とやまの土木—過去・現在・未来(44) 変貌する川の姿
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授 高橋剛一郎
変わりつつある川の景観
1960年代半ば頃より富山県、特に東部の川を見てきた。最も身近に見てきたのは片貝川であり、その支流の布施川では子供の頃にアユ釣りをしていた。黒部川にもよく行ったが、ここの流れは子供が水に入って川遊びをするには少々ワイルドであり、眺めるかグミ取りをしていたくらいであった。
川には一方ならず関心があるので、自動車、電車に限らず通りかかれば川を見ずにはいられなかった。そうしたことから、富山の河川、特に県東部の河川は1960年代以降見続けてきたことになる。1969年のお盆頃には、黒部川の権蔵橋西詰から上流遠くに見慣れぬものを見つけ、それが直前の洪水によって対岸に流された愛本橋の残骸であることがわかったときは大いに驚き、いまだに強い印象となっている。
黒部川は、河原にはかつてはアキグミのような丈の低い植生は所々にあったが、ヤナギやハンノキといった通常河原に多い木本はほとんど見られず、河原一面白っぽい石が中心の河原を遠くまで見通せる川であった。権蔵橋から数百メートル以上隔てて遠くに愛本橋の残骸を見ることができたのはそのためである。
この原稿を書くにあたってあの時とほぼ同じ場所に行って見通してみた。両岸沿いに樹木が繁茂しており、おそらくこの状態ではあのときのように橋の残骸を確認することは難しかっただろうと思われた。また、電車で黒部川を渡るときにみる河原の光景は、かつては白く広く広がった河原だったものが次第に河原の中に緑が目立つようになってきた。
地形学者として長年黒部川を観察してこられた池田宏先生とこのことについて話したことがあるが、1990年代頃より次第に変化が目に付くようになったのではないかということで概ね一致したように記憶している。
このように、たかだか数十年の間に、川の姿が変わってしまうということが実際に身近に起きている。何気なく見ているだけでは、また数年程度の時間尺度ではわからないかもしれないが、注意深く数十年単位で河川を観察すると河川の姿かたちは変わってきている。このことは富山の川に限ったことではない。この稿では、川の変貌とそれに関することを述べよう。
土砂と植生と川の姿
川の姿を観察するに際して、まず川の土砂と川のかたちの関係の概略を知っていただきたい。川では水が流れる。洪水時には水の流下に伴って土砂も移動する。流送される土砂は下流域に堆積し、扇状地や低平地を形成する。つまり、河川では土砂がたまった上を水が流れている。
一方、何らかの事由により上流からの土砂の供給量によって堆積する量よりも洗堀、流送される土砂の方が勝ると、河床は低下する。流水は土砂の上を流れると記したが、貯まった土砂の下にはどこかに岩盤があり、洗堀が進行すると岩盤が露出することになる。さらに岩盤が柔らかければ岩盤自体が削られることになる。つまり、河川の姿は上流から流送される土砂の量の多寡によって影響されている。
河川地形学や土砂水理学の知見によると、流送土砂量が多くなると川の流れは一筋ではなく複数の流れが形成される。二筋にとどまらず何列もの流れが併存し、俯瞰すると流路に挟まれた中州が鱗のように見える景観をもたらす。洪水時にはそれらの流路は拡大し、幅広く洪水流が流下する。そのような環境では中州に侵入した植生は頻繁に洪水に見舞われ、安定した植生は定着できない。黒部川や常願寺川のような土砂流出量の多い扇状地河川の河道に形成される景観である。
富山の川の姿とその変貌
黒部川では近年河道に木本群落が侵入している。写真1は河口から5~6km付近を撮影したものである。上流に見える橋は北陸高速自動車道の橋である。2015年には中州に高さ数メートル以上の樹木が侵入しているのがわかる。河川管理者は治水上の観点から河道内の植生を除去しており、この地点も伐採等により半世紀くらい前の黒部川の姿に近づいた。ここでは人為的に植生が除かれたが、洪水によって植生が破壊されることもある。

写真1 黒部川北陸高速道路下流部の景観。A、Bはそれぞれ2015年7月、2020年11月撮影。樹林化が進行していたが、河川管理者により植生は除去された。
写真2は早月川の景観である。早月川も暴れ川で、多量の土砂を流送している川である。黒部川同様、かつては河道内に木本群落はほとんどなく、河川全体見晴らしのいい川であったが、近年ここでも河道内への木本群落の侵入が活発になってきた。

写真2 早月川延槻大橋上流の景観(2020年11月撮影)。
ここでは2017年度に筆者の研究室の学生が卒業研究を行い、植生調査も行った。それによれば、樹高に関しては10m以内のものが多いが、最高で20mに達するものも確認された(宮本 2018)。河道内の植生の除去が行われていない河川では、洪水の規模、頻度と河道内への植生の侵入・成長とのせめぎあいによって河道の景観や川の姿が推移する。

写真3 著しい河床低下の例。護岸より下まで河床が低下し、その対策として根継護岸が入れられたが、さらに低下が進行して根継護岸も脱落した(北海道、2002年9月撮影)。
現在の早月川は木本群落が発達し、高木が主体となると洪水流への抵抗力も増し、容易に破壊・流送されにくくなっており、植性の侵入・成長が勝っている状況である。
川の姿の変化でもう一つあげておきたいのが河床の低下である。わかりやすい事例として写真3を示す。これは北海道の河川の事例である。護岸の位置や追加で設置した根継護岸の落下などの状況から、短期間のうちに柔らかい基盤を掘り込んで河床が急速に低下したことがわかるだろう。富山県内ではここまで著しい低下は見たことがないが、いくつかの河川で河床低下の傾向が見られる。
写真4は八尾の町で井田川に合流する野積川の状況である。AとBから、護岸が浮いていること、そしてそれが進行していることがわかる。Cでは基盤の岩盤が掘り込まれている状況から河床低下が生じていることがうかがわれる。野積川の中・下流部ではこのような河床低下が顕在化しているところが散見され、この流域では河床低下が進行していると言える。

写真4 野積川の河床低下の実態。A, Bは下流部にある下川原陽水頭首工直下で、Aは2002年5月、Bは2014年9月に撮影。Cは東布谷付近。(A:大日本コンサルタント提供)。