【最近の講演会より】未来の富山-ビッグデータとデジタル技術がもたらす社会変容-
デジタルトランスフォーメーションとは
科学におけるデジタルトランスフォーメーションに話を移す。「デジタルトランスフォーメーション」とは、「ITの浸透が人々の生活をあらゆる面で良い方向に進化させる」とスウェーデンの教授が2004年に提唱した言葉で、当時はこの言葉はそれほど普及はしなかった。ところがここ1、2年で急速に浸透し、最近は「新しいデジタル技術の活用が新たな価値を生み出す」という意味で使われている。
このデジタルトランスフォーメーションを支えるものは何かと言えば、先ほどから話している情報通信技術やビッグデータ、人工知能、クラウド、ドローン、IoTやスパコンなどだ。ビッグデータやデータ駆動だとか、オープン化、研究プラットフォームなどは全ての科学に共通したキーワードになってくる。
例えばヘルスケア分野では、体にスマートウォッチやセンサーといったウェアラブル端末を付けて、心電図や血糖値などさまざまなものを測って集める。そのほかにゲノムのデータを集めてくる。これをモニタリングして、病気の有無や、個人に合わせてどういう薬を飲めばいいかがわかる時代が来るだろうと予測されている。
農業も土の中にはどのような微生物がいて、どのくらいの肥料があるかをセンサーで測る。根はどういう形で広がっているか、地中深くなのか、横に広がっているかも簡単に計測できるようになってくる。それ以外にも作物の周りの気象状況の観測などさまざまな方法でデータを集めそれを使うことによって従来の農業を変えようとしている。
生物多様性や生態系の研究では、動物の体にセンサーやカメラをつけて、マグロが海の中をどう泳ぐか、ライオンがどう歩いたかを調べる。DNAの解析をはじめ、ドローンや潜水艦を使って自動的にデータを採る。それらのデータを集めて、地球環境がどうなっているかを調べようという動きが起ころうとしている。
Society5.0で実現する社会
日本政府は「Society5.0」を推進している。狩猟社会がSociety1.0、農耕社会がSociety2.0、工業社会がSociety3.0、情報の社会がSociety4.0、ここ10年20年はインターネットや携帯電話といった情報の社会、皆さんが今生きているのが「4番目の社会」だ。
Society5.0では、これまでの社会とどこが違うのか。少子化問題や過疎化問題等、人間が苦労しなければならないことがロボットを使うことで簡単にできるようになるといわれ、健康増進も農業もみな変わっていく。例えば車がどこをどのくらいのスピードで走っているのか、どこで渋滞が起きているのか、どこで事故が起きているのかを全部インターネット上に集めれば、この道は渋滞しているからこの道を迂回をすればいいとか、インターネットなどのサイバー空間と、私たちが実際に動いているフィジカル空間を融合させると、さまざまなことが可能になる。これがSociety5.0である。
この場合もデータの共有とオープン(開示)が重要だ。トヨタの車だけで位置情報を集めるのではなく、日産、ホンダ、マツダ等全部のデータを共有すればより精度の高い、さまざまな予測が可能になる。そのほうが各社がデータを囲い込んでいるよりも良いということがわかってきた。これがデータシェアリング、オープンサイエンス、オープンイノベーションといわれるものである。
2050年の社会像
科学技術の発展によって2040年、2050年の社会はどうなっていくかを予測した研究がある。文部科学省科学技術・学術政策研究所科学技術予測センターが5年に1度出している報告で、ネットで公開されている。社会の未来像として1)ヒューマニティ(変わりゆく生き方)、2)インクルージョン(誰一人取り残さない)、3)サスティナビリティ(持続可能な日本)、4)キュリオシティ(不滅の好奇心)の4つの軸で世の中を見ている。
未来像の1つに「多重人格社会」とあるが、これはバーチャル空間の拡張を通じて、人格が複数存在するようになり、それらを使い分けるようになる社会、また所属する国や社会も複数になるというものだ。この報告書は眺めているだけでも大変面白く、卒業研究のテーマになるくらいだ。
このようなSociety5.0もビッグデータやAI、ロボット、データ駆動によってやってくる。「人間性の拡張した社会」「脱空間社会」「ボーダレス社会」などが未来予測のキーワードとして挙がっている。この中には当たらないものもあるだろう。しかし、自分がこれからどういう職に就き、どういう生活を送るかを考える上で、柔らかい頭と柔らかい心をもって考えてもらいたい。その参考になる情報が「Society5.0 」やデジタルトランスフォーメーションにある。
デジタルシフトの進展と新たな価値観
「Withコロナ」「アフターコロナ」の世界はどうなるかについて、経済産業省の外郭団体NEDOが2020年6月24日に出した報告書がある。
富山に関係することでいえば、居住と就業先が地理的に分散し、地方に広い家をもち、地方からテレワークで働いたりすることが起きるであろうとされている。新しい社会像や社会的価値はデジタルにシフトしていくであろう。
一方で、デジタル化できないものは何で、デジタル化できないがためにその価値が上がるということも指摘されている。デジタル化の弱点として、デジタル化によってその数理モデルに変換されると、模倣されやすくなり、企業としても優位性を失うためだ。「究極のクローズド戦略」、すなわち誰も真似することのできない技術、感性、ノウハウを見つけようとも書いてある。
例えば、バイオリンはデジタル技術によってストラディバリウスの形状再現は可能だが、音の再現はできていないとある。単に真似ただけでは性能を発揮することは困難だとされる。伝統工芸や手作りのものが価値をもつことも記載してある。これから何が生き残り、どういう会社が大事なのかが少し見えてくる。働き方や住むところが変わり、集中型から分散型へと変化するだろう。
教育や家庭の問題も変わる。先生による授業のわかりやすさの違いも白日の下となる。オンライン授業でいいのならば、例えば大学生に数学を教える先生は日本に一人だけでよくなる。だが本当にそれでいいのか。先生の役割は何なのかを当然考えざるを得なくなる。これは先生だけの話ではなく、皆さんも自分がどういう価値を持っているのかを自分で考えざるを得なくなる。
今回、新型コロナウイルスの問題で気付かされたことがたくさんあった。医療、仕事、都市、行政の諸問題をビッグデータ、ゲノム、データ駆動、オープンサイエンス、デジタルトランスフォーメーション、Society5.0等さまざまなキーワードでお話ししたが、これらが社会を変える基盤になり、実際に社会を変えていく。そんな社会を皆さんがこれから生きていくことになる。
方向性は皆同じ。社会の大きな流れとしては必然のことであり、デジタル社会をどこにどう位置付け、どこに楽しみや喜び、生きる価値を見出していくかが問われるだろう。
地方のデメリットはなくなる
最後に、富山県のメリットデメリットと言われていることがITの世界でどう変わるのかも考えてみてほしい。私も答えを持ち合わせているわけではないが、富山に住むことにデメリットはほとんどなくなっていくと考える。東京までの距離も、全てオンラインで行えば距離は関係なくなる。ネットショッピングもその服がどのくらいの肌触りのものであるか、リアリティをもってわかるようにいずれなるだろう。高速なネットワークによって高精細の「モナ・リザ」を目の前で見られるかもしれない。富山にいるデメリットはほとんどなくなる。
逆に言えば、富山も鳥取も山形もどこもデメリットがなくなるということだ。そうであれば、どこにメリットを見出していくのかを考えなければならない。目先のことで価値を最大化するのではなく、5年先、10年先、100年先を考えてほしい。長い目で見て、自分はどういう人生を歩みたいのかを考えながら、物事を進めてほしい。
今日紹介したレポートの中には予想が外れるような話もあるだろう。情報の洪水の中で、自分の頭で考え、何が嘘で、何が大事な話であるかを見極め、未来の自分を考えていただければと思う。(文責・編集部)