南極・昭和基地から、ふるさとへ(2) 厳冬の極夜期を迎える第63次南極地域観測隊

探検の時代から続く6月21日のお祝い 

 北方圏の国々に様々な冬至のお祭りがあるように、南極の冬至でもなにかお祝いをしたくなるというのが人情というものだろう。夏が終わって以来何ヶ月もの間外界との行き来がないまま過ごしてきて、さらにこれから数ヶ月先までも外界との行き来はない。

 そんな時期に、南極で越冬するものだけが迎えることができるミッドウィンターは、それだけで大きな意味がある。スコットやアムンセンらが活躍した探検の時代から続く祝い事となっているのもうなずける。

集合写真 : 端午の節句に掲揚した鯉のぼりをバックに越冬隊員32名が勢揃い

 南極では、越冬基地が我が家、越冬仲間が家族であるも同然であり、時にはそれ以上の意味を持つことすらある。かつては各家庭のクリスマスのように、それぞれの基地の仲間内でつつましくミッドウィンター祭が祝われていたという。各国の文化や基地の状況や構成員の特質などによって様々なバリエーションがみられるものの、特別なイベントを企画したりするのはどこも同じ。

 特に、1年で最も豪華な晩餐会を催すことが今も昔も変わらない共通のメインイベントである。また、観測隊を派遣している国の代表者をはじめとして外部からも越冬基地に向けて祝辞の電報が送られてくる。南極探検の時代からすでに1世紀以上が経過して科学的な通年観測体制が定着した現在では、ミッドウィンター祭は南極内外の関係者をも巻き込んだ一大行事へと変貌している。

 通信技術の発達によって、相互にどんなイベントを企画しているかを紹介しあったり、グリーティングカードを交換しあったりするようになっているし、さらに近年では、手軽になったデジタル撮影機材を駆使して越冬隊内で自作ムービーを作成し、その内容を競い合うコンテストなども基地間の記念交流として実施されたりもしている。我々もコンテストへの出品をめざして企画を練っている最中である。こうして、会ったことはないけれども「南極」という共通項によって結びついている人々との仲間意識を感じることができるようになった。

 バリエーションといえば、各基地にはかならず越冬隊長(またはそれに似た肩書きのリーダー)がいて、ミッドウィンターには隊長自らが早起きして前夜に注文を受けた朝食を作り、隊員のベッドまで個別に届けたり、ダイニングルームで好きなように食べてもらうようにしている所もあるという。

 また、本国からのサプライズとして小さなプレゼントを送ってくれるように頼んでおくところもあるそうだ。すでに数か月前に届いていた秘密の届け物が、晩餐会のあとに各員に配られ、正真正銘のサプライズとなって盛りあがるという。   

夕陽に輝くファタモルガナ : 昭和基地の周囲は南極海が凍結した海氷域が広がり、上空の寒気と海表面とに温度差があると蜃気楼が出現する。春先の富山湾に出現する蜃気楼と原理的には同じ。水平線に沈む夕陽がだるま状にみえることもある。イタリアの伝説に登場する女神が魔法でおこしていると考えられていたことから、海外では彼女の名前をとってファタ・モルガナともよばれている。

 食堂の一角にお互いに秘密で準備しあったプレゼントを山積みにして、晩餐コースの合間に、越冬隊の中で最年少の隊員が最初に包みを選んで最年長の隊員へと順番に渡していくのをしきたりにしている基地もあるという。

越冬中最大の行事「ミッドウィンター祭」

 昭和基地をはじめとする南極基地の多くは海岸沿いにある。米国のマクマード基地やパーマー基地、ニュージーランドのスコット基地、オーストラリアのモーソン基地やデービス基地などでは、ミッドウィンターに備えて海氷に大きな穴を開けておき、当日に裸になって海水に飛び込むのが恒例になっている。

 一見、なんとむちゃなことを、と思われるかも知れないが、海水なので水温はマイナス2℃くらいまでしか下がらず、気温のほうがもっと低いのでかえって温かく感じるらしい。我々の昭和基地では、温泉好きの国民性からか、寒中行水よりも、自作の露天風呂に入りながらオーロラを眺めるほうに人気があるようだ。

 こうしたミッドウィンター祭という越冬中最大の行事にむけて、目下、昭和基地内では実行委員会を立ち上げ、その指揮のもと越冬隊総員で準備に取り組んでいる最中。準備するのも自分たち、楽しむのも自分たち、その後片付けをするのも自分たち。

 今回紹介したように、一年中雪と氷に覆われた南極でも、時節に応じて多様な活動が展開されている。ミッドウィンターのお祭りや海氷流出への緊急対応のように、孤立無援のこの地では、どんな活動をするにしても、手持ちの機材と英知を結集してぜんぶ自分たちでやらなければならない。それが越冬隊というもの。

 これから様々な創意工夫や自助で問題を乗り越えて成果を上げてほしいと願うと共に、その先にさらに南極観測の流れが続くことを忘れずに次の観測隊へと引き継いでいきたい。

プロフィール
 1966年富山県上市町生まれ。85年富山中部高校から北海道大学に進み、90年同大学地質学鉱物学科を卒業後、同大学大学院環境科学研究科修士課程に進学。92年同大学院博士課程進学と同時に、第34次南極地域観測隊地学部門越冬隊員として昭和基地で越冬し94年に帰国。97年同大学院博士課程修了、博士(環境科学)。96~98年日本学術振興会特別研究員(国立極地研究所)。98~99年北海道大学低温科学研究所研究員、99~2015年同大学大学院地球環境科学研究科助手・助教。15年より法政大学社会学部准教授、国立極地研究所客員准教授。21年から第63次南極地域観測隊副隊長兼越冬隊長。
 専門は氷河地質学・第四紀学・自然地理学。これまでに南極をはじめとして北海道日高山脈や北アルプス、チベット、ネパール、ブータン・ヒマラヤ、スバルバール諸島、グリーンランド、南米パタゴニアなどの高山・極地の雪氷圏で現地調査を実施。大学時代には山岳部でフィールドワークのイロハを学んだ。現在も雪氷学会の災害調査チームに所属し、雪崩災害防止の啓発活動にも従事している。

<掲載協力:国立極地研究所>
国立極地研究所南極観測ウェブサイト https://www.nipr.ac.jp/antarctic
観測隊ブログ https://nipr-blog.nipr.ac.jp/jare/

 

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