キルギスからの便り(17) 長い冬

在キルギス共和国 倉谷恵子

 「キルギスって雪が降るの?!  暖かいところだと思ってた」。現地の雪景色の写真を見せるとおどろかれた。緯度は北海道と同じで、暑い国、寒い国と単純に分けるなら寒い国に入るのだが、中央アジアという響きからは暖かな草原をイメージするのかもしれない。

 この冬の日本海沿岸地域は新年早々の豪雪でおおいに混乱した。私は久しぶりの雪かきの後遺症で一時、鉛筆さえ持てなくなり、いまだ痛みが消えていない。キルギスで過ごしていた昨冬、一昨冬は北陸でほとんど雪が降らなかったと聞いていたから、コロナで日本に戻っている年に限ってなぜ大雪に見舞われるのか、と空を恨んだ。

 日本国内でも沖縄から北海道まで天気はかなり異なるが、自分が住む地域以外の空模様にはあまり関心を向けないから、いわんやキルギスのように名前も聞いたことのない外国の天気など知る由もないだろう。「雪が降るの?!」と言われて当然である。

 今回はそんなキルギスの冬について記したい。
 同地の新年度は9月に始まる。赴任した9月1日に空港に降り立つとすでに涼しい風が吹いていて、長袖のブラウス1枚だと日没後は肌寒いくらいだった。日本なら9月は残暑で、半袖で十分な日も多いが、キルギスに残暑という感覚は薄い。日中、日の当たる場所で汗ばむことがあっても日陰に入ると涼しいし、朝夕は冷え込む。

 11月に入るとすぐ、小中学校は10日間程の秋休みになる。日本では読書の秋、学問の秋と呼ばれ、頭が冴えて勉強に身が入りやすい時季に休むのはもったいないと思う。しかしキルギスの11月はもう初冬で雪が降り始める。本格的な寒さに備えて体調を整えておくために子どもたちには休みが必要なのだろう。

 初年度には10月下旬に早くも初雪が降っておどろいたが、ロシア語の先生いわく「こんなことは毎年ではないし、昔はこれ程早くに雪が降ることはなかった。異常気象じゃないかしら」とのこと。10月の雪は早すぎるとしても11月には確実に冷え込むから厚手のコートやブーツの準備は必須である。

 秋休みが終わると同時に学校に暖房が入り、以降3月まで外はかなりの低温になる。現地の知人によるとこの冬はマイナス20℃近くになる日も多いという。私が滞在していた2年間はどうやら暖冬だったようで、冷凍庫のような寒さは体験しなかった気もするが、それでも氷点下は日常的で早朝や夜に外を歩くと顔が凍りつきそうな気がした。

11月下旬、日の当たらない細い路地は全面が凍りついていた。

 平地の雪はどんなに積もっても10~20センチ程度で、本格的な雪かきは必要ない。ただ日中の気温が上がらないため一旦積もったら長くとどまり、表面が凍ってつるつるになる。高齢者や足の悪い人にとって冬の道はなかなか辛そうだ。実際、凍った道で滑った拍子に頭を打って亡くなる人も少なくないらしい。私も思いきりおしりを打って痛い目にあったことがある。大人には通りたくない道だが、子どもたちにとっては絶好の遊び場だ。わざと凍った場所を何度も通り、長靴スケートを楽しんでいた。

 凍るのは車道も同じだから車の運転も大変だと思う。日本なら融雪剤をまいてスリップを防止するが、キルギスの道路では違うものをまいていた。何か?茶色いものだ。答えは、土。砂か土なのか判別しにくいが、いずれかに間違いない。頻繁にまくわけではないし、日本同様に塩化物の融雪剤をまいている所もあるのかもしれないが、少なくとも私の住む地域の道では時折土をまいていた。

 この様子を見て納得した。キルギスではアスファルトで舗装された道路でも年中、土ぼこりが立っている。未舗装の道や周辺の敷地から飛んでくる土の影響もあるだろうが、冬にまいた土が春になっても残り、車がまき上げて走るからだろう。

 キルギスの冬の装いにニット帽はつきもので、頭を温めることが鉄則のようだ。ホームステイをしていた時、まだ寒さの厳しくない9月でも「シャワーを浴びた後はしっかりタオルで頭を包みなさい」と言われ続け、熱でも出そうものなら「髪を濡れたままにして頭を冷やしていたからよ」と指摘された。

 確かに頭を守るの は大切だが、一方で疑問を持ったことがある。手袋をはめる人が極端に少ないのだ。多くの人が素手のままで、ポケットに手を突っ込んで歩いている。需要がないためか手袋を売っている店も非常に少ない。厚手の靴下ならたくさん並んでいるのに。頭は温めるのに手は温めなくていいの? 手袋をはめない理由を尋ねても「指を動かしにくいから」、「面倒だから」という漠然とした答えばかり。キルギス人は皆、手が冷えないのだろうか。

暖房する季節になると各家庭の煙突から灰色の煙がもくもくと漂う。

 外は極寒でも一歩建物の中へ入れば暖かい。カフェでは半袖になっている若い男性もいる。キルギスの暖房は一般家庭も公共施設もすべて集中暖房(セントラルヒーティング)である。建物内にめぐらされたパイプに温水を循環させ、要所に設置されたラジエターから熱が放出される。温水をつくって地域一帯に供給する施設があり、アパートやマンションなどはその施設から温水を引いている。一軒家では石炭や薪を焚いて個別に温水をつくる場合も多い。建物全体がほぼ均一に暖まって風もなく空気は汚れないし、ラジエターは極端に熱くならないから安全性が高く快適だ。

 ただしこの暖房、最新の設備の整った先進国で使えば申し分ないはずだが、キルギスでは手放しで喜べない側面がある。ひとつは大気汚染の問題だ。温水をつくる熱源の多くは石炭で、冬になると各所の煙突からもくもくと灰色の煙が吐き出される。これに年中稼働している火力発電所や工場の煙も混ざるので、冬の空気は他の季節より汚れているように感じる。旧ソ連時代から変わらない古い設備のままで、煤煙をしっかり処理できないのだろう。こんな所にこそ日本の煤煙処理技術を導入してもらいたい。

 もうひとつ残念なのは停電になると暖房も止まること。熱源は石炭であってもシステムを動かすのは電気だから。セントラルヒーティングに限らず電気で働く設備の宿命だが、停電がまれな先進国であれば深刻な問題ではない。しかし私が住んでいる地域では停電が頻繁に起こっていた。昨年4月上旬に思いがけず雪が降り、気温が1℃の日があった。そんな日に限って停電が発生し、寒い部屋で電気ポットも使えずにお湯も飲めず、しばらくコートを着込んで体を動かしてしのいでいた。日本でも昔は停電が結構あったと聞くが、キルギスで停電がなくなる日はいつ来るのだろう。

 寒い冬には風邪も流行る。ピーク時には児童が1クラスに5、6人しかいない日もあった。体調を崩さないよう現地の人から注意されたのが「冷たい飲み物は口にしない」ことだった。日本人がお腹や頭の痛みを訴えると必ず「冷たいものを飲んだのではありませんか」と尋ねられた。実際、ホームステイ先で、きんきんに冷えたビールを飲む姿を一度も見たことがないし、他の家庭でもミルクティーの牛乳は必ず鍋で温めていた。

 乾燥した気候もあってキルギスの人たちは日本ほど厳重に冷蔵庫で食品を保存しない。必然的に冷えたものを口にしなくなるだけで、すべての人が健康に配慮している訳ではないだろう。それでも人工的に低温に置かれたものより、常温のものを口にした方が体にストレスがかからなくて理に適った習慣だと思う。

 特に意識していた訳でもないのにその習慣だけは身についてしまい、日本に帰ってきてからというもの冷蔵庫から出したばかりの牛乳や麦茶などは冷たくて口にできなくなった。おかげで体調が整いました、とまでは言えないが、咳も鼻水も出ずお腹もこわさずに過ごせているのだから効果はあるのかもしれない。

 あ、違う!風邪をひかないのは、いつもマスクをつけて、人と会わない生活が続くからだ…。

 コロナ退治は容易ではない。しかし凍った危険な道さえ遊び場にしてしまうキルギスの子どもたちのように、昨今の重苦しい空気の中にも自分なりの楽しみを見つけてこの冬を乗り切ろう。春は必ずやってくる。