キルギスからの便り(8) 「非常事態宣言」の下での生活

在キルギス共和国 倉谷恵子

学校近くの運動施設は立入禁止。人はいない。карантин は検疫、検疫期間、隔離、交通遮断などの意味。貼り紙は「申し訳ありませんが検疫期間中です」という程度の意味。外出禁止になる前日に撮影した。

 部屋にこもって「けん玉」をしています― なぜ、けん玉かの説明は後にして、2020年3月末現在の私だ。

 1カ月前まで「日本は大変だなあ」と対岸の火事のようにコロナウイルス問題を傍観していたが、今となっては感染の危機をひしと感じ、むしろ「日本はまだ自由に人が動き回れるなんて信じられない」とすら思うようになった。

 この原稿を書いている今も刻一刻とコロナウイルスに関する状況は変化し、読者の目にとまる頃には遅れた情報になっているかもしれない。それでも海外に滞在しながらこの問題に直面した現在の様子を報告しておきたい。

 現下、キルギス国内には非常事態宣言が出されている。私は1週間前から通りへ出ていない。外出を禁じられている。窓越しに外を眺めてみても人一人歩いていない。動いているのは街路樹の間を自由に飛び交う小鳥、ごくまれに通り過ぎる車である。聞こえてくるのは鳥のさえずりと番犬か野良か分からない犬の吠える声だ。

 自分一人が閉じ込められているのなら気も狂いそうになるだろうが、キルギス国内に住む人皆がほぼ等しく移動を制限されているのだから、大して苦しいとも思わない。

 3月22日に非常事態宣言が出る以前から、イベントの開催中止、外国人の入国制限、国際線の減便、学校の休校、飲食店の営業制限といった措置が順次取られ始め「なんとなく不自由な環境」が生まれる空気はあった。それでもまだ移動は認められていた。しかし非常事態宣言が発令されると、否応なく身動きはとれなくなった。

 バスやタクシー、飛行機など交通機関は停止。病院と薬局、主要なスーパー以外は店舗も会社も閉鎖。買い物と病院へ行く以外の外出は禁止された。買い物に行く場合も通るルートを記した書類を携帯する義務がある。不用意に歩けば警官の取り調べを受ける。私は学校側から一切の外出を控えるよう言い渡されており、買い物にすら出られない。学校の食堂に備蓄された野菜や肉などの食料を使って料理をしている。

 非常事態宣言は発令時から1カ月続く予定だ。非常事態が1カ月で終わるかどうかは誰にもわからない。JICA関係者や留学生など国際線が停止する前に急きょ帰国した日本人は多いが、一方で帰国しようにも国際線の停止までに手配が間に合わず残った日本人もいる。この状況下では先のことを考えてみても、解決策は生まれない。

錠がかかったままの校門。この門から外へ出ることはできない。通りに人の歩く姿はない。

 私の勤める学校は首都ビシュケクからバスで40分程の郊外のまちにあり、学校の3階にある寮の一室に私は住んでいる。本来なら春休みも終わり新学期が始まって、子どもたちの声でうるさいほど賑やかなはずの校内は静まり返っている。

 原稿を書いている今日は実に良い天気で、雪に覆われた真っ白の山々が窓から見えている。救われるのはキルギスでは好天の日が多いことだろう。雨の日もない訳ではないが2日、3日と続くことはまれだ。太陽の光がさせば人の心も晴れる。

 2週間、3週間とこの状況が続けば心境がどう変化するか分からないが、今のところは苦痛を感じることもない。むしろ感染リスクが減ったことで安心感がある。人との距離を2メートル離すどころか、人とほぼ会わないのだから。

 移動がさほど制限されていなかった2週間前に比べて心境はかなり変わった。学校が休校し、移動の自粛を求められた状態の時は、何だかんだと外出をしていた。動ける状況にあれば人は動くのだ。「食べ物が必要だし、人と会う約束があるし、運動不足になるし…」等々、出歩く理由はいくらでもあげられる。

 しかし今は、外に出て感染リスクにおびえる位ならじっとしていたいと思う。移動手段も断たれ、訪れる場所もなくなり、歩くだけで問い詰められる環境が生まれれば外に出ようとも思わない。一定の場所に留まっていることが最善策であるなら、率先してその方策をとる。自分が感染するか否かより、この事態を早く終わらせたいと願う気持ちが強い。

 1日も早く事態が終息し、国際線も再開して海外にいる日本人が安心して帰国できる状況に戻ってほしい。そのためになら自分にできる努力を惜しまない。「ケーキを食べたいなあ」などとつまらない願望が2日に一度は頭をよぎるが、この事態が終わればいくらでも食べられる。その時はきっとおいしさに感動するだろうから、それまでおあずけだと言い聞かせている。

 人は自らの意思で行動する自由が与えられている。誰もその権利を奪うことはできない。しかし非常時にはその限りではないと痛切に感じる。時に人の行動を強制的に制限しなければ、自主性に頼っていても効果がない。

 なぜ日本は移動や多数の人が集まる機会の「自粛要請」しかしないのだろう。海の向こうから日本を見るにつけ、不思議でならない。「経済」の問題が移動制限を躊躇させていることくらいは分かる。しかし経済は人間が健康に存在してこそ成り立つのであって、人命よりも優先される理由はない。

 たとえ99人が自主的に移動や集まりを自粛しても1人が奔放に動きまわれば感染拡大のリスクは抑えられない。学校の教室で「座りなさい」と指示をしても歩き回る子どもは必ずいる。人とはそういうものだ。抑止する強制力が働かないと、動ける限り動くのである。

 日本国内でも、1日いや1時間でも早く手を打って事態の深刻化を回避することが必要だと強く思う。

 今の私はそれ程苦しくないと言っているが、その理由のひとつはけん玉にある気がする。外出できない生活が始まってから、毎日1時間以上けん玉をする日々が続いている。今までほとんどけん玉をやったことがなく、1週間前までは大皿に玉をのせることすらできなかった。

外出禁止の今、私にとって室内で楽しめるけん玉は気分転換にもってこいだ。

 休校する直前の授業で日本のおもちゃとしてけん玉を紹介したのだが、やって見せようにもできなかった。子どもと一緒に遊んでみると意外に面白いと思い始め「ちょっと練習してみるか」と考えていた矢先に学校は急きょ休みに入った。

 学校がいつ再開するとも分からない状況に置かれると、授業の準備やロシア語の勉強には身が入らない(ロシア語の勉強に集中できないのは今に始まったことではないが…)。「ならばけん玉の練習だ」とやり始めると、とまらなくなった。飽きることなくコンコンと音を立てて練習している。入門者には玉が皿にのり、けん先にささっただけでうれしい。

 けん玉に熱中している最中は「この先どうなるのだろう」とか「自由なうちにもっと観光しておけばよかった」とか余計なことを考えない。気分転換にもってこいだ。

 YouTubeを見たり音楽を聞いたりしても気分転換にはなるが、どうもけん玉をしているときは普段と違う脳の使い方をしているようで、何となく気持ちが良い。動き回らないから大して体力も使わないと思っていたが、1時間以上もやっていると体は温かくなり、ひざを曲げるので太ももの筋肉は使うし、意外に運動になっている。アナログな遊びに改めて感心する。役に立ちそうもないことに時間を費やせるのも、身動きの取れない状況にあるからこそだ。

 置かれた状況を楽しもう、と言えるほど達観はしていない。しかし人は自分の意思ではどうしようもできない状況になったとき、新しい考え方が生まれ、かつて自分が身を置いていた環境を違う角度から見るようになるものだ。

 1週間後の自分はどんなことを考えているだろう。今いるキルギス国内について案じているのはもちろんだが、自分が帰る国、日本のことを一番気にかけていることは間違いない。