現地報告・英国のコロナ事情 (1) ジョンソン首相が泣いた日
在ロンドン マークス寿子
1月26日、英国のコロナ感染による死亡者はついに10万人を超えた。そしてジョンソン首相はその夜の記者会見で「これは全て自分の責任だ。申し訳ない。国民に謝罪する」と目に涙を浮かべて頭を下げた。何時も陽気であり、困難に直面してもいい方ばかり見ていると評されるボリス・ジョンソンのこんな表情はこれまでテレビで見たことがなかった。
さらに、首相は全力で責任を果たすため、今後どのようにコロナ対策を進めていくか対策マップを発表すると言った。そこには明らかに急速に進められているワクチン接種作戦が含まれていた。さらに閣僚のひとりは、これまでの経過を責任もって纏めて公開し、今後間違いを犯さないためのレッスンにしたい、と誓った。
翌日の新聞はみな(と言っていいだろう)首相の涙のにじむ目に苦しそうに唇を結んで俯く姿の写真を載せた。そして、様々な論評も載せられた。いわゆる「ボリス嫌い」と呼ばれる人達は「ボリスは首相としての能力がない」と言ったが、それならば、誰ならばもっと良くやれたかということには触れなかった。
公平な立場から論評した人達は、まずボリスが他の誰かを責めることなく、すべて自分の責任だと言ったことについて「政治家として、首相として、稀だ」と褒めた。その上で、確かに多くの間違いがあった、それはボリスだけの責任ではなく、医療顧問やNHS(国民健康医療制度)のトップの責任だったと言って、その間違いを挙げた。何人もが共通して間違いとしたものは二つか三つに纏められる。
第一はロックダウンが遅すぎたこと。第二は国境閉鎖が遅すぎたこと。
しかし、どちらも同じところに原因がある。2020年の初めには、コロナウイルスがパンデミックを起こすとは誰も思っていなかったのだ。コロナウイルスによる病気はすでに12月の初めに中国の武漢で見られた。どのように発生したのか、何が原因かを中国政府は公表しなかったし、実際それが分かっていたのかどうかは不明である。
どちらにせよ、私達はテレビで、武漢で何百人もの肺炎患者が発生して、急いで収容用の病棟を建設しているという報道を見た。さらに、武漢が閉鎖され、街全体が消毒されるのを見た。急いで武漢から逃げ出した日本人が空港で検査を受けるのも見た。次いで横浜に豪華なクルーズ船が停泊させられて乗船者が日本に降り立つことを禁じられたというニュースが来た。船内にコロナ患者が出て、コロナウイルスが拡がっているからであった。そんなニュースの全てが特殊なケースとして受け止められ、それがパンデミック(世界的感染)になるとは思わなかった(特別にそのような病気を研究している医学者以外は)。
WHO(世界保健機構)のトップでさえもパンデミックではないと言ったのを私はよく覚えている。それが20年の1月のことで、その1月末には英国で初のコロナ感染による死者が出たのであった。そして1年間足らずで10万人を超えた。
最初の患者は中国からやってきた学生二人であった。この二人が肺炎の症状で病院に担ぎ込まれたとき(二人は英国北部のヨーク市のホテルに滞在していた)医者も周囲の人もそこから感染が拡がって、英国全土が巻き込まれるようになるとは考えもしなかったのだ。だが、事実はそうなった。
国境閉鎖も考えず、ロックダウンも考えない間に感染は拡がり、特に老人が感染し、この異常な肺炎にいったんかかると、回復は難しく死亡した。それが一挙に死亡者が増加した原因だった。英国中にある老人用のケアホームで毎日何人もの死者が出た。ひとりの感染者から次々と拡がったのだが、若いケアラーは感染していても症状が出ずに老人の面倒を見て感染を拡げた。認知症のある老人たちは、後にロックダウンになって、距離を置くなどの制限が出されても、それを守ることができなかった。
(註)新型コロナウイルス=Covid-19
新型コロナウイルスと称する理由は、以前にもコロナウイルスが存在したが、それは酷い病原菌ではなかった。同じコロナでも今回は猛烈な病気を引き起こす。そこで、これを新型と呼ぶ。Covid-19はその学名である。
マークス寿子(マークス・としこ) 1936年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、東京都立大学法学部博士課程を修了。71年LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)研究員として渡英。76年、マイケル・マークス氏と結婚。英国籍と男爵夫人の称号をもつ。85年に協議離婚。その後、エセックス大学日本研究所、秀明大学教授を歴任して現在ロンドン在住。著書に「英国貴族と結婚した私」「『ゆりかごから墓場まで』の夢さめて」「大人の国イギリスと子どもの国日本」「ひ弱な男とフワフワした女の国日本」「行儀の悪い人生」などがある。2018年4月号まで月刊誌「実業之富山」で「西の島より」を連載。