注文をつけた。そもそもこうした説明会は国への予算要望の案件について後方支援を求める場であって、1期目半ばの知事に対し、逆に“大きな構想”を求めることは異例だ。

 戦後歴代の知事はレガシーを意識し、県民を牽引したのも事実だ。例えば、吉田実氏(1956~69年)は2期目の選挙前に「野の夢」「山の夢」「海の夢」、略して「野に山に海に」を政策の柱として発表した。富山新港の建設と臨海工業地帯の整備、富山・高岡新産業都市づくり、立山・黒部・有峰地帯の観光開発など日本の高度経済成長路線が後押しした。

 後任の中田幸吉氏(1969~80年)は逆に成長のひずみが生んだイタイイタイ病や富山湾の水銀汚染など公害や福祉政策、高校の職業科と普通科の比率7対3という歪んだ教育政策の是正に動いた。

 中沖豊氏(1980~2004)は「活力ある富山県づくり」を掲げ、2000年とやま国体に向けて「花と緑」「科学と文化」「健康とスポーツ」の日本一構想を掲げた。一方、停滞する北陸新幹線開業を県民が一丸となれる県政の最重要課題と位置付け、心血を注いだ。

 石井隆一氏(2004~20年)は財政構造の赤字解消、地元負担問題で知恵を絞り、新幹線開業にこぎ着けた。開業後の知事選では現職の石井氏に新人新田氏が挑み保守分裂選挙を招いたのも、新幹線開業後の県民が望む大きな夢や目標を見失ったことが要因とみるべきであろう。

 新田知事が掲げる主な政策は真の幸せ・ウェルビーイングや1,000万人の関係人口、新産業創出などが新聞の見出しになる。だが、県民の多くは横文字言葉の意味するところを理解し、未来の富山を描けているだろうか。県は目標を指標化し、県成長戦略会議の識者らが議論を進めているが、県民置いてけぼりの感は否めない。

 世界は今コロナ禍を経験し、ロシアによるウクライナ侵攻という戦争の終結への道筋が見えない不安と閉塞感の漂う時代に直面している。振り返れば、富山県政の歩みは時代が求める空気感を反映していたと思う。少子高齢化と人口減少という深刻な社会問題に苦しむ現代はどうだろう。

 その空気感をキャッチし、県民が盛り上げる夢と希望とは何かを自身の意思と判断に基づく明快な言葉で発することこそ知事の責務ではないか。レガシーはハードかソフトかの言葉の問題ではない。それは後の歴史が評価する。

                         (S)