キルギスからの便り(7) 折り紙とものづくり
在キルギス共和国 倉谷恵子
よく見てよく考えましょう。角をきれいに折りましょう。友達を手伝いましょう―折り紙を折る際に私が児童に言い聞かせる決まりごとである。
小学生を相手に日本語を教えるには、興味を持たせるためにさまざまな工夫が必要だ。真面目な子どもはどんな授業でも意欲を見せるが、そうでない子どもは「ノートを忘れてきた」と言って書き取りをさぼり、口では「今書くよ」と言いながら鉛筆を持つ気もなく、真剣に手を動かしているなと思えば授業とは無関係の絵を描いている…。大人が相手なら「やる気のない人は出て行ってください」と言えるが、小学生にはそうはいかない。

ひな祭りにあわせて3月初旬に作ったお雛様。
白いコピー用紙で折り、色鉛筆で色を塗った。
歌やゲーム、お絵かきのほか体を動かしたり、写真を見せたりと、あの手この手ですべての子どもが授業に参加しやすい雰囲気を作る。なかでも低学年の児童がもっとも喜ぶのは折り紙だ。「今日は折り紙をします」というと、満面の笑みで「アリガーミ!」と叫び、真面目な子も不真面目な子もクラス全員が手放しで喜ぶ。その度に「アリガーミ」ではなく「おりがみ」だよ、アクセントはないよと言って発音を直す。
節分の鬼やひな祭りのお雛様などを作って日本の文化を教えるのだが、生きた日本語を伝える効果もあると思う。折り紙を折る時に私は日本語だけを使い、ロシア語はほとんど口にしないからだ。文章や言葉を教える通常の授業ではロシア語で意味を言う必要があるが、折り紙の手順は「はいっ、次!見てください。ここを持って中心に向かって、こう折ります」と言いながら手本を示して進める。
子どもたちは手本を見つめながら、意味も分からず「ここ」、「はいっ」、「つぎっ」などと聞こえてきた言葉を口にしている。それを聞きながら、私はやたらと「ここ」や「はい」を頻繁に言っているのだと思い知らされ汗をかく。
折り紙用の紙が豊富にある訳ではないので、普段は白いコピー用紙を正方形に切って使っている。作り終えたら色鉛筆で色塗りをし、マジックやペンで顔や模様を描く。色塗りの楽しさが味わえるので、白い紙もかえって面白い。コピー用紙の切り取った部分は後日、小テストの紙として活用する。
日本語で折り紙をしていればいいのだから、楽な授業だと思われるだろうが、そうは問屋が卸さない。折り紙に慣れていない子どもたちは、簡単な折り方も理解しにくい。手本の折り方を見て手元で再現するには図形の左右、斜め、前後を立体的に認識する能力が必要だ。例えば正方形の紙を三角形にするには対角線を1回折るだけだが、この簡単な折り方もすぐにはできない子どもがいる。
緻密な作業をする機会は少ないからか、角を丁寧に折る子どもはほとんどいない。「低学年なら日本人だってそんなにきれいに折れないよ」とおっしゃるかもしれないが、中高生や大人と折り紙をしても同様なのだ。その上、子どもたちは席に座ってじっと考え、でき上がったら他の子ができるのを待ち、隣の子ができなければ手伝うという「望ましい態度」は取ってくれない。折り方が分からないと即座に「先生、分からない!手伝って!」と言いながら走り寄ってくる。逆に自分で折れた子は自慢げに歩きまわる。じっと座っているかと思えば、あきらめて放棄しかかっている子もいる。
児童20人前後に対し教えるのは一人だから千手観音か聖徳太子にでもならなければ対応しきれない。クラス全員が授業終了のチャイムが鳴る前に仕上げられるよう、各自に目配りをしていると、いつもの授業の倍の体力と声を使うことになる。このままではいけない。折る過程に目をつぶり、仕上げるだけでいっぱいの授業を重ねるにつれ、指導方法を改善する必要性を感じるようになった。
折り紙を通して子どもは何を学ぶのか、私は何を学ばせたいのか。改めて振り返り、文章にしてみた。目的を伝えれば子どもたちの姿勢が変わるかもしれないと思ったから。6~8歳でも理解できそうな範囲で書き出したのが次の文章である。
「皆さん、折り紙は好きですか。折り紙は日本の文化です。何のために授業で折り紙をするのでしょう。単なる遊びですか。いいえ、これは勉強です。十分に考えること、(手本を)注意深く見ること、きれいに正確に作ること、お互いに助け合うことを学びます。先生の手本をよく見てよく考えましょう。あきらめてはいけません。角をきれいに折りましょう。できない友達を手伝いましょう」
ある日の授業でテーマを「折り紙」に設定し、この文章を日本語の普通の速さで何度か読み上げ、その後ロシア語で訳して伝えた。「よく見てよく考えましょう。角をきれいに折りましょう。友達を手伝いましょう」の部分はひらがなとロシア語でノートに書き取らせた。これは私が作ったいわば「折り紙の決まり」だ。信号が青ならわたり、赤で止まるように社会には決まりがある。折り紙の授業も決まりを守れば、理想的といかないまでも、いくらかスムーズに進むだろうと期待した。
翌週、授業で早速折り紙をした。これまでの経験上、最初から期待通りに事が運ばないことは十分に予測していた。やはり相変わらず「分からな~い」と駆け寄ってくる子どもは多く、あきらめそうな子もいた。一方で、できない友達を手伝う姿は増えたし、私が「角は鋭く折ろう。鋭く、鋭く!」と言ったら、面白がって「鋭く、鋭く!先生、鋭くできたよ!」と見せてくるようにもなった。わずかでも変化は見られるから、目的を言葉にすることには多少なりとも効果があると思う。