とやまの土木─ 過去・現在・未来(27) 地形と都市計画

 中心部南の海岸低地においてもイオンモールやロードサイド店舗の展開がみられますが、人口集積地でもある中心市街地との距離が離れていることから、商業機能の大幅な分散が大きく進むことなさそうです。坂の街として知られ、路面電車の利用が多い長崎も、人口分布や商業立地に関しては同様の回廊状に伸びた空間構造が規定要因となっているといえます。

小規模平野の青森市

図6 青森市中心部の地形と交通網、建物分布
国土地理院基盤地図情報および国土数値情報より作成

 九州南端の次は本州北端に飛びましょう。青森市は青森平野と呼ばれる海岸沿いの小規模な平野に位置します。港町として成長し、明治維新の後に弘前から県庁が移って、現在では青森県で最も多い27万人の人口を擁しています。青森平野にちょうどすっぽりと収まる形で市街が広がっていることが図6からは見て取れます。

図7 青森市のDID人口密度とDID面積

 1960年ごろまで青森市の市街地は青森駅周辺に限られ、1平方キロメートル当たりのDID人口密度は13,000人近くと非常に高密度でした。青森市も富山市と同様終戦間近の空襲により灰燼と帰していますが、復興事業により市街地が拡大した形跡はあまり見られません。このあたりの事情については改めて調べてみたいと思います。しかし1960年代以降は高いポテンシャルを解き放つかのようにDIDは急拡大し、人口密度も低下します(図7)。

 鹿児島市より人口密度が低下してもDID拡大が頭打ちにならないのは地形的制約が比較的少ないためでしょうし、1980年代にかけては中心市街地へのアクセスの良い西側の緩やかな丘陵に宅地が広がっていきます。しかし図6にみられる通り、建物の広がりはおおむね平野の縁に押しとどめられる形であり、そう遠くない将来に市街化区域の余白が埋まった時点で DID拡大ポテンシャルと地形条件とが釣り合う形になるのではないでしょうか。5,000人台後半というDID人口密度は現在の地方都市として決して低い水準ではありません。

図8 居住地と費用・利便性

 青森市が鹿児島市と本質的に異なるのは、小さいなりに平野が平面的(2次元的)な広がりを持つ点です。新しく形成された市街も旧来からの市街も地形条件に違いはなく、各所からの交通アクセスの点でも同様です。中心から郊外に向かって平野を南下する国道103号線はロードサイド店舗の立地に好適でしたし、青森自動車道と並走する国道7号線バイパスも同様です。鹿児島と違って郊外と中心市街地の間で利便性や造成費用は変わらず、郊外のほうが地価は安い(図8)。こうなってしまうと新しく形成された市街のほうが生活するうえで有利であり、青森駅周辺の中心市街地がその地位を取り戻すのは容易ではないでしょう。

無制約の富山平野

図9 富山県の地形とDID
国土地理院基盤地図情報および国土数値情報より作成

 最後は富山県です。おなじみの地形ですが、DIDの範囲と重ねてみると、これまでの地域と全く異なる状況にあることがよくわかります(図9)。DIDは2015年のものですが、地形との関係でいえばまだまだ拡張の余地があるようです。実際、富山市におけるDID人口密度は一平方キロメートル当たり4,000人に漸近しており、DID面積はなおも増加を続けています(図10)。

図10 富山市のDID人口密度とDID面積

 さらに驚くべきことは、1960年の時点ですでにDID人口密度が7,000人を割り込んでいることです。当時の空中写真を見ると富山駅北側の奥田周辺などで農地を残しながらの希薄なまちなみがすでに形成されており、これがDID人口密度を低下させていることが分かります。そしてその端緒は昭和21年に始まった郊外における公営住宅の建設にあったようです。

 そこには戦後の住宅難を迅速に解決するため、まとまった土地があり、地価が安い郊外が選ばれたというやむにやまれる事情が存在していました[3]。いずれにしても郊外に向けて空間が開けていたことが、郊外における公営住宅建設とそれに続く民間開発を後押ししたことは間違いないところです。

 都市計画にとってより本質的な富山県の特徴は、氷見市を除くすべての自治体の中心市街が、富山平野という一続きの平野に存在していることです。東西を結ぶ高速道路や国道8号線、複数の広域農道といった交通の発達もあって、この平野は地形にほとんど影響されないフラットな場となっています。

 郊外に住めば周辺のいずれの市街地に行くにも便利です。近年増えている郊外型商業施設へのアクセスが良いことはもちろんです。都市インフラや公的サービスの維持、自動車交通による環境負荷という公益的視点に立てばそれぞれの中心市街地周辺にまとまって居住したほうが良いに違いありませんが、地形条件や現況の土地利用からすれば郊外居住により得られる利便性のほうが高いといえるでしょう。ある種の市場の失敗といえます。

 地形条件による制約がなくとも法制度によって土地利用を規制・誘導する手段は用意されています。しかし市街化調整区域等の規制は複数の自治体が同一の平野に同居する状況にあってはほとんど無意味といわざるを得ません。どうしても規制の緩い地域に居住や商業立地が流れてしまうからです。また市街化調整区域自体も形骸化が進んでいます。補助金によって誘導するにしても、郊外立地・居住によって得られる利益・利便性との差を埋めるだけの金額とする必要があります。

それでは富山県においてどうすれば中心市街地に居住や商業を呼び戻し、コンパクトなまちづくりを進めることができるのでしょうか。それには公益性はさておいて、地形的制約もないのにわざわざ集住することで得られる個々人としての利益が何なのかを根本から問い直す必要がありそうです。

参考文献
[1] 岩松 暉「シラス災害」
https://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/oyo/ppt/lecture/shirasu.pdf
[2] 的場裕也(2020)「沿線地域において路面電車が果たす役割の定量化」富山県立大学卒業論文
[3] 富山市史編さん委員会(1987)「富山市史 通史 下巻」富山市

ほしかわけいすけ

滋賀県出身。京都大学農学研究科卒業後、総合地球環境学研究所、京都大学東南アジア研究所、同地域研究統合情報センターを経て着任。空間情報解析および農業土木を専門とする。測量士。