南極・昭和基地から、ふるさとへ(2) 厳冬の極夜期を迎える第63次南極地域観測隊

第63次南極地域観測隊越冬隊長 澤柿教伸(富山県上市町出身)

雲の底面が黒くなる「ウォーター・スカイ」

 4月末、ここ南極・昭和基地は三日三晩のブリザードに見舞われていた。風が落ち着いてから、久しぶりに南極名物の蜃気楼でも見ようかと双眼鏡をのぞいたところ、氷山の間にいつも見えていた輝きはなく、かわりに黒く水平に広がる筋が出現していた。その上空にはドス黒い雲も広がっている。

 開水面を示す空模様として極地探検家の間では古くから知られてきた「ウォーター・スカイ」と呼ばれる現象である。海氷からの照り返しでその上空の雲の底面は白く輝くのに対して、水面だと光の反射が少ないために雲の底面が黒くなるのだ。

双眼鏡の先に見えた開水面とウォーター・スカイ

 同じ光景を十数年前に越冬した時にも見たことを思い出し、これはきっとブリザードに伴う南極海のうねりが海氷を持ち去ってしまったに違いない、と確信した。さて大変なことになったぞ。今回は越冬隊長として昭和基地を預かる身となった私は、厳冬期を迎えてこの先に控えている様々な野外オペレーションに思いを巡らせながら、この状況にどう対応すべきかを思案し始めていた。

 昭和基地は、幅4キロメートルほどのオングル海峡を挟んで南極大陸から離れた島にある。南極大陸を取り囲む海域は、ほぼ年間を通して凍結していて、オングル海峡も雪上車で走り回れるほどの厚さの海氷に覆われているのが常であるが、今回のように海氷が流出してしまうと、昭和基地の周囲に一晩のうちに渚が出現することもある。

 そうなると島から一歩も出られなくなってしまい、野外行動が大きく制限される事態に陥る。逆に何年も海氷が流れずに居残って成長を続けた場合、世界最強クラスの砕氷能力を誇る「しらせ」をもってしても割るのに苦労して、昭和基地まで辿り着けるかどうかも怪しくなる。

 このように、島に位置する昭和基地にとって海氷は非常にやっかいな代物で、その動向を常に気かけていることが歴代の越冬隊長の重要な役割の一つとなってきた。

 急遽、野外主任に呼びかけて偵察隊を仕立て、ウォーター・スカイのもとへ向けてスノーモービルで繰り出した。ブリザードが襲来する前に海氷上に立てておいた赤旗のルート標識を辿り、当初はなかった新しい亀裂を何本も跨ぎながら進むと、突然、行く手の海氷が途切れて海面にぶち当たった。流出した海氷の端まできたのだ。

注目される近年の「フロストフラワー」現象

 その先の海面は、マイナス15℃を下回る外気にさらされてすでにシャーベット状に凍結しはじめている様子。その表面には「フロストフラワー」と呼ばれる霜が一斉に開花していた。これは、海水が急激に寒気にさらされる時にできるとされており、にわかに開いた海面が再凍結しはじめたばかりだということを如実に示してくれている。

 ちなみに、フロストフラワーができる際に海水中の塩分を取り込んで表面積の大きな花びらから効率的に空気中に微粒子を拡散するという効果が知られていて、極域の海洋と大気との相互作用の担い手として近年注目されている現象でもある。この場に専門家がいればきっと飛びついて観察を続けるに違いないのになぁ、と思いながら海氷流出の現場を去ることにした。

4月海氷流出 : 昭和基地西方に張っていた海氷が流出し、その端まで行ってみたところ。

 基地に戻ってから、スノーモービルでは回りきれなかった範囲の様子も確認するため、ヘリポートの上空400メートルまでドローンを揚げて島の周囲360度を空撮した。幸いなことに、今回の海氷流出はかろうじて昭和基地の西方5キロメートルにとどまっており、オングル海峡の海氷は無事だったことが確認できた。

 自然の巨大な力のなす光景を前にして、我々は、海峡内の海氷がこのまま維持されることを祈り、沖合で再凍結が進行するのを待つことしかできない。かといって、びくびく怯えてばかりいるわけにもいかない。海氷の推移を的確に把握することで危険や安全を見極める判断材料とし、どんな細かなチャンスも逃さずオペレーションを完遂させる努力していく必要がある。

 これまで地上から見える範囲しか観察できなかった我々も、いまや、ドローンや人工衛星の発達によって鳥や神の目とも言える観察眼を気軽に利用できる術を手にしている。昭和基地では、宇宙空間から各種の地球観測衛星が撮影している画像を受信する業務を行っているのだし、隊内の各部門で持ち込んでいる観測用マルチコプターも複数ある。なんと言っても、ここは最先端の観測基地なのだ。

 今こそが観測プラットフォームとしての実力を発揮すべき時ではないか。ということで、この困難な事態に対応するために、機体を所有する部門に加えて気象や衛星受信の隊員も招集して、越冬隊の総力を挙げた海氷監視体制をにわかに整えたのであった。

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