南極・昭和基地から、ふるさとへ(2) 厳冬の極夜期を迎える第63次南極地域観測隊
自然の驚異との闘いの中でも郷里の様子を思う
こうして、自然の驚異との闘いの中でバタバタ続きの大型連休を過ごしていた昭和基地であった。気がついてみれば、前回、我々第63次南極地域観測隊が昭和基地での越冬任務を開始したことをお伝えしてから、はや3か月以上が経過し、日本を離れてからも半年以上が経過している。南極越冬基地独特の生活リズムにも慣れ、この原稿が届く頃には本州ではすっかり新緑の頃を過ぎて地域によっては梅雨入りもしていることであろうと、郷里の様子を懐かしく思う余裕も持てるようになってきたところである。

桃の節句で食堂に飾ったひな人形 : 少なくとも19次隊で飾られていた記録がある古いもの。あちこち痛みが激しく欠損も多いため、昭和基地にある部材を利用して補修してみた。段は建築隊員が人形のサイズにあうように新たに仕立ててくれた。金屏風は女医さんが張り替え、欠測していた牛車の車輪はペーパークラフトが得意な隊員が新たに作成。最下段には南極ならではの小物も並んでいる。窓の外には雪上車が駐車していてその先に南極の白銀の風景が広がる。

4月の花見
ここではというと、3月の桃の節句には食堂にひな壇を飾り付けたし、4月には紙と木材でできた桜の木を飾って昭和基地なりの「開花宣言」を出して花見を楽しみ、端午の節句には鯉のぼりを掲揚した。ひな人形は、40年前の越冬記にも飾ったという記述が見られる年代物で、欠けたり古びたりが目だつようになっていたところを、隊員の手作りで補修したりして大切に受け継いできている。
雪と氷とむき出しの大地しかないこの極限の地での生活に、少しでもメリハリと潤いをもたらそうと、国内と同等かそれ以上に歳時を律儀に実行していく慣例が越冬隊にはある。
北半球と半年ずれて季節が進行しているここ南極では、日に日に日照時間が短くなり、5月下旬の太陽は数時間だけ水平線の上に姿を見せて、横に転がるように移動している。6月にはついに太陽が地平線の上に姿を見せなくなってしまう。その先7月下旬までのひと月あまり、南極圏内にいる我々は日光を拝むことのできない「極夜」の期間を過ごさねばならない。

水平線上を転がるように動く極夜に入る直前の太陽
オーロラ光学観測にはうってつけの極夜期
南極を一年中覆っている雪氷にも季節に応じた変動がある。冬期には海氷がより低緯度へと張り出すようになって、雪氷域の面積は夏期の倍にも膨れ上がる。これに極夜という条件も加わって、船舶にしても飛行機にしても南極と外界との往来はほぼ不可能となり、この暗黒で隔絶された南極大陸に滞在している人類は、科学観測に携わる基地の住人以外に誰もいなくなる。この期間、寒さは極限に達し、冬の嵐が吹き荒れるため、南極内での長距離移動もままならず、各観測基地の隊員たちは皆、自分たちの基地とその周辺の狭い範囲に閉じこもる。できることといえば、極夜が明けてから予定されている遠征旅行の準備や基地の維持管理ぐらいのことに限られるのである。
だが昭和基地にとっては、そんなに悪いことばかりでもない。暗くなったらなったで、オーロラ光学観測などにはうってつけの時期となるのが極夜期なのだ。実はオーロラが出現する場所は、南北両極点をドーナツ状に取り巻いて分布しており、昭和基地はまさにこの輪が通る絶好の場所に位置している。
そのため、南極観測初期から様々な観測が行われてきた歴史と実績を誇っている。昼夜を問わず、天候さえ許せば見上げた空にはきまってオーロラが揺らめいているという、なんとも贅沢な時間を越冬隊の特権として過ごさせてもらっている。ただし、美しい夜空を眺めるには、マイナス20℃以下の極寒に耐える我慢強さも必要だ。

昭和基地とオーロラ : 昭和基地は極光帯の真下にあって頻繁にオーロラが出現する。

オーロラと雪上車
さて、来る6月21日にはいよいよ「ミッドウィンター」とよばれる、南半球の「冬至」を迎える。「ミッドウィンター」は、南極ではクリスマスや他の伝統的な祝日よりも重要な日とされ、各国が設けているどの観測基地でも、国籍や宗教に関係なく盛大にお祝い行事を催す習わしになっている。
この日を境に、沈んだままの太陽が再び地平線に近づくようになって、正午頃の薄明かりが次第に増していくようになるはずだ。太陽が地平線上に姿を現すのはまだ先だが、とにかくこの日に暗闇期が底を打つのである。