現地報告・英国のコロナ事情 (5) NHS 現場の闘い

 長い看護歴を持つベテラン看護師たちがこんなことはかつて経験したことがないと語っている。そして医師や看護師の中からも新型コロナウイルスにやられて命を落とした人も出た。これらの病院の状況及び医師看護師の超人間的とも思われる働きぶりは新聞やテレビを通じて報道された。

 それによって人々は新型コロナウイルスによる病気がどんなものか知り、そこで病気と闘う看護士たちを隠れた英雄として褒めたたえるために、毎週木曜日夜8時に外へ出て拍手をすると、誰が言い出したのか自然にそうなり、みんな喜んで「感謝」の気持ちを示した。後には鍋を叩いたりギターを鳴らしたり、ふざけているように見えるのもあって、必ずしも人々全員が同調したわけではないが、拍手が元気をつけてくれたと喜んだ看護師も少なくなかった。

春を上回る第2波、第3波の来襲

 最初のロックダウンはこうして多数の患者と死者を出して終わった。6月末にロックダウンが解除されて人々は少し気楽になり、それなりに夏休みを楽しんだ。しかし、病院と医師、看護師はそういうわけにいかなかった。ロックダウン中はコロナ患者以外のほとんどの患者や検査対象者などを病院から締め出しておいたからである。

 癌治療及び癌の検査を必要とする人の総人数は100万人以上と言われた。膝の痛みで歩けなくなり膝の骨を交換する手術を延期された老人は待ちきれなくなって、貯金を全部はたいて私立病院でやってもらったと語っていた。私自身も3月に予定されていたリューマチ検査と治療は11月とされた。それもダメになったのだが。

 医師や看護師は1週間か2週間の休みを取るのが精一杯で、春からの重労働の疲れも取れないまま、冬の準備にかからなければならなかった。毎年冬にはインフルエンザ患者でどの病院も一杯になるからである。しかし、昨年は11月から新型コロナウイルスの感染が第2波そして第3波を迎えて、春の大騒動を上回る忙しさとなった。

イギリスにおける新型コロナ陽性者数の推移
https://coronavirus.data.gov.uk/details/casesより

 今度はPPEも準備され、人口呼吸器の数も揃えられて体制は整っていたが、コロナ患者の数は春をはるかに上回っていた。そして、看護師たちの心は整理されていなかったし、静まっていなかった。ICUで4、5人の患者を看るのが通常の看護師は30人、40人の患者に立ち向かう準備ができていなかった。

 メンタルな、精神的な休養がとれないまま仕事に向かうことに耐えられなくなっている看護師たちが多くいて、そのためにセラピーを受けなければならない人や、仕事を休む人も多く出ていた。仕事に行けなくて休むと、今度は同僚に負担をかけることでまた苦しむのであった。

 不安、ストレス、鬱病などで眠れなくなり、GPの世話になる看護師もいた。欠勤者も多かったが、そんな中で再び仕事に帰った看護師、自分を奮い立たせて仕事に戻った人も多かった。仕事は春のロックダウンのときよりはるかに厳しく、一人ひとりの患者に注意を向ける余地がなかった。患者数のものすごさ、そして多くの患者が重症だった。

 春には何とか全員でチームとして頑張ったのだが、今度はみんなが消耗し尽くして、次々と死亡していく患者の手を取ってやることもできずに大慌てで死体仮置き場に運び、部屋を消毒して次の患者に備えることの繰り返しで、看護師になったのは何のためだったかのかと自分の気持ちを疑う人もいた。テレビはそんな看護師が死体を冷凍庫のような仮置き場においてから、その場で泣き崩れるのを報道したこともあった。

 そんな中でのワクチン接種の開始であり、それが効果あることを一番に願ったのは彼らであったろう。

国民的英雄となった100歳の退役大尉

 暗く希望のない毎日が続いたコロナパンデミックの中で、唯一と言ってもよい明るい話題が英国の人々を喜ばせた。それはキャプテン・トムがもたらしたものであった。キャプテン・トムの正式な名前はキャプテン・サー・トム ムーアであるが、彼が100歳を前に思いがけず国中の人気者となって、誰もがキャプテン・トムと呼んでいる。

 彼は100歳を前にした99歳の終わり頃、すでに腰の骨の病気や皮膚癌などいろいろな病気を持っていて、歩くのは歩行器を使ってやっとの状態だった。彼は第二次大戦中には戦車部隊に属した軍人だった。そして、昨年4月、NHSのコロナとの闘いを励まそうと決心した。自分の家の庭25メートルを100回歩行器を使って歩く、それを応援してくれる人は献金してほしい、集まった金をNHSに寄付する、というのが彼の意図で、初めは1,000ポンドが目標だった。

 軍服に勲章をつけて、歩行器を頼りに歩く彼の姿がBBCテレビで紹介されると献金はどんどん集まって1,000ポンドはおろか、5,000ポンドになり、5万ポンド、50万ポンドになった。100回が終わるまでに彼の以前の戦車部隊の現役の兵士たちが彼の庭に集まって敬意を表したり、多数の有名人から励ましのメッセージが届いたりして、最終的には3,300万ポンド(49億5,000万円 2021年3月7日現在)が集まり、それはNHSに寄付された。

 その功績に対して、女王からサー(ナイト)の位が送られ、特別な儀式がウィンザー城の庭で催された。彼の100歳の誕生日には15万枚のカードが届くなど、彼の話題は尽きなかった。この寄付金の額は記録に残る限り最大だと言われる。彼はテレビのインタビューなどに自由に出て、人々を喜ばせた。  

 彼は昔ながらのジェントルマンとして、いつもタイとハンカチをきちんとつけ、戦争中の暗い時がそうであったように、今の暗いパンデミックの時も必ず終わる、希望を捨ててはいけないと語った。

 キャプテン・トムは今年1月に肺炎のため入院し、新型コロナウイルスの感染で死亡した。たくさんの持病を持つ彼はワクチンは接種していなかったという。

(註)キャプテン・トムは癌をはじめとしてたくさんの持病を持っていて、そのためにいろいろな治療薬を使っていたために、接種しない方がいいという医者の判断だった。彼自身は自分はコロナ肺炎で死ぬと思うよ、でも死ぬのは怖くないと言っていた。100歳になって、これ以上生きることはないと思っていたようだった。

マークス寿子(マークス・としこ) 
1936年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、東京都立大学法学部博士課程を修了。71年LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)研究員として渡英。76年、マイケル・マークス氏と結婚。英国籍と男爵夫人の称号をもつ。85年に協議離婚。その後、エセックス大学日本研究所、秀明大学教授を歴任して現在ロンドン在住。著書に「英国貴族と結婚した私」「『ゆりかごから墓場まで』の夢さめて」「大人の国イギリスと子どもの国日本」「ひ弱な男とフワフワした女の国日本」「行儀の悪い人生」などがある。2018年4月号まで月刊誌「実業之富山」で「西の島より」を連載。