南極・昭和基地から、ふるさとへ (1)越冬を開始した第63次南極地域観測隊
第63次南極地域観測隊越冬隊長 澤柿 教伸
3月11日午前6時。瞬間風速毎秒 21.1メートル。視程約100メートル。昨夕から台風並みの強風が吹き続け、夜半には雪も混じり始めてブリザードになった。轟音とともに雪が横殴りに舞っていて、窓の外はちょっと先までしか見通せない。
ここは南極・昭和基地。日本から遙か約1万4,000キロも離れたまさに地球の裏側にある。桃の節句を過ぎて春に向かっている日本とは反対に、南極は短い夏も終わりを告げて、これから本格的な冬に向かおうとしている。
私は第63次南極地域観測隊の越冬隊長として、この2月から昭和基地の維持管理の任務に就いている。この原稿を書いている朝はちょうど越冬を開始してから3度目のブリザードが襲来したところだった。そろそろ起き出してくる隊員たちに建屋内にとどまるよう「外出注意令」を発令するため、一足先に起床して、窓越しに外の様子を確認したり気象データを確認したりしていた。32名の越冬隊員および同行者たちの生命と安全を守ることが隊長の最も重要な役目だ。
氷の海を砕氷610回繰り返しながら5週間かけて昭和基地に
我々が日本を出発したのは2021年11月上旬。新型コロナウィルス感染防止対策のため2週間の検疫隔離を経て観測隊員および同行者全員の無感染を確認した後、海上自衛隊の横須賀基地から南極観測船「しらせ」に乗船した。赤道を越え、オーストラリアに立ち寄り、南氷洋の暴風圏では片舷20 度越えの傾きを経験し、氷海に入ってからは船体を氷に乗り上げて自重で氷を割りながら進む「ラミング」という砕氷航法を610回ほど繰り返し、約5週間の航海を経て12月中旬にようやく昭和基地に到着できた。

しらせを見物に来たペンギン
自宅を出てからかれこれ2カ月あまりかかったことになる。再び日本のわが家に戻るのは、およそ1年後の2023年3月下旬だ。我々を昭和基地まで送り届けてくれた「しらせ」はすでに南極圏を離脱して日本に向けて北上を続けており、越冬隊はこの先、病気やけがなど何があっても帰ることはできない。次の12月に再び「しらせ」がやってくるまで32人の仲間たちだけの生活が続く。
ここ南極での越冬は、自然の厳しさとともに、親しい人たちとの長期間にわたる隔絶という、独特の「覚悟」を強いられることでもある。
4度目の参加は私立大学の研究者初の越冬隊長で
南極観測は、1955年に日本学術会議から出された要望にそって閣議決定されたことに始まる国家事業である。文科省をはじめ、総務省、財務省、外務省、国交省、環境省、農水省、厚労省、防衛省など、ほぼすべての省庁が統合推進本部を組織してオールジャパンで運営にあたるという、縦割りが非難される政府事業にあっては非常にめずらしい体勢で成り立っている。
そうした経緯もあって、従来の観測隊人事は関連省庁や国立大学を中心に進められてきたのだが、実は今回、私は私立大学に所属する研究者として初めて、越冬隊長に就任した。大学院生の時に初めて越冬した34次隊以来、47次越冬隊、53次夏隊と、ほぼ10年おきに研究者として南極地域観測隊に参加してきたので、もう30年も南極観測に関わってきたことになる。
南極観測は、現在は6カ年ごとに区切って観測計画が立案・実施されていて、関与してきた計画はかれこれ6期分を数える。その長年の経験が買われて、4 度目の観測隊参加となる今回、越冬隊長という統括役を拝命することになった次第だ。

昭和基地のひな壇
そもそも私が南極に興味を持つことになったのは、故郷富山でも雪深い上市町の山里で、立山の霊峰を眺めながら極地探検の世界に夢はせていた憧憬に突き動かされたことに始まる。小学校の教員だった父と川で石を拾ったり山菜採りをしたりしながら、次第に自然に興味を持つようになった。
高校で担任の先生から南極探検家の話を聞かされて探検史にのめり込み、それが高じて、南極観測探検の草創期の人材を多く輩出した北海道大学へ進むことにした。北大に入るとそこには、今まで本でしか読んだことのなかった南極観測の草創期を築いてきた先達がすぐ手に届く範囲にいた。その感激が今の私の研究と教育活動につながっている。大学で学んだことや知り合った人々とのご縁の中で、今現在の私があるのだといっても過言ではない。
地球上唯一の清浄な世界から、地球システムの変動解明に迫る
我々63 次隊に課せられているミッションは、第Ⅸ期6カ年計画の最終年度を担うことだ。2016 年に始まった第Ⅸ期計画では「南極大気が地球システムに与える影響を探る側面」、「南極域の大気-氷床-海水-海洋間の相互作用と地球システム変動との関係を探る側面」、「南極域の古気候・古環境から地球システム変動を探る側面」という3つの重要な側面を中核にして、南極から地球システム全体の変動の解明に迫ることをめざしてきた。
最初の3年間は比較的順調に進んでいたが、コロナ禍が広がり始めた2020年に日本を出発した62次隊は、厳しい防疫措置のために規模の縮小を余儀なくされた。南極は小松左京の「復活の日」さながらに、地球上で唯一と言ってもよい清浄な世界である。ここにウイルスを持ち込むようなことは決してあってはならない。