《一言半句》 忘却とはーコロナ禍と戦禍の記録

 忘却(ぼうきゃく)とはなんだろうか。すっかり忘れ去ることだが、人間には嫌なこと、辛い出来事を忘却の彼方に追いやりたい心理が働く。昨年亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんは忘却には二つの意味があると説いた。

 一つは仏の慈悲としての忘却で、狂おしいばかりの辛いことを忘れられるからこそ、人は救われ、生きていける、と。もう一つ、人は絶対忘れてはいけないことなのに忘れてしまうこと。これには厳しい劫罰(ごうばつ)、地獄の苦しみを味わわせる罰に値するというのだ。私が思うに劫罰に値する21世紀の出来事は、行動制限を強いられたコロナ禍の日常であり、現在進行形のロシアのウクライナ侵攻、戦争だろう。

 中国武漢発の新型コロナウイルスの感染拡大、そしてパンデミック。2年前の3月30日、県内初の感染者が1人見つかったと県と富山市が発表し、県民は「遂に富山にも」と不安におののいた。新聞は大見出しのトップニュース、号外も出たが、今や日本中では連日、何万という数字が発表されても、怯えることもない。2年半の緊張と緩み、ブレーキとアクセルを交互に繰り返す日常生活への嫌気であり、諦めであり、誰もが辛い日々を終息させたいのだ。

 コロナ禍で世界中の地域で暮らす人々にとって、忘れてはいけないこととは何だろうか。感染者数か、重症者数や死者数か。もう一つ、数字には見えない苦しみや怒り、時には救いもあるだろうが、小さな出来事を記憶に留め、できれば後世に「社会の記録」として残したい。

 100年前のスペイン風邪もパンデミックだった。第1次世界大戦の只中、アメリカ、ヨーロッパから遠く日本にまで及んだ。3年間、猛威を振るい、日本の人口の半数が感染したという。当時の新聞にはマスクやうがい、手洗いの励行、閉ざされた電車に乗るな、とある。

 感染防止策は現代とそう変わらないが、例えば、地域と家族、学校や会社、飲食店、病院、お祭りや花火大会、巷にあふれた失業者など社会の営みはどうだったか。感染症の規模に伴う社会の混乱は想像できても、苦しむ市井の証言は少ない。ウィズコロナの今こそ、地域の惨禍を記憶と記録に留めておきたい。

 悲惨な戦争の声も忘れてはいけない。日本の大陸への侵攻、米国・ハワイ真珠湾への攻撃が太平洋戦争突入につながった。日本は戦争加害国であり、国民は大本営発表に翻弄され、富山市をはじめ、多くの都市が空襲に遭った。最後は広島、長崎に人類初の原爆が投下され、ようやく終戦し、日本は焦土と化した。

 戦争を見つめる子どもの目はいつも冷徹だ。大人が理屈をつけて戦争を始め、狂気の沙汰となった第2次世界大戦下、アンネ・フランクは隠れ家で「アンネの日記」を遺した。淡々と綴った日記は大人の反論や言い訳を許さない。こんな記述を思い出す。「もしも神様の思(おぼ)し召(め)しで生きることが許されるなら、(中略)きっと世の中のため、人類のために働いてみせます」。

 ウクライナ侵攻を決めたロシアのプーチン大統領の蛮行はいかに自己中心的か、推して知るべし、である。                                        (S)