キルギスからの便り(13) カチューシャ

在キルギス共和国 倉谷恵子

山岳地帯の草原に人影はなく川が流れる。

 キルギスの新年度は9月から始まる。本来なら今ごろは教壇に立っているはずった。しかし実際は日本にとどまっている。キルギスでも新型コロナの流行がいまだ終息しておらず渡航が延期されたためだ。

 心配なのは私のロシア語力である。今のところ現地の友人とのメッセージのやり取りのためにロシア語を多少読み書きするが、聞いて話す機会は少ない。言語は使ってどれだけ、である。使わない環境にいると加速度的に能力が低下していく気がする。

 昨年度担当していた小学2年生のクラスにある日、父親の仕事のため日本にしばらく暮らしていた男の子が転入してきた。彼は転入直後、自然な日本語でよく私に話しかけてきたのだが、2カ月ほどたつとだんだんロシア語で話しかけてくるようになり、簡単な日本語の単語を尋ねても「忘れました」と答えることが増えた。ロシア語とキルギス語だけの生活を続けているうちに日本語の記憶が薄れていったようだ。

 彼の例は他人事ではない。私自身昨年6月に1年目の仕事を終えて一時帰国し9月に再渡航した直後、自分の口と耳にフィルターがかかったのかと思うようなショックを受けた。再会を喜び、満面の笑みで話しかけてくれる現地の先生たちの言っていることがまるで分からず、まともな返答ができなかった。3カ月前には身振り手振りを交えながらも何となく意思疎通を図っていた相手なのに。

 反対にキルギス滞在中は英語の能力が著しく低下していた。ロシア語で話さなければいけないという意識が強すぎたせいか、しばしば英語が口から出てこなくなったのだ。私の脳の容量に限界があったのだろう。第2外国語の引き出しを常時2つ並べておくことはできず、ロシア語を即時に引き出せるようにするには、英語は奥へ押し込まなければならなかった。

 キルギスで英語を話す機会はほとんどないのだが、ごくまれにヨーロッパ系やインド・パキスタン系住民と話すときは英語を使う。ある時など近所に住んでいるパキスタン人に「君は英語があまり得意じゃないね」と言われて、「もともと流ちょうに話していた訳じゃないけれど、これほどひどくはなかった。最近ロシア語ばかり使っているから英語を忘れる」と言い訳をしようとしたら、それこそ「忘れる」「話す」という簡単な意味の英語すら出てこなくて、結局ロシア語で押し通した。

 昨夏の一時帰国の前にトルコのイスタンブールへ寄ったのだが、宿泊先のホテルや店で返事をする時は9割方「Yes」と言えずにロシア語の「Даダー」が口から出てきた。「ありがとう」を伝える時にはロシア語の「Спасибоスパシーバ」と言いそうなところで、頭の中の重いスイッチを切り替えて「Thank you」と言うのが何と困難だったことか。英語を忘れるくらいにロシア語が上達したのでしょうと皮肉を言われそうだが、舌と喉は無意識のうちにロシア語の発音向けにスタンバイしていながら、結局ロシア語も英語も出てこないむなしい状況の方が多かった。

 母国語である日本語に囲まれている今はさすがに「ダー」だの「スパシーバ」だのと口走ったりはしない。しかしごくまれに、あるロシア歌謡を口ずさむ時がある。「カチューシャКатюша」だ。日本では一定以上の年齢の方にはダークダックスなどが歌った日本語版がなじみ深いだろう。最近では「ガールズ&パンツァー」というアニメの中でロシア語の原曲が歌われたそうで、耳にした若い人も多いかもしれない。

 カチューシャはロシア人女性によくある名前「エカテリーナ」の愛称形である。同じ名前に愛称形はいくつかあり、私の学校の児童にもエカテリーナは何人かいたが、いずれも「カーチャ」と呼ばれていて「カチューシャ」と呼ばれている子どもはいなかった。ロシア人の名前は普段、愛称形で呼ぶことが多く、児童の名簿にも正式名ではなく愛称形で書かれていることがある。

 ロシア語がまるで話せなかったキルギス1年目の春休み前後だったろうか。動詞や名詞の活用を覚えていても集中力が続かず、20代の学生のようにロシア語検定や大学の試験などといった目標も持たず、ロシア語学習に対し半分あきらめの境地にあった。正攻法の勉強はしたくないがロシア語の国に暮らしていた証くらいは自分の中に残したい。そんな都合の良い望みを叶えるために立てたのが、「カチューシャ」を歌えるようにするという目標だった。

 この歌を選んだのはメロディーが何となく頭に入りやすく、現地の子どもから大人まで誰もが知っていたからだ。全体で4番まであり、当初はすべて覚える努力をしたのだが、結局歌えるようになったのは2番まで。

 1番と2番を直訳してざっと要約すると「りんごと梨の花が咲いていた。川面には霧が漂い始めた。カチューシャは岸へと向かった。高く険しい岸へ。歌いながら歩いていた。草原の灰青色の鷲の歌を。彼女が愛していた人、手紙を大切にしていた人の歌を」という具合。

 日本語版の歌詞は「りんごの花ほころび 川面にかすみたち 君なき里にも 春はしのびよりぬ 岸辺に立ちてうたう カチューシャの歌 春風やさしく吹き 夢が湧くみ空よ」(関鑑子訳)となっているので、原曲に比べるとかなり抽象的なニュアンスに変わっている。確かに「草原」や「鷲」より「里」や「春」といった言葉の方が日本人には身近で親しみやすそうだ。

 もし日本でこの歌のロシア語を覚えていたら、歌詞の内容はたぶん「遠い土地の話」でしかなかったと思う。しかしキルギスで1年目の仕事を終えた昨年6月初旬、イシククル湖周辺の農村に2週間近く滞在したことで、イメージが少し変わった。

キルギスではりんごや西洋梨などの果樹があちこちに見られる。

 イシククル湖周辺は果物の栽培に適していて、りんごや西洋梨の木は草原の中にも住宅地の庭にもあちこちに見られる。そして牛や羊を放牧させるには十分すぎるほどの草原や牧草地が広がるなかに透明な川が流れ、山岳に近づくと時折上空に鷲が飛んでいる。カチューシャの歌の舞台はロシアだからキルギスの光景と同じではないだろう。それでも旧ソ連の国に実際に身を置いたことで、歌詞に出てくるりんごや(西洋)梨、草原、鷲といった言葉が違和感なく受け入れられ、島国日本の小ぢんまりした柔らかい里山ではなく、大陸的な果てしなく広がる土地の空気を肌で感じた。

 私は普段、歌を聞いて出会いや別れを通した喜び、悲しみなどの感情に関しては共感するが、歌われている光景を目に浮かべることはしない。カチューシャに関しても歌いながら草原の景色を思い出すことはない。それでもこの歌が自分にとって「異国の歌」とも思えないのは、歌詞が生まれた背景を何となく納得した気分になっているからだろうか。

 今も車を運転しながら、洗濯物を干しながら、散歩をしながら、ふと気が付くとカチューシャを歌っている。歌詞の単語の綴りもあいまいなまま、メロディーと音だけが私の頭に残り口からこぼれている。たった一つの歌とはいえ無意識でロシア語を口にしているのだから、ロシア語圏で暮らした証を残すという目標は達成できたと言っていいはず。ロシア語力の低下などと嘆かず、カチューシャを糧に地道に努力を続けようと自分を励ましている。