現地報告・英国のコロナ事情 (8) コロナ・パンデミック後の世界

在ロンドン マークス寿子

 英国のワクチン大作戦は予想以上に成功して、現在では45歳以上のほぼ全員が、少なくとも第1回目の接種を終えて、45歳以下30歳までがワクチン接種の対象になっている。感染者数は2000人以下、重傷者も激減し、したがって死亡も20人以下である。本当にやれやれと言うところである。

ロンドンでワクチン接種を受ける62歳の男性
https://www.who.int/news-room/feature-stories/detail/inside-the-mammoth-undertaking-of-global-vaccine-distributionより

 2月末に発表されたロードマップは厳しく守られていて、今は第3ステップまでたどり着いた。3月8日の学校再開から始まって、同月29日に戸外のスポーツが許可になり、そして、待ちに待った4月12日には普通の商店が再開された。

 美容院も再開されて、女性はやっとヘアカットができるようになり、パブやレストランは戸外でのサービスが受けられるようになった。その前日の真夜中、冬に戻ったような寒さの中を多くの元気な男女がパブの外に待っていて、時計が1時を指した瞬間に手に手にビールを掲げて乾杯した。なんとも英国的な風景であった。テーマパーク、動物園も再開、別荘やキャラバンの使用も許可になった。

 なんとまあ、長い間の辛抱だったことか。それでもまだパブ、レストランの室内サービスは5月半ばまで待たなければならないし、映画館、劇場、コンサートもあと3週間先のこと、5月17日である。そしてナイトクラブ再開、結婚式その他に人数制限がなくなるのは、さらに1カ月後の6月21日である。

 ワクチンにいろいろな問題が起きたのは英国でも同様だが、副作用での死亡は100万人に1人、それもまだはっきりとはワクチンとの関わりが判明していない。それに対して、科学者や政治家だけでなく、圧倒的な世論がワクチン接種の続行を願った。それが最も大切なことであると、ほとんどのメディアも表明した。

ジョンソン首相の慎重な舵取りに飲食業界から不満

 こうして英国は積極的にワクチン接種を進めて、コロナ・パンデミックからの解放を志してきた。コロナとの戦いにどうしても勝つぞという心構えであった。正直なところを言えば、昨年には人気の下降気味であったジョンソン首相の人気はぐっと上昇して、それだけに彼は慎重な舵取りをしてきている。

 どちらかと言うと、これまで開放的であまりうるさく規則にこだわらないことの多かったボリス・ジョンソン首相であったから、この細かい規則ずくめのロードマップを見てボリスに裏切られたと感じた人も多かったようであった。なぜこんなにまで科学者の勧告に従わなければならないのか、勧告は勧告として受けても政治家としての判断があっていい筈だ、と思ったのは自分たちの仕事、つまり経済的な心配をしていた人たちだった。

 5月末までオープンできないレストランやパブやホテルの経営者、従業員は特にがっかりしたのだった。4月初めのイースターホリデーに店を開けられないなんて! 5月末までなんて店がもたないよ、潰れるよ、と彼らは叫んだ。

 確かに大会社の社員たちは在宅勤務になっても給与はちゃんと支払われている。家庭内での子供の面倒や、家庭の雑用や、ゴルフができない不満があっても、あと何カ月かの我慢をすれば、それまでそれなりの楽しみを見つけていける。

 しかし、ホスピタリティ業にいる人たちは先の見通しが立たない。パブやレストランが破産すれば、その従業員は失業する。そして、最近ではホスピタリティ業で働いている人が圧倒的に多いのである――女性も含めて。

 観光業関係者も同様だった。大事なイースターホリデーに仕事ができないなんて、何という措置だろう。我々を殺す気か!

 政府に勧告する科学者たちは感染がゼロになることを目的にしているのだろう、しかし、そんなことはあり得ないのだから政治家は社会や経済の状況を判断して政策を立てるべきだ。首相が率いる保守党の中からも政府非難の声は上がっていた。

 良識的な新聞や自らの収入に直接響かないミドルクラスの人々は多少がっかりはしても、昨年秋の失敗も考えて、今度は慎重にやるのは無理もないことである、それに先に光が見えないわけではない、あと何カ月の辛抱だと考えた。

 もっと富裕な層は、政府の方針がどうであっても大したことではないと考える。近年ますます酷くなった格差の上方部の人たち、会社の所有者、大株主などは、たとえ会社が破産しても自分たちにはたっぷり収入があり、ロックダウンの下でも規則に縛られずに巨大なヨットに家族や友人、芸能人まで集めて地中海やカリブ海の島で暮らしている。

ウイルスは差別しない 貧困国へのワクチン普及が課題

 2020年のコロナ・パンデミックは100年に一度と言われる世界的な疫病の広がりであった。幸いにもワクチンが製造されるようになって、これでパンデミックは終了し、元の生活に戻るには時間がかかるかも知れないが、ヤレヤレとほっとしている。それは富裕国の国民のことである。ワクチンの発明、製造に大量の資金を注ぎ込むことのできた国の人々である。

 しかし、世界の78億人の大多数が住むのは貧困国である。接種するワクチンを買うことのできない国々である。

 「ウイルスは差別をしない。豊かでも貧しくても、白人でも黒人でも感染する」と言ってワクチン接種を避ける英国の少数民族を説いたキャンペイナーがいるが、まさにその通り。新型コロナウイルスは貧困国の人々をも富裕国同様に襲っている。そして、貧困国の人々がワクチン接種で免疫を得ることができずに感染が広がり続ければ、グローバル経済、グローバル化の世界ではワクチンによって感染を防いだ筈の国々の人々も自分たちだけ安全とは言えないのである。どこの国にも必ず免疫のない人がいるからである。

 ウイルスは弱い所を狙って入り込む。100年に一度と言われるパンデミックを起こすウイルスは簡単に絶滅させられない。疫病を起こすウイルスで絶滅できたのは疱瘡だけと言われている。それも200年以上かかっている。

 つまり、我々はこのようなウイルスと共に生きて行かなければならない、パンデミックとせずにエンデミック(季節的に繰り返し発生する疫病)で済むように工夫しながら。

 それには1年間に何回かの接種、その後も毎年の接種というような医学的措置が取られなければならない。同時に、効果的な治療薬、治療法がなければならない。決して、これでお終いという事にはならない。そして、それができない貧困国に対しては富裕国が共同でワクチンや治療薬や医療を提供しなければならない。

途上国へのワクチン普及を進めるCOVAXの取り組み
https://www.who.int/news/item/08-04-2021-covax-reaches-over-100-economies-42-days-after-first-international-deliveryより

 幸い、その芽は出始めている。COVAX(コヴァックス)などの組織が作られて、貧困国へのワクチン提供の資金が集められている。ただし、まだまだ些細な額でしかない。

 何しろ富裕国の成人のほぼ全てがワクチン接種をしても、地球全体の人口78億人から見れば少数なのである。そして、貧困国への国際的な援助は医療の問題であると同時に政治の問題である。これまでずっとそうであったように、貧困国の政治がどのようなものであるか、独裁国か、宗教国か等々の要素が絡まってくるからである。

 こうしてみると、パンデミックはこれまで私たちが抱えていた諸問題を、一国内でも国際的にも、改めて浮き彫りにしただけということが分かる。

コロナ・パンデミックを振り返って

 今、英国の国営放送BBCや良心的なメデイアは新型コロナウイルス(Covid-19)の引き起こした疫病がどのようなものであるか、重症化した場合の症状、あるいは死に至る過程がどのようであったか、そして死を防ぐための医療関係者の努力をテレビや雑誌や単行本などで次々に明らかにしてくれている。

 そんな中には、これまでほとんど知られていなかったこと、重症者や死亡に至る苦しみとは別に、いったん回復した後で出てくる後遺症のことが詳細に書かれている。比較的若くて体力のある患者がウイルス性の肺炎から回復して退院した後、かなり時間が経ってから判明する後遺症である。ウイルスは肺機能を破壊するだけでなく、心臓、腎臓、さらには脳にも潜伏して心筋梗塞や脳梗塞を起こしたり、アルツハイマーや身体全体の極度の疲労の症状を引き起こすことが判明してきている。

 それらの後遺症は2~3カ月、あるいは数カ月続く場合もあり、1年以上継続する場合もあるという。そういう医学的な発見は時間が経ってやっと分かってくるものであり、これからさらにいろいろな事実が判明してくるであろう。これまで考えられてきたような重篤な肺炎を起こすという以上の大きい傷害を引き起こす病原体であることが、やっと知られてきたといっていいだろう。

 コロナ・パンデミックが100年に一度限りの大災害ではなくて、このウイルスはこれから長い間私たちに付きまとって、姿を変え、場所を変えて―—つまり、何十回、何百回もの変異を起こしつつ、無害のものから手持ちのワクチンでは抑えられない強力なものに変異する可能性を持つものだと覚悟しなければならない。

 ここ半世紀ほど、世界は比較的穏やかに技術革新や経済発展により多くの国が豊かになり、人々は辛い労働の生活から楽しむ生活に移ってきた。そして、過去に存在した戦争、疫病、貧困などについては忘れ去っていた。それは大変結構なことであったが、他方で人間が酷使してきた自然や、自然界に人間と共に共存する動物はあちらこちらで悲鳴を上げ、回復を求めているのであろう。そんな動物たちが危険なウイルスを生み出す培養基になり得るのである。

 私たちは都合よく忘れてきた嫌な苦しい過去を思い出させられて、改めて世界規模での人間同士の協調と、自然との共存を工夫しなければならないところに来ているのではないだろうか。

 2020年は科学や技術の進歩と共に、生きる知恵を養うことを忘れてはいけないという警告の年だったと私には思われる。(完)