《一言半句》天皇の心情「拝察」発言に思う―パンデミック下の東京五輪開幕
脳裏に残るあのシーンが蘇る。国立競技場にトーチを掲げた最終ランナーが姿を現した。聖火台へ駆け上がり、ゆっくりと点火した。その瞬間、青天の下、大歓声が競技場を包む。……昭和天皇がゆっくりと立ち上がる。「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会を宣言します」。1964年10月10日の開会式である。五輪憲章には開会式の宣言は開催国の国家元首が行う、と明記されている。陛下は国民統合の象徴として、今回も開会式出席や宣言は避けられない。宣言の文言は「オリンピアードを祝い…」と五輪憲章で定めてある。
開幕1か月前、西村泰彦宮内庁長官の「拝察」発言が波紋を呼んだ。新型コロナウイルス感染拡大で五輪開催反対や延期の声が上がる。西村長官は宮内庁の定例記者会見で「国民の間に不安の声がある中で、ご自身(天皇)が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている。ご心配であると拝察を致します」と突然、淡々と語ったのだ。
驚く記者らは意図を尋ねると、長官は「私の拝察です」ときっぱりと答えた。この内容が報道されたときの影響の大きさを察する記者は報道の是非を聞くと、「オンレコ(オン・ザ・レコード)=公表していい」と答えたという。つまり「ここだけの話」オフレコではない。報道して下さいというのだ。「拝察」は推察をへりくだっていう言葉で、宮内庁では側近が陛下や皇族の様子や思いを広く伝える際に側近の「拝察」として間接的には発信される。
長官発言を受け、官房長官や五輪担当大臣、さらに菅義偉首相は「長官ご本人の見解を述べたと理解している」と「拝察内容」を無視し、五輪開催に影響を及ぼさぬよう鎮静化を図った。多分、国民は「陛下は本当に心配しておられる」と受け止めたと思う。国民とともにある象徴天皇は常に国民に寄り添い、行動することを心掛けておられる。震災や豪雨などの災厄がそうだったように、ウイルスの感染拡大で国民の不安に寄り添い、ご懸念の思いを伝えたかったのだろう、と推察する。
緊急事態宣言、パンデミック下の東京五輪。感染拡大のリスクを懸念し、首都圏会場の無観客が決まった。歓声が聞こえない無声映画を見るようで正直、さびしい限りである。一体誰のため、何のための東京五輪なのか。正気の沙汰とは思えない。それでも政府は「人類はコロナに勝った証し」と御旗を掲げ続けるのだろうか。
(S)