キルギスからの便り(26) カレンダー活用法

日本語教師 倉谷 恵子

 暮れも押し迫った。新しい年のカレンダーを用意する頃だ。文具や紙製品が豊富で、1年先の予定までしっかり立てる日本では書店や雑貨店に多種多様なカレンダーが並んでいる。キルギスで売られているカレンダーの種類はごくわずかだし、部屋にかけておく必要性もまったく感じなかったので、日本の売り場を見るとカレンダー需要の高さに改めて感心する。

 ところでカレンダーにはメモできるように余白がとってあるものが多いが、私は予定を手帳に書き込んでいるので、自室のカレンダーには何も書かず、いつも真っ白のままで1年が過ぎていた。分厚い紙だとメモ用紙用に小さく切るのも面倒だから年が終わるとそのまま廃棄することになる。

 そんなものだと思っていたのだが、今春、何気なくカレンダーを眺めていると、ふと「もったいない」という思いが湧いてきた。何かを書いて余白を埋めようか。何を書こう。手帳の中身と同じ予定を書いてもつまらないし、日記や落書きには狭すぎる。日付と曜日の確認以外の第2の役割を持たせたい。突然の思いつきで「書くべきもの」を探した。すぐに答えは見つかった。

1日に1つロシア語を書き込んだカレンダー。すべて覚えれば1年で365の単語が頭に入るはずだったが…。

 ロシア語である。一日に一単語ずつ、その日にあった出来事に関連する言葉や頭に浮かんだ言葉など動詞、名詞、形容詞など品詞を問わずに書き入れ、そして記憶するのだ。

 実に素晴らしい思いつきのように思われた。毎日違う言葉を書けば、365の単語でカレンダーが埋められ、頭の中にインプットされるのだから。もしかするとこんな風にして単語を覚えている人は世の中にたくさんいるのかもしれない。ああ、もっと早くに気づけば良かった、と思った。

 その日からほぼ毎日、単語の書き込みを続けた。疲れた日や忘れた日は書かないこともあるが、後日にその分は埋めた。書きっぱなしでは覚えられないから、ひと月が終わると翌月の初旬に「復習テスト」をすることにした。まず前月に書き込んだ30ないし31のロシア語を見て日本語訳を白い紙に書く。

 この時点ですでに半分近くの単語はきれいさっぱり意味を忘れている。書き込んだ当日の出来事に関連があるかもしれないので、その日のことを思い出そうとするが、過ぎ去った日々は忘却の彼方にあり、手掛かりはほとんど得られない。仕方なく辞書を開き、意味を確認して「そんな言葉、書いたかもしれないなあ」と半信半疑でおぼろげに思い返す。

 日本語訳が終わったら、次はその横にロシア語を書く。ついさっきカレンダーを見て日本語訳を確認したばかりだから正解率は高いはずである。

 しかし、いざ書き始めると思い出せずに手がとまったり、覚えていたとしても発音の似ているоとаやр(アール)とл(エル)を混同したりする。綴りの間違いはまだ良い方で、答え合わせをしてみると自信満々で書いた単語がまったく別の言葉だったりもする。カレンダーの書き込みを始める以前から何度となく使用していた単語すらもまともに書けない。散々な結果になり初回の復習テストで早くも意気消沈した。

 その後2カ月程は復習テストを継続していたが、やがてテストに割く時間もなくなり、気持ちの面でも後ろ向きになって、まったく復習をしなくなった。カレンダーを有効活用できる素晴らしい思いつきだと喜んでいたのもつかの間、半年もしないうちに、書き込むだけで365の単語が身に付くというのはまったくの幻想だと分かった。

 言葉を覚えるには毎日読み返したり、書いたりと相応の努力が必要である。外国語の習得に近道がないことは、ロシア語を学び始めてから嫌というほど身に染みていたはずなのに、簡単に成果をあげようと目論んでいた自分が間違っていた。

 そうは言いつつも1日1語の書き込みだけは今も続けている。復習もせず記憶する努力もしていないけれど、真っ白のままでカレンダーを廃棄した時に「もったいない」と感じる後ろめたさからは逃れられると思うから。

 それだけではない。カレンダーを見た時に自身の手で書いたロシア語が目に入ってくると、何となく毎日勉強をしているように感じられて少し気持ちが良くなる。頭には入らなくても、書き続けていれば筆記体の書き方がきれいになっていくのではないか、という役にも立たない側面に期待を寄せたりもする。他人様には理解されないような自分だけが感じる、ささいな幸福感で一時みたされる。

 目下の悩みはこのカレンダーを年が明けてからすぐに捨てるか否かである。捨てる前に書き込んだ単語を見直すべきだろう。さらにノートかメモ帳に書き写してマイ単語帳を作ったらよいだろうか。いや「新しい紙を使うくらいなら1日1語をその日のうちに頭にインプットしてしまいなさい。単語帳など要りません」ともう一人の自分に叱られそうだ。

 成果が上がらない自己満足であったとしても、今後も1日1語の書き込みは続けるつもりだ。継続は力なり。来年もまたカレンダーの中に積み重ねるロシア語の世界を楽しんでいきたい。

 С наступающим(ス ナストゥパーユシム)!良いお年を。