【最近の講演会より】味・匂いセンサーの開発で生まれる新世界

国立政策研究大学院大学人材問題研究会

2022年9月13日
講師:九州大学高等研究院特別主幹教授 都甲 潔氏

 

 味と匂いの両方を研究し、センサー開発まで行っているのは世界中で私の研究室だけだろう。味覚センサーは33年前に特許を出願し、30年前に初号機ができた。改良を重ねて外見も性能も進化し、その間にインテリジェントセンサーテクノロジー(インセント)と味香り戦略研究所(味研)というふたつの会社もできた。インセントの味覚センサーは600台以上売れていて年間売り上げは約5億円。味研では官能検査やコンサルタントをしており、コロナ禍でもよく儲かっている。ベンチャーは5年で5%しか残らないと言われる中、20年続いているのだから健闘していると思う。

 味と匂いはどう違うか。味細胞で受け取られるのが味で、嗅細胞で受け取られるものが匂いだ。同じ物質でも、例えばアミノ酸などは人間にとって味覚細胞で感じる「味」だが、魚は「匂い」として嗅細胞で感じる。サケはアミノ酸の匂いを頼りに川を遡上しているという。

 人が味を感じるためには、濃度がppm(100万分の1)以上必要だが、匂いはppb(10億分の1)~ppt(1兆分の1)と非常に薄くても感じられる。麻薬検知犬などはさらに高い感度を持っている。また人が持つ味の受容体は30数種類だが、匂いの受容体は約400種類で、犬だと800種類は持っている。

 味覚は嗅覚より高度な感覚で、味覚障害には精神的なストレスが要因として入ることがあるが、嗅覚障害にストレスは関係ない。ストレスがたまってくると舌には苦を抑制する物質が出てくるので、同じ人が同じコーヒーを飲んでも今日は苦いと言い、明日は苦くないと言うかもしれない。

 また味は人間が先天的に持っていて、酸味と甘味、苦味、うま、塩味の5つの基本味のうち酸味と苦は毒のシグナルだから赤ちゃんは嫌がり、甘味やうまはエネルギー源と認識して好むが、匂いは後天的に学習して身に付けるので、赤ちゃんは強烈な糞臭の中でも平気な顔をしている。

味は舌で、匂いは脳で認識。新商品開発に活用される味覚センサー

 そして5つの基本味は舌で受け取った時点で決まるので味は舌で感じるものだが、匂いには基本臭がないので鼻ではなく、脳で認識している。私たちが普通匂いと言っているのは1種類の物質ではなく複数の物質が混ざったものであり、それを脳まで送って過去の情報と照らし合わせてパターンとして認識している。だから匂いセンサーでは工学的にAI(人工知能)を使わざる得ないが、味覚センサーではAIを使っていない。

  味と匂いのこうした違いを踏まえてそれぞれのセンサーを開発している。味覚センサーは舌を模して作られていて、固形物を液状にして計測し、センサー1本1本で5つの味に分解して電圧として出力する。いわゆる”コク”と呼ばれる後味の数値化もできる。

 様々な食品で味のレーダーチャートを作ることができ、例えば市販されているビール類の各銘柄を計測して横軸にキレやドライ感などの酸味、縦軸にモルト感を表したものを見ると、発泡酒は本当に苦くないし、リキュールはとてもバランスがとれていることが分かる。世界各国のビールの銘柄では苦の幅が広いことが一目瞭然だ。ワインでも同様にテイストマップを作ると、フランスの有名なワインは渋みの余韻があるとか、日本の安価なワインは酸味が強いとか、多くの人が感じる通りの結果が出ている。カップラーメンのスープを調べると、日本の商品は塩味とうまが両方強く、ベトナムの物はけっこう薄いので、日本の商品が当たり前と思ってベトナムに売り込んでもヒットしないだろう。

 今やこうして味を目で見ることができ、JAL機内のコーヒーやシャトレーゼの低糖質低カロリーのどら焼きなど、民間企業は新商品開発で積極的に味覚センサーを活用している。また味覚センサーでは人の嗜好も知ることもでき、顧客の購買履歴や味のアンケート回答結果などのデータをもとに店頭で好みのワインをすすめてくれるアプリや、これまでに分析された様々な食品のデータの蓄積を生かして商品開発を支援、コンサルタントするサービスも実用化されている。

 麦茶に牛乳と砂糖を混ぜるとコーヒー牛乳そっくりになることが知られているように、味はバーチャルなものだ。味覚センサーで分解した5つの味を別の適当な物質と分量で組み合わせれば本物のような味を作れるので、テレビが光の3原色で視覚情報を再現するように、味覚情報もいつでもどこでも再現できるようになるだろう。 

研究開発中の匂いセンサー、実用化なれば用途は工場、医療分野にも広がる

 匂いセンサーは現在、パナソニックと研究開発の段階にある。カーボンブラックに分子認識材料として16の異なる物質が塗り分けられており、16チャンネルそれぞれが反応し、電気抵抗として現れた出力パターンから、機械学習によってその空気の状態を認識し何の匂いなのか判断する。ピロール、ベンズアルデヒド、ノナナール、フェネチルアミンのモデルガスでは94%、ウイスキーなどの酒類も9割以上の正解率である。

 センサーの数を16から32に増やせば正解率は100%近くに上がるので今後はチャンネル数をもっと増やしていく。機械学習の学習頻度はひと月に1回程と少ないので、企業や施設内での据え置きも十分に可能だ。ガスクロマトグラフィーよりずっと安価で小型、持ち運びができ、実用化されれば用途は実に広い。

 例えば各種電線の焦げ臭を認識して配線の劣化による火災を検知したり、変圧器の油の匂いの変化から性能劣化を判断するなど工場でも活躍するし、匂いによる疾患の診断、トイレなどの衛生管理、現在は犬を使っている被災者探知や爆発物、麻薬、毒ガスの探知など考えられる分野は多い。特に医療関係で使われると市場規模は格段に大きくなると予想される。

 スマホに匂いセンサーや味覚センサーが搭載されれば、写真を撮って画像を送るのと同様に匂いや味の情報も送れるようになる。おばあちゃんの手料理の味を離れた場所にいる孫が再現して味わうことも可能になるだろう。ただし、それはあくまで近似のものだ。テレビも白黒からカラーになり、デジタル化してどんどん真実味が出ているが、決して本物ではない。私たちがどこで満足するかである。 

 私の研究室には民間や行政から様々な相談が寄せられる。中には学生に実験させることはできないような重大な課題もある。味と匂いについてはこの研究室でしか対応できないのだ。

 理学には真実があり、多くの研究者はその真実を知ろうとする。だが工学と人生に真実はなく、あるのは現実だけ。味も匂いもまさに私たちにとっての現実だ。目の前にある現実のみを追究していくのが私の道である。

文責・編集部)