裁判員制度創設の苦い思い出
しかし、結果的には、但木氏の口車に乗せられたようなものだった。裁判員制度の内容をどうするかについてはいくつかの難問が鋭く対立したままだったうえ、来年の通常国会に法案を提出することが政府の方針であるため、10月までの半年間で法務省、裁判所、日弁連の意見を調整し、与党(自民党、公明党)の了解を取り付けるというのが、小委員長に課せられた任務だったのである。
私は裁判員制度創設そのものに反対なのだから、こんな仕事をする立場にはないが、今さら逃げるわけにもいかない。裁判員制度導入が決まっている以上、その中で少しでも問題の少ないものにするために全力を挙げるしかないと思わざるを得なかった。
第1回小委員会で私は「小委員会の役割は裁判員制度の導入の是非ではない。導入は決定済みのことであるから、どういう内容のものにするかについて意見を取りまとめる場である。従って、裁判員制度は導入すべきではないという意見は差し控えてもらいたい。そのうえで自由に意見を述べてもらいたい」とあいさつした。議論の混乱を避けるためであったが、同時に導入に反対の自分に言い聞かせるためのものでもあった。
小委員会は夏を挟むわずか半年の間に20数回、開催した。これは自民党では極めて異例の事である。裁判員制度の導入はやむを得ないとしても、日弁連、保岡議員などの初めに裁判員制度ありきの議論ではなく、なるべくたくさんの意見を聞きたいと考えたからであった。初めの頃には小委員会に参加する議員の半数は法務関係議員以外の議員が占め、その多くは裁判員制度の導入そのものに反対の意見が多く、なかなか制度の内容に関する議論にならなかった。
そこで、議論を整理するため、検討項目別に議論してもらうことにした。
例えば裁判員が参加する裁判の対象となる事件の範囲、裁判員の選任方法、裁判員が参加する裁判の公判手続きという具合である。裁判所、日弁連のほか、経団連、連合などからも意見を聴取したと思う。外国の類似の制度(欧米の参審制度、米国の陪審制度)の説明も何度かにわたり聴取した。しかし、議論が収束する兆候はまるで見えなかった。
小委員会の議論と並行して私自身も猛勉強をした。私が最も重視していたのは国民のほとんどが裁判員制度の導入に反対であり、裁判員になってもいいという者は皆無に近いという事実であった。また、自民党内でも一部の法務族を除いてはほとんど賛同する者はいないという事実であった。国民に受け入れてもらえないような裁判員制度は意味がない。反対する人たちに裁判員制度を導入しないとこんな悪いことになる、あるいは導入すればこんないいことになると説明できるようになれるだろうか、というのが、私の最大の問題意識だった。その答えの糸口を見つけられないかと考えながら説明を聞いたり議論をした。
そのため、事務局(内閣に置かれていた司法制度改革本部)に裁判員制度導入についての私の疑問に関する日弁連など関係者の主張、現行裁判制度との相違、外国制度などの資料を整理してもらい、説明してもらった。短期間にこの作業をするのは大変だったろうと思う。特に法務省から出向していた検事の大野、辻両君は優秀で(大野君は法務省事務次官、検事総長を歴任し、辻君は現在法務省事務次官を務めている)、実によくやってくれて感謝している。両君とは毎日のように議論し、多大の苦労を掛けたが、議論の後飲みに行くことも多かったのでいい思い出である。
両君の説明を踏まえて最高裁、法務省、日弁連の人たちの意見を聴取した。特に裁判員制度導入を主導している日弁連とは何度も会合し、私の反対の理由、裁判員制度に対する疑問点を直接ぶつけ、それに対する考えを聴取した。その中から国民に説明できる(私自身が納得できる)ものを見出すことができるのでないかと期待したからである。また、日弁連も反対の声を踏まえて日本に相応しい裁判員制度を考えてくれるのでないかとも期待していたのであった。
これらのために3カ月を費やし、お陰で問題の構図はそれなりに把握することができたが、どうしても、裁判員制度の導入は我が国の法感覚にそぐわないという思いを断ち切ることはできず、国民に説明する自信を持つことはできなかった。日弁連との意見交換の中でいい考えができるのではないかという期待もむなしかった。
日弁連は国民のほとんどが裁判員制度導入に反対していることなど全く意に介せず、先進諸国は裁判に市民が参加する制度を設けており、そういう制度のない日本は遅れていると強調するのみであったからである。わずかに、日本でも大正時代に陪審法が制定されていたのだから日本人の法意識にそぐわないということではないと説明してくれたが、外国ではみんなやっていることだし、昔には日本にもあったのだから賛成しろと言われても国民が納得するとはとても思えない。
導入反対の自分が報告書のまとめに張り切ったワケ
多くの国民は、市民による裁判といえば西部劇のシーンや人民裁判を連想し、公正な裁判を保証するものになるとはとても思わないだろう。敗戦前に我が国に陪審法が存在したことは事実だが、ほとんど実行されないままに廃止されたのであり、それに戻そうという説明が説得力を持つとはとても考えられない。
日弁連との意見交換で今も記憶に鮮明なことがある。私が、国民は裁判員になりたくないと言っているのに、法律で無理に強制しても円滑な運用は困難で混乱が起こるのではないかと質問した時の事である。日弁連の答えは「日本人はお上の命令には従順だから法律ができればみんな喜んで従いますよ」「裁判員になることは徴兵と同じで国民の義務ですから」というものだった。私には、この人たちは国民を愚民視し上から目線でものを考えているのかと思えたことだった。
いずれにしても小委員会の議論でも、関係当事者との意見交換でも、合意を見出す見込みは立たない状況だった。裁判員制度の内容をどのようなものにするかについての議論は多岐にわたり、かつ、極めて専門的なものであったので、詳細は述べないが、象徴的かつ最大の争点は裁判員裁判において裁判員の数、公判廷の構成をどのようにするかということであった。この問題は、裁判員裁判における判決の決定の主導権を裁判官と裁判員のいずれが握るかにつながる問題である。従来は裁判官3名で審理が行われ、判決はその多数決により行われていたが、裁判員裁判においては裁判官、裁判員のいずれが多数を占めるかが判決を左右することが予想されるので重大な対立点であったのである。