とやまの土木─ 過去・現在・未来(5) 公共用水域の水質と下水道

富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授 楠井 隆史

 本稿では、筆者の専門である廃水・下水処理にからめて、前稿に引き続き水質にまつわる話として、公共用水域の水質と下水道について述べたい。

「公害のデパート」から「水の王国」へ

 1960年代から1970年代にかけての高度成長期に、富山県では水質汚濁、大気汚染、粉じん、悪臭など様々な産業公害が頻発し、その有様は「公害のデパート」と称されたほどであった。富山県立大谷技術短期大学に衛生工学科が開設された1963年(昭和38年)はまさにその時期であった。設置者の先見の明というべきか。当時の状況をあらわした雑誌の記事を紹介する。

 「工業化の促進に熱中する県側にとっては、汚染のデータで迫る衛生工学科の存在は、ある意味で”鬼子”に見えた時期もあったらしい。しかし、時代の流れは急だった。垂れ流し企業にとっても、監督官庁にとっても、公害対策は欠かせなくなり、衛生工学科の卒業生はその要員として引っ張りだことなった。」(出典:小松恒夫、300万人の大学(72)富山県立技術短期大学、朝日ジャーナル、1980.9.12)。

 その後、水質汚濁防止法などの法整備が進み、企業も本格的な公害対策にようやく取り組むようになった。この時、公害対策を現場で支えたのは衛生工学科の卒業生たちであった。

図1 富山県内の主要河川の水質の推移(年間75%値)

 こうした取り組みの結果、有機物汚染の指標、BOD(生物化学的酸素要求量)でみると、工場地帯のある小矢部川(河口)の水質が大幅に改善されてきた。他の主要河川も同様に改善されてきた(図1)。近年では6年連続で河川、湖沼、海域ともに環境基準の達成率100%を維持しており、まさに、「水の王国 富山」の面目躍如といったところである。

ヒトと自然の架け橋:下水道

 こうした公共用水域の水質の改善に一役かっているのが、下水道である。生活汚水や工場排水などを収集して、浄化した後に、海や河川に放流する(戻す)のが下水道の役割である。まさに「人と自然の架け橋」といえるであろう。下水道の心臓部ともいえる下水処理場は、下水道法では「終末処理場」と呼ばれているが、イメージアップのために、浄化センター、クリーンセンター、水再生センターなどと命名されることが多い。

写真1 富山県初の下水処理場(牛島浄化センター、散水ろ床法)
中央の柱を中心に吊り下げられたアームから下水を砕石(ろ床)の上に散水しその勢いでアームがメリーゴーランドのように回転するユーモラスな処理法. 

 富山県では、第二次世界大戦後に高岡市(1947年)、富山市(1948年)などから順次下水道事業が着手されてきた。最初に運転を開始した下水処理場は、富山市の牛島浄化センター(1962~1990年、散水ろ床法、写真)、二番目が高岡市の四屋下水処理場(1965年、活性汚泥法)である。富山県内の下水道普及率も平成元年(1989年)の26%から平成29年(2017年)の89%へと飛躍的に伸びてきた。

 下水処理では、まず、下水中の固形物を沈殿除去し、次に、細菌や原生動物などの微生物の働きにより有機物を除去し、最後に、浄化された水と汚泥(微生物の塊)を分離する。こうした原理に基づき、多くの下水処理場で用いられている処理法は活性汚泥法である。1913年に英国で開発され、100年余を経た現在でも世界中で用いられている。

 開発当初は微生物に関する知識が乏しかったため、活性のある汚泥(activated sludge)が短時間で汚水を浄化するとして、活性汚泥法と命名された。後に、混合微生物の集団の塊(活性汚泥)の中に生息する細菌や原生動物が浄化能力を担っていることが解明された。この処理法で、下水中の有機物(BOD)や固形物(SS)が90%以上除去される。

下水道の課題:合流式下水道

 下水道の普及により公共用水域の水質が改善された一方、解決すべき下水道の課題がある。

 その一つが、合流式下水道の改善である。富山市や高岡市の一部では下水の排除方式として、「合流式」を採用している。合流式は雨水も汚水も区別せずに一本の下水管で下水処理場に運ぶ方式であり、降雨量が多くなって処理場の能力を超えると、汚水の一部が越流堰から河川に放流される仕組みになっている。
 
 早くから下水道整備を始めた東京都や大阪市などの大都市では、経済性(二本の管を敷設するより一本の管の方が安い)などの点から合流式を採用してきた。しかし、降雨直後に合流管の中に堆積した汚物が洗い出され、高濃度の汚水が放流されることが明らかとなり、その後、原則、「分流式」が採用されるようになった。

 合流式下水道の問題が再びクローズアップされる契機となったのは2001年にお台場海浜公園に正体不明の「白い塊」が漂着した事件、いわゆる「お台場事件」である。調査の結果、「白い塊」の正体は合流式下水道から雨天時に排出された固化した食用油であった。マスコミにも取り上げられて社会問題となり、ついに国も全国192都市にある合流式下水道の改善に乗り出した。

 富山市の中心部を流れる松川や高岡市の千保川でも、合流式下水道による臭気や汚水の残渣などが地元の人々の間では問題となっていた。国の動きを受け富山市、高岡市でも、下水管内に雨水を一時的に貯留する貯留管や吐き口からの放流水中の夾雑物の除去装置を設置するなど、合流式下水道からの放流量・放流回数を大幅に減らす改善計画に取り組んだ。

写真2 完成した松川貯留管管内(富山市上下水道局提供)

 富山市では、中心市街地に合流式下水道区域約277ヘクタールがあり、これまで集中豪雨で処理しきれない下水が松川に流れ込み、浸水被害も頻発した。そこで、富山市は市中心部の集中豪雨対策として2012年から松川雨水貯留施設の整備を進めてきた。富山市の丸の内1丁目の旧市立図書館本館南側から西町のTOYAMAキラリまでの延長約1069メートルで、地下約20メートルに直径約5メートルの貯留管(雨水約2万トンを一時貯留)(写真2)を埋設した(総事業費約56億円)。1時間降水量58ミリの豪雨時に浸水面積を3割減らす効果があるといわれている。2018年5月12日に竣工式が開かれ、地元代表ら関係者約60人が浸水被害の軽減や松川の水質保全につながる施設の完成を祝った。

 ちなみに松川貯留管(Φ5.0~5.4m、L=1069m)の建設にあたっては富山市では初となる5メートル規模のシールド工事が行われた。城址公園を発進基地として、発進立坑を掘削し、そこにシールド機(Φ6.16m)を設置し、ジャッキで推し進めながら地盤の掘削が行われた。

エネルギー資源としての下水道

 課題のもう一つは、汚泥処理の問題である。下水を処理すると、沈殿除去された固形物や引き抜かれた活性汚泥などが “汚泥 ”として発生する。2013年度(平成25年)で富山県全体の下水処理から発生する汚泥総量は、年間85.3万m3(含水率97.8%)に達した。汚泥処理(濃縮・脱水)により減量化し、さらに乾燥・焼却処分などをして最終的には、3万8千トンを最終処分している。

 陸上埋め立ても最終処分方法の一つであったが、埋立地不足によりこうした処分が困難になってきた。そのため、汚泥の持っているポテンシャルを活かしたリサイクルが求められている。

写真3 溶融スラグとそれを用いた製品
左:溶融スラグ、右:インターロッキングブロック

 二上浄化センター(高岡市)、神通川左岸浄化センター(射水市)では下水汚泥を1,350℃以上の高温で溶融処理をしている。有機物は完全に燃焼し、無機物も溶けて、最後にはガラス状の塊(スラグ)が残る。スラグ中の重金属はガラス構造に閉じ込められて溶出しない利点がある。このスラグはコンクリートの骨材など建設資材に用いられている(写真3)。

 これ以外のリサイクル法として、セメント原料、コンポスト(堆肥)がある。2013年度のリサイクル率は84.4%(発生時固形物量)である。

 下水汚泥をエネルギー資源として利用する取り組みが黒部市で行われている。下水汚泥だけではなく、ディスポ―ザー生ごみ、事業系食品残渣(コーヒー粕)をメタン発酵させてバイオガス(メタンガス)を取り出し、処理施設のボイラー燃料やマイクロタービンの燃料として用いられ、処理場内の熱源・電力の一部を補っている。

 紹介した事例以外にも、県内では下水処理水の熱エネルギーを利用した融雪や冷暖房熱源としての利用、せせらぎなどの水辺空間の創出、落差を利用した小水力発電などが取り組まれている。国レベルでは、高齢化社会を見据えて、紙おむつの収集・処理システムとしての下水道の活用が検討されている。今後、社会インフラとして下水道の役割の再定義、下水道資源のさらなる有効利用の開発が進むことが予想される。

くすい・たかし
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授。兵庫県西宮市出身。東京大学工学部都市工学科衛生工学コースで、水処理工学、下水道工学などを学ぶ。1982年富山県立技術短期大学衛生工学科助手となり、1990年富山県立大学短期大学部助教授を経て現職。生物応答を用いた水質評価を指標として生態系への影響の少ない排水処理法と排水の影響削減法の研究を主たるテーマとする。工学博士。

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