【最近の講演会より】「美術コレクションと地方貢献」元文化庁長官・文化功労者 青柳正規氏

重要文化財佐竹本三十六歌仙絵「源重之」 秋水美術館収蔵記念特別講演会
言葉で語られるものがあってこそ

 1990年代前半頃から世界各地で良いワインが作られるようになり、フランスのワインコンクールでフランス産以外のワインが入賞するようにもなった。だがフランスのワイン作りの名手たちはそのような状況でも「全然こわくない。彼らのワインには物語がないから」と言い、他国の製品には付随する文化がないことを言外に指摘した。産物には言葉で語られるものがあってこそ評価の対象になる。

 日本各地には素晴らしい美術館があり、そのおかげで多くの人が訪れ、地域が文化的に豊かだと証明できるような例がいくつかある。たとえば栗で有名な長野県の小布施。小布施ですぐに思いつくのが北斎である。日本の画家として海外で一番有名だ。彼は江戸からわざわざ同地に来て名家の高井鴻山の家に滞在し、鴻山と親しくしながら気持ちよく絵を描いた。

 特に彼には珍しい肉筆による天井画は、使われた顔料が非常に良質なので、修復がほどんと要らず、250年以上経つのに大変に鮮明な色で残っている。また北斎がアイディアを出して独創性のある山車も作っている。高井家と北斎の関係が北斎の作品を残し、町の名声となった。栗だけでなく北斎の小布施として日本中からたくさんの人を引き付けている。

 新しい時代では岡山県倉敷市の大原美術館が挙げられる。事業で大成功した大原孫三郎が児島虎次郎という画家を見出し、全幅の信頼を彼に寄せ、留学をさせる際に現地ですぐれた絵の買い付けをさせた。その結果エル・グレコやモネ、当時それ程評価されていなかったゴーギャンやモディリアーニなどが美術館に収蔵された。 

 同地は水路が発達して白壁屋敷が美しいこともあり、今では岡山市をしのぐほどの文化的施設がたくさんできて有名になっているが、大原美術館を中核として徐々に発達していったものだ。

 もうひとつは島根県安来市の足立美術館である。大阪で大成功した足立全康が故郷に錦を飾ろうと建設した。収蔵している作品は明治以降の日本画だが、ここへ来る人が一番期待しているのは日本庭園である。

 昭和の庭師としてもっともすぐれた中根金作に任せて作らせた。アメリカの日本庭園専門誌における日本庭園ランキングでは同館がほぼ必ず1位になる。富岡鉄斎や横山大観などの絵、北大路魯山人の金襴手壺などすぐれた収蔵品もさることながら、欧米の日本庭園が好きな人は庭を見ようと必ず島根まで足を運ぶ。

土地に住む人たちの誇りに

 日本には1,600程の美術館と称する館がありそのほとんどが私立だが、大部分は財団や親会社の援助で運営されている。その中に3館だけ黒字の美術館があり、足立美術館はそのひとつである。あとの2館は北海道の後藤純男美術館と徳島県の大塚国際美術館で、それぞれ大勢の来館者にもスムーズに食事が提供できる大食堂を備えているとか、世界中の名作のコピーが見られるとか面白い特徴がある。

 また炭鉱が閉山した地域で村おこしのために美術館を作って廃校の中をギャラリーにしたり、国際芸術祭を開いて海外からアーティストが来るようになったりして、地域おこしがうまくいっている例が全国にある。

 それぞれの土地の歴史をどう伸ばしていくかが、地域に住み愛する人たちの課題だろう。映画祭や農村歌舞伎の継承などやり方は様々にあるが、美術館が地域の特性に合わせながら充実させ、時代に合った形になれば、土地に住む人たちの誇りになり、満足感を与えられる。

800年前の絵巻を地域の財産に

 このほど富山県の秋水美術館に国宝の一部と言えるほど素晴らしい佐竹本三十六歌仙絵の「源重之」が入ったことは、富山という地域が誰もが欲しがる絵を持ち、見抜く眼力を持っていると証明することになった。

 重之はいわば東宮の親衛隊ともいえる「帯刀長(たちはきのおさ)」であり、すぐれた歌人でもある文武両道の人だ。名古屋、東京、大阪、岡山、京都、埼玉、静岡、奈良などの美術館に他の三十六歌仙作品が収蔵されており、そのグループのひとつとして今後、秋水美術館の重之の絵は語られることになる。

佐竹本三十六歌仙絵「源重之」の解説スライドと講演者青柳正規氏

 ただ1枚の掛け軸になっている重之というひとりの到来者の絵が世界を広げ、一挙に何十人もの友達ができ、関係を持たせてくれる。関係を持つことが文化であり、その素晴らしさだ。秋水美術館にこの作品が収蔵されたことで、刀剣だけでなく鎌倉絵画や平安美術などとも関連した企画展などが開催されると、富山に色々な良い作品が来ることになり、子どもたちの記憶にひとつでも残ればその人のすばらしい財産になるだろう。

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 講演会に続くシンポジウムでは、京都国立博物館の赤尾栄慶名誉館員と降矢哲男主任研究員により佐竹本三十六歌仙絵にまつわる話題などが語られた。

 佐竹本三十六歌仙絵巻が秋田藩佐竹家に入る前は京都の下鴨神社が所蔵していたといわれる。江戸後半になって佐竹家が入手し、大正期になって武家が様々な道具を持ちきれなくなり、売りに出された。成金と呼ばれた山本唯三郎がすべてを買ったが、第一次世界大戦の不況下で破産して手放すことになり、美術商が三井物産を興したひとりである益田孝に相談に行く。当時、数十億円の価値があって誰でも買えるものではなかったので、抽選をして1歌仙ずつを分割して購入することに決まった。 

 使われている紙は、楮(こうぞ)をよくたたいた打ち紙加工を施し表面を固くすることで墨のにじみ止めがなされている。打ち紙加工をしていないと巻紙として使うには巻きにくく、開閉も難しくなる。表面には雲母が細かくまかれており、当時は表面がきらきらして見えたと思われる。

 和歌の文字を書いたのは九条兼実の二男の後京極良経、絵を描いたのは藤原信実とされている。文字は行がずれることなく真っすぐ下がっていて、かなは平安の趣を持ったやわらかく線の細いきれいな文字である。絵は800年前のものを目の当たりにできる貴重な文化財であり、目鼻、顔立ちがいかにも貴人のように描かれているので、そのあたりもしっかり見てほしい。

                秋水美術館収蔵記念特別講演会(2022/4/9)より 文責・編集部