キルギスからの便り(1) ユーラシア大陸の中央にある親日国

在キルギス共和国 倉谷恵子

アルティンアラシャン渓谷から見える景色。白いテントは「ユルタ」と呼ばれる。キルギスで遊牧民が使っていた伝統的な移動式住居

 キルギス共和国―この国の位置を地図上で正確に指差せる人はどのくらいいるだろうか。聞いたことがなく「本当に存在するの? 独立国?」と疑う人さえいるかもしれない。

 キルギス共和国(キルギス)は1991年に旧ソビエト連邦から独立した、中央アジアの国だ。国土面積は日本のおよそ半分、人口は約1/20で、農村では人よりも羊や牛、馬を見かける頻度の方がずっと高い。公用語はロシア語、国語はキルギス語で、英語はほとんど通じない。

 周辺国は東に中国・新疆ウイグル自治区、北にはカザフスタン、西にウズベキスタン、南にタジキスタンがある。中央アジア諸国はユーラシア大陸のそれこそ「中央」にあたる地域だが、近年直行便が飛ぶようになったウズベキスタンがシルクロードの要所を巡る観光地として注目を集めるようになった他は、詳細な情報を耳にする機会はほとんどない。日本人にとってはまだ関心が薄い地域だが、実は日本語学習者が少なくない親日の国々だ。

 私は昨年9月から、キルギスで小中高一貫校の生徒たちに日本語を教えている。日本人からは時々「JICA(国際協力機構)か、それとも何か国のプログラムで働いているのですか」と聞かれるが、そうではなく、現地の私立学校との直接契約で働いている。

 給料は現地の教員と同程度の額で支払われるので、当然、日本の給与水準と比較にならないおどろくほどの小額だし、渡航費も自費だ。足が出ているのだから、実質はボランティアである。一人でマンションやアパートを借りる余裕はないから、住環境の選択肢も限られる。言葉もできず右も左も分からない赴任初日から、ホームステイでキルギス人の家族と寝食を共にし、現地の生活に飛び込んだ。

 日系企業の一員として、あるいは公務で海外に赴く場合は日本から給料をもらうから、物価の低い国であれば現地でかなり高水準の生活ができる。青年海外協力隊にしても同様で、さらに彼らは赴任前に現地の言語を習得する機会を与えられる。

 だが私の仕事には金銭的メリットも言語習得のサポートもない。学生や退職者なら、このようなボランティアをすることにも、「勉強になる」、「社会貢献ができる」といった動機があるだろう。しかし将来に備えて貯蓄にいそしまなければならない現役世代の自分は本来、ボランティア生活を送っている場合ではない。

 私は、72年続いた月刊経済誌「実業之富山」が紙媒体として発行されていたつい最近まで、取材や編集業務に従事していた。学生時代の家庭教師以外に、人に勉強を教えた経験はなく、子どもをかわいいと思ったこともない自分には、教師は避けたい職業だった。

 ではなぜロシア語もキルギス語も話せず、見返りもないのに、縁もゆかりもない旧ソ連の国へ来て、教師として日本語を教えているのか。時々自分自身に問いかけてみるが、今も明確な答えは見つからない。

 一つ言えるのは、出版業務も日本語教師も言葉に向き合うという共通点があること。その一点だけを自らの強みととらえて自分を激励している。 

 昨年9月から今年6月までキルギスで経験した初めての年度は、すべてが手探りの毎日だった。言葉ができないまま、生活習慣や文化、ものの考え方がまったく異なる国のなかで未経験の仕事に挑戦し、言語学習も並行して行うのだから、とにかくその日一日を乗り切るだけで精いっぱいだった。

 たった一言が理解できなくて、現地の人とのコミュニケーションを棒に振ることも珍しくなかった。時間の無駄としか思えないような行動の連続で、振り返れば「充実した日々」には程遠く、気がつけば10カ月が過ぎていた、というのが実際のところだ。

 

 旧ソ連から独立した中央アジアの国々について、日本ではほとんど知られていません。キルギスで暮らし、働くなかで感じたことを、これから日記のように綴っていきます。西側の先進国にいるとあまり知ることのない世界について、わずかながらも日本の皆さんに伝われば幸いです。