キルギスからの便り(15) 「赤、白、黄色」はむずかしい⁈

学校そばの住宅街。街路樹や庭木が夕日に染まって輝いている。(2019年10月中旬に撮影)
新型コロナの流行でキルギスへの渡航が延期されているため、思いがけず3年ぶりに日本の紅葉を堪能した。真っ赤になったモミジやカエデを見るにつけ「これぞ日本の秋」と感動せずにはいられなかった。
キルギスでは冬の到来が早く、紅葉の時期も短い。湿度が低いためか植物に潤いが少なく、色づきが芳しくないのだろう。街路樹や住宅街の庭木が夕日に照らされるとそれなりに美しかったが、日本に匹敵するほどの紅葉にはお目にかかることはなかった。毎日散歩していた学校の近くの公園では黄色や赤の落ち葉を見かける間もなく地面は茶色い葉でおおわれていた。

学校そばの公園。紅葉が深まる間もなく落葉し茶色い落ち葉で覆われている。(2019年10月中旬に撮影)
春は花見、秋は紅葉狩りと称してそぞろ歩く風流はどの国にでもある訳ではない。時間を割いて眺めるほど自然が美しいからこそ、日本にはそんな習慣があるのだと改めて思った。
黄色や赤など色の話をしていると「チューリップ」の歌を思い出す。キルギスへ赴任した初めての年、入学間もない小学1年生に最初に教えた歌だ。歌詞は「咲いた咲いた チューリップの花が 並んだ並んだ 赤 白 黄色」。赤、白、黄色。この字面を見て普通は何も思わないだろう。
でもよく考えると赤と白は「色」と付いていないのに黄だけはなぜ「色」が付いているのか。また花という言葉を修飾する場合「赤い花」「白い花」とは言っても「黄い花」とは言わない。さらに緑や紫を引き合いに出すと「黄色い花」とは言っても「緑色い花」、「紫色い花」とは言わない。「緑の花」「緑色の花」(そんな花は見かけないが…)、「紫の花」「紫色の花」と言う。
赤白青黒などは「い」で終わる形容詞になるが、緑や紫に「い」をつけても形容詞にはならない。色を表す言葉になぜ違いがあるのか。専門家以外はほとんど知らないし、疑問に思うこともない。日本人には簡単な色表現も外国人にとっては少々複雑かもしれない。
こんなことを考えたのも、チューリップを歌いながら子どもたちに日本語で色を教えたからだ。当初は特に色を教える意図はなく、メロディーと歌詞がやさしくて子どもが歌いやすそうな曲を選んだだけだった。マジックで赤、白、黄色に塗った下手なチューリップの絵を見せながら歌っていたが、白や黄色のチューリップはあまり目立たず、今ひとつ視覚に訴える効果が低かった。
ある日、試しに赤い服を着た子ども、白い服の子ども、黄色い服の子どもを1人ずつ選んで黒板の前に立たせた。歌いながら「赤、白、黄色」の歌詞の部分で3人の洋服を私が肩をたたきながら指し示すと、子どもたちは意外なほど喜んだ。そしてほかの子どもたちも自分や友だちのトレーナーやズボン、髪飾りを触りながら「アーカ!」、「シーロ!」、「キイロ!」と言ってはしゃぎ出した。
紙に描いた小さなチューリップの絵を見るより、自分が身につけているものの色を言う方が余程楽しいようだった。低学年の子どもは12色や24色の色鉛筆が手元にあると満足そうで、色を楽しむことが好きだ。彼らだって10年もすれば黒やグレーの服ばかり求めるようになるのに…。
洋服の赤、白、黄色で予想外に盛り上がったので、青や緑、黒など他の色の呼び方も教えることにした。そして「青いものを探してみよう」、「白いものを先生に教えて」などと言いながら、ノートや本、バッグ、ものさし、机、鉢植えなど教室の中のあらゆるものの色を口にさせた。
「アカ」「アオ」「クロ」など色の多くは2音か3音の短い単語なので、どの子もすぐに発音できる。周囲に調子を合わせて口走るだけの子どもが大勢いるので、1人ずつに「これは何色ですか」と尋ねると、青いものを「アカ」と言ったり、赤いものを「シロ」と答える場面もあった。また「クラースニィ」、「ビエリィ」とロシア語を口にしてしまう子もいた。そんな時ふと思った。ロシア語圏の子どもに「赤、白、青…」と教えることは正しいのだろうか、と。
英語なら「red」や「white」など色の単語は名詞と形容詞を兼ねているので「redは赤、whiteは白」の対応で間違いはない。ところがロシア語と日本語では色を表す品詞の使い方が微妙に異なるのだ。
赤いチューリップを前にしてロシア語圏の子どもに「このチューリップは何色(どんな色)ですか?」と質問したり、赤が好きな子どもに「何色が好きですか」と尋ねたら、「クラースニィ(красный)」と答える。これは「赤い」という形容詞だ。日本人の子どもなら普通は「赤」または「赤色」と言い、「赤い」と答えることはまずない。だがロシア語では「赤」を一言で表す名詞はなく、あえて言うなら「色」を意味する「ツヴィエット(цвет)」という単語を付けて「クラースニィツヴィエット(赤い色)」になるが、日常的には使わない。
「白い(ビエリィбелый)」、「青い(スィーニィсиний)」など他の色も同様だ。「白さ」や「青さ」に相当する名詞はあるが日本語で言うところの「白」、「青」にあたる名詞はない。一方で日本語では緑や紫などを形容詞化できないが、ロシア語なら「ズィリョーニィзелёный(緑の)」、「フィアリエタビィфиолетовый(紫の)」などほぼすべての色を形容詞で表せる。
つまり「これは何色ですか」の質問への答えはロシア語だと「クラースニィ」、日本語では「赤」になるが、「赤=クラースニィ」ではない。とは言え6、7才の子どもに「赤=クラースニィツビエット」、「赤い=クラースニィ」と教えるのは複雑で不自然だ。そのうえ「緑」や「紫」は形容詞化できないから「緑の」、「紫の」と教えることになり、さらに混乱をきたす。ロシア語との対応に若干差異があっても「赤、白、青…」と教えるのが一番シンプルである。どうしたらよいか。
そこで私は色の質問をする時に「クラースニィ」や「ビエリィ」などロシア語をなるべく口にしないで、対象物をただ指差すだけにした。子どもの頭の中でロシア語から日本語への変換をせず、ものを見た瞬間に「アカ」「シロ」と言えるようにするためだ。言葉の置き換えをしなければ名詞、形容詞の矛盾は生まれず、「正しい教え方か否か」という疑問も生じない。
言語は「習うより慣れろ」。子どもたちには「名詞はアカ、形容詞はアカイ」と教えるより、日本人が「赤」と言いそうな場面で「アカ」、「赤い」と言う場面で「アカイ」と言える感覚を身に付けてほしい。状況に応じて感覚的に言葉を口にできるようになることが外国語学習の醍醐味だろうと思う。
だがそんな願いもむなしく、半年後、チューリップが咲く頃に再び1年生に色を言わせてみると、青いものを指して「カオ」と言ったり、赤いものを「アシ」と言ったり…散々だった。秋にはあんなに楽しそうに「アカ、シロ、キイロ」と口にしていたのに! 名詞だ形容詞だのと考えあぐねていた教師の苦労など知る由もなく、秋休み、冬休み、春休みを経て、子どもたちの頭の中から色の日本語はすっかり消えていたのだ。
言葉とは毎日聞いて話さなければ忘れていくものである。それでよいのかもしれない。紅葉や桜の花も時がたち風が吹けば散り、翌年また花が咲き葉が色づいて木が成長するように、言葉も忘れて覚えてを繰り返しながら習得していくのだろう。