《一言半句》人事は「補正」できないー異動の季節に思う

 春はそわそわする季節である。サラリーマンや公務員にとって、栄転、左遷、配転、そして退職者がれば新入社員もいる。新旧交代、去るも地獄、残るも地獄。そんな思いの方もいただろうし、一生懸命に働き、いよいよ部長職昇格かと、多少の期待を抱いた方もいたに違いない。異動を発令する世の社長や知事、市町村長の責任は重大だ。

 県庁人事と言えば、2018年6月に死去した元富山県知事の中沖豊氏を思い出す。県政最多の6期24年を務め、“ミスター新幹線”と呼ばれ、北陸新幹線開業に並々ならぬ情熱を注いだ。

 何よりも「人づくり」を大きな柱に据え、いきいき富山観光キャンペーンや環日本海交流、先端企業の誘致・育成、高等教育機関の整備、2000年とやま国体に向け「3つの日本一」構想を掲げ、時代を切り拓いた知事だった。そして長期政権にありがちなマンネリやワンマンという言葉を嫌った。

 中沖氏は引退表明した2004年8月3日、最後の記者会見で「持てる力、全人格を県政に投入してきた」と言い切った。県政の様々な局面で職員や議員、県民を前に「全身全霊で取り組む」、「命懸けで頑張りたい」そして極め付きは「知恵も出し、汗もかく」と口癖のように締めくくった。

 普通の人間なら、ワンパターンのフレーズに聞こえるのだが、いつも顔を紅潮させ、真剣に語るため、聞く側のハートをつかんだ。中沖氏の真骨頂は重要課題や危機的状況を乗り切った時も、自分自身は全身全霊で働くも、結果は「国会議員や県議、市町村長、経済界、県民が一丸となって…」とみんなを讃えたことだ。加えて、言葉の端(はし)に「職員も随分頑張った」の一言を忘れなかった。

 その姿勢は県庁人事にも表れた。人事異動発令からしばらくして、知事室に入った記者たちによると、知事は異動名簿をめくりながら、「職員はみんな頑張っていますかね」と尋ねたそうだ。発令後も、あれで良かったのかどうか、反芻していたのだ。それほど、人事にエネルギーを注いでいた。

 「予算は補正を組めるが、人事は補正できない」は中沖氏の持論だった。能力と人間性を熟慮し、学歴に偏重することなく有能な職員を何人も部長職に登用した。むろん、万人が認める所だった。 

 民間出身の新田八朗知事はどうだろうか。保守分裂、経済界も割れた2020年秋の県知事選。激戦を勝ち抜いた新田知事だが、県庁職員や未来の県政を議論する知事直轄会議の委員人事や職員人事でまさか、特定の色が付いていないだろうか。「友人だから」、「選挙でお世話になったから」と私情を挟むことは常道ではない

 人事を尽くして天命を待つ。人事とは、人間として出来る範囲のことを尽くすこと。あとはただ運を天にまかせるのみ、という。天命を待つのは人事で出世や役得を期待する県職員や支援者のことではない。知事は政治家である一方、行政機関のトップ、特別公務員である。中沖流に言えば、人事は県政発展のため公平公正を旨とし、全身全霊を尽くしたかどうかなのだ。                                                                     (S)