韓国財閥の対北事業の展望(1)揺れ動いた文在寅政権の北朝鮮政策
国士舘大学経営学部客員教授 石田 賢
主な経緯
朝鮮半島情勢について2000年以降の20年間を振り返ってみると、前半の2010年までは開城(ケソン)工業団地や金剛山(クムガンサン)観光事業を象徴として、南北関係が改善の方向に進むかに見えたものの、08年の韓国人観光客殺害事件、10年には天安(チョナン)艦の爆沈事件と延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件が相次いで勃発し、翌年には金剛山観光事業から完全撤収という事態に陥った。開城工業団地も16年には北の核開発により全面的な中断に追い込まれた。
2010年以降の朝鮮半島を取り巻く情勢は、出口の見えない緊張状態にある。18年6月にシンガポールで初の米朝首脳会談、19年2月にはベトナムハノイでの米朝首脳会談(決裂)、同年6月には板門店での米朝首脳会談が取り行われたものの、何ら進展を見ることなく終わった。
この間2018年9月、文在寅政権は4大財閥などのトップを引き連れて北朝鮮を訪問するなど、南北関係改善に向けて実業家レベルを巻き込んでの進展に期待が寄せられた。これも南北経済協力の起爆剤になることもなく3年が経過した。
朝鮮半島情勢を2000年からの10年間は南北融和の可能性を引き出す事業が動き始めた時期と捉えると、2010年以降の10年間は、緊張が高まる中での米朝首脳会談や文大統領の訪朝団などトップによる南北融和に向けての模索を繰り返したものの、あらゆる事業が中断・空転した時期ではないか。
こうした基本認識を踏まえて今後の可能性としては、北朝鮮の非核化が段階的に進み始めた時、韓国政府の支援と財閥が、これまでの経験と実績から着手可能なプロジェクトと国連や国際金融機関が北朝鮮の完全な非核化を最終的に確認した後、進行する可能性のあるインフラ・プロジェクト、インフラ整備後の民間資本の導入に大別できよう。
朝鮮半島の緊張緩和に向けてのキッカケが見当たらない現在段階ではあるが、文大統領と共に同行した4大財閥(現代、サムスン、LG、SK)を中心に、訪朝後からこれまでの水面下での活動を確認することで、北朝鮮の非核化の動きが見られた場合、どのような南北経済交流事業が動き出すのかを明らかにする。
次に北朝鮮の完全な非核化が確認された場合、国際金融機関の資金によるインフラ整備が着手されることになろう。その時、最優先されるインフラは電力・エネルギーであり、その後鉄道・港湾などの整備と地下資源開発による外貨獲得という流れである。電力・エネルギー開発と送配電網の整備は、どのような産業社会においても基盤を成すものでありながら、北朝鮮において最も遅れている領域である。
以上、北朝鮮の非核化を2つのレベルに分けると、段階的な非核化においては韓国政府の支援を受けた4大財閥が過去の実績等から先行させる事業、その後の完全な非核化を受けて、国際金融機関などによるインフラ整備、民間資本導入という流れになろう。
韓国と北朝鮮の経済交流は、1988年7月盧泰愚(ノ・テウ)大統領の「南北統一に関する特別宣言」、2000年6月金大中大統領の「太陽政策」に受け継がれ、04年12月には開城(ケソン)工業団地が開設され、順調に拡大してきた。
2007年10月には盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が平壌を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)国防委員長と首脳会談が実現したことで、朝鮮半島に春が訪れると期待されたものの、前述したように、08年の韓国人観光客の殺害事件、10年に哨戒艦撃沈事件と延坪島(ヨンピョンド)の砲撃事件、ミサイル発射実験や核実験が繰り返されたことで、南北経済交流は一気に冷え込んだ。
南北の緊張状態が続く中で、2017年3月、朴槿恵(パク・クネ)を憲法裁判所が罷免したことから、5月に大統領選挙が実施され、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が誕生した。文在寅大統領は、大統領選挙の時から北朝鮮との交流再開など融和政策を掲げていた。
文在寅大統領が就任してすぐに北朝鮮に平昌オリンピックへの参加を促し、2018年に入ると、金正恩(キム・ジョンウン)委員長(21年1月より総書記)も対話路線への姿勢をみせ、18年4月の南北首脳会談、6月シンガポールの米朝首脳会談、9月には「平壌共同宣言」が署名されたことから、南北の経済交流の拡大と協力が、一気に加速するかにみられた。