《一言半句》疾風に勁草を知る ―解散総選挙の行方
中国の後漢書が出典という故事、「疾風に勁草(けいそう)を知る」―困難や事変に遭遇した時、初めてその人の意志や節操の堅固さが分かるという。強風が吹き荒れ、多くの草木、葦(あし)が折れてしまった中、一本の強い葦が存在した。国難に遭遇し、皆いなくなっても、しっかりと国家を支えた人物、救世主がいたというたとえでもある。
日本国民はもとより、政治、経済、社会…あらゆる世界が経験したことのないコロナの嵐に翻弄され、多くの葦同様に折れかかっている。その中にあって、つい昨日まで強気の言葉を国民に語った政治家。とりわけ国家のリーダー、首相。権力を持つ官邸や霞が関。政権を担う自民党はどうだったろうか。
東京五輪閉会後も新型コロナウイルスの疾風が勢いを増し、暴れ回っている。疾風にもめげない、強いはずの権力者、官邸や霞が関が国民や医療現場に向き合わず、打ち出す政策は後手を繰り返し、国民の批判を浴びる。それでも「ワクチンが普及すれば大丈夫」とまともな言葉を発しない。いやできないのだ。
コロナ禍で国民が分かったことは例えば、「一強」と自負し、跋扈(ばっこ)した政治家たちは実は国難に遭遇し、逃げ惑う役に立たない多勢の〝葦〟に過ぎなかったのではなかろうか。平時には権力者に媚びる側近の政治家や官僚たちは、指示待ち人間に変質し、トップは強いリーダーを演じていたのか。これでは国民目線で進言する人物、勁草など出現するはずがない。
東京五輪が閉幕し、いよいよ自民党総裁選、そして解散総選挙に突入する。菅首相もさすがに「コロナに打ち勝った証の東京五輪だった」とは誇れなかったが、再選には意欲的と聞く。
富山県の政界に目を転じれば、昨年秋の県知事選、直近の高岡市長選は自民党の分裂選挙で、富山県連や高岡市支部に推薦された現職、新人が共に惨敗した。自民党王国、党員日本一を誇る富山県だが、党員有権者の割合は所詮、ひと握りだ。一連の分裂選挙は単なる仲違いではない。支持層にも地殻変動が起き、時代の変化に自民党自体が気付かなかった。
今、国民、市民はポストコロナ社会に何を望んでいるのか。かつての成功体験など期待していない。コロナ禍でほころびた政治や行政、社会システムの継続では、この国はもたないことがはっきり見えてきた。富山から、地方から、瀬戸際の日本の立て直し、真に希望を語り、信頼できる政治家が現れるのか。そこに注目している。
(S)