とやまの土木―過去・現在・未来(48) 富山が生んだ測量技術者-石黒信由の多角網
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科准教授 星川 圭介
本コラムの14回(2019年8月14日号)で、江戸末期の越中で活躍した測量技術者である石黒信由について、その技法や成果の概要について紹介しました。今回は石黒信由が地図の精度を高めるために用いた技法について、もう少し掘り下げてみましょう。
加賀藩の命により、現在の富山・石川両県の範囲を高い精度で表した「加越能三州郡分略絵図」(天保6年;1835年)は、信由の代表的な成果の一つと言って間違いありません。いわゆる「伊能図」とは異なり、内陸の集落の位置や道、河川などが詳細かつ正確に描写されていて、思わず目を見張ります。

図1 「加越能三州郡分略絵図」(天保6年;1835年)
外部リンク:高樹文庫「加越能三州郡分略絵図」https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1621115100/1621115100100010/3-1-A17v2/
図1にその全体を示していますが、高解像度の画像が射水市新湊博物館/高樹文庫「石黒信由関係資料」として公開されているので、是非ご覧になってみてください。身近な地名が正確に配置されていて驚かれると思いますが、図名の通り、三州分を合わせて一枚の図にするにあたって、これでもかなり省略されたものです。省略前の原図ともいえる「越中四郡村々組分絵図」(文政8年;1825年)はさらに詳細です。
外部リンク:高樹文庫「越中四郡村々組分絵図」
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1621115100/1621115100100010/3-1-BI14v2/
道線法による地図作り
「加越能三州郡分略絵図」のための測量(三州測量)は、文政2~5(1819~22)年にかけて行われました。当時、広域の地図の作成には、第14回でご紹介した「道線法」を用いるのが一般的で、三州測量もこの方法によるものでした。三州測量での道線法の様子は、野帳(現場メモ)の清書として郡別に12の冊子にまとめられており、実際にどのように測量を進めていったのか、窺い知ることができます。

図2 「三州測量図籍」射水郡高木村周辺
大きな〇は村の位置を示す。〇の中の文字は各村が属する郷庄の頭文字。方位は十二支と端数(1から29度)の組み合わせで表記されている。
外部リンク:高樹文庫「三州測量図籍」射水郡
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1621115100/1621115100100010/1-2-0766_10/
射水郡の野帳の中から、石黒信由の生家のある高木村周辺を記したページを見てみましょう(図2)(上記リンクでは10ページ目)。大小の〇が測点、〇の間を結ぶ線が測線で、その横に距離や方位を示す文字が記されています。例えば、一番下中央付近にある「高木」から観測して「布目」は亥3度(磁北を0として時計回りに318度)の方位、3町(約327m)の距離にあるということを意味します。このようにして互いの相対的な位置関係を求めることにより、地図を作成するのです。
次にページ全体に目を移すと、東西方向に横断する2本の測線があり、その測線上には、漢数字で通し番号が付された小さな〇が並んでいることに気づきます。この線はページを超えて続いている、いわば測線の「幹線」です。測量範囲を貫く骨組みを作りながら、その両側(南北)の村々の位置などを求めていったのでしょう。
交会法による補正
方位と距離の測定には必ず誤差が生じます。道線法のように、求めた点の位置からさらに次の点の位置を求めるということを繰り返せば、位置のずれは測定回数に従って累積していきます。三州測量のような広大な範囲を道線法の繰り返しで横断すれば、全体の位置歪みは極めて大きなものとなるでしょう。

図3 多角測量と誤差
大枠を精度よく求め、順にその間を埋めるようにすれば、全体としての歪みは小さくなる。三角点で言えば一番大枠が一等三角点で、以降、二等、三等、4等と枠組みが細かくなる。
道線法と似た測量方法である現代の多角測量では、誤差累積を防ぐために路線上の測点(座標未知点)数をなるべく少なくすることが求められており、広域にわたって詳細な測量を行う際には、図3に示した通り、大きな骨組みを作ったうえで、徐々に間を埋めていくような方法を取ります。ただし大枠を作るには、数キロメートルに及ぶ直線距離を一度に求める必要があるため、多角測量で広域の測量が行われるようになったのは、かなり近年になってからです。信由の時代には、まったく異なる方法で枠組みの測量を行っていました。

図4 交会法の仕組み
2つの目標物の位置が正確に特定されている場合は、観測点の位置が定まる(左)。
目標物の位置情報が正確ではない場合は、多くの目標を観測することによって交点の平均位置として観測位置が推定される(右)。
「高木」の左上に「高木村ヨリ視ル」とあり、その横に様々な目標物への方位が記されています。目標物の位置が正確にわかっていれば、2つの目標物に向けた方位の線が交わる点として、図上で観測点の位置が求まります。これは「交会法」と呼ばれる方法で、現代の測量でも使用されています。信由のころは、目標物の正確な位置まではわかっていませんが、それでも多くの目標を観測することにより、複数の交点の平均的な位置として、観測点を推定することはできたはずです(図4)。

図5 射水郡と砺波郡における交会法実施地点
婦負郡の野帳には、なぜか交会法に関する記述はない。
また、様々な点で同一目標を用いた交会法を実施することにより、目標物の位置の精度も向上したとも考えられます。交会法はそれぞれの点の位置を独立に求めるものですから、誤差の累積がありません。三州測量では、主に測量範囲の周囲や国境で実施されました(図5)。これを外側の枠組みとすることで、誤差の累積による全体としての大きな歪みを抑え込んでいたのです。