キルギスからの便り(25) スメタナ
日本語教師 倉谷 恵子

プラスチック容器にたっぷり入ったスメタナ。バザールで買った当日は生クリーム状だった。
キルギスからの便り(22)でカッテージチーズに似た食べ物の「トヴォログ」について記したが、今回はもうひとつ、こちらにない乳製品「スメタナ」を紹介したい。日本ではスメタナを「サワークリーム」と説明されるが、トヴォログがカッテージチーズと同じではないように、スメタナもまたサワークリームとイコールではない。
詳しい製法を知らないのでいい加減なことは書けないけれど、バザールでスメタナを売っている店頭には必ずトヴォログも置いてあり、スメタナの副産物としてトヴォログができるらしい。一概には言えないが、日本のサワークリームがどちらかと言えばヨーグルト寄りの風味だとすれば、スメタナは生クリームに近い。コクがあってさわやかな味だ。
ロシアはもちろん旧ソ連圏や東欧ではきわめてポピュラーな食べ物で、シチューやスープに添えたり、ブリヌイと呼ばれるクレープに塗ったりする。単独で食べるよりも料理を引き立てたり、調味のために使われることが多いようだ。
トヴォログに混ぜて食べる人も多く、そのままではぽろぽろで食べにくいトヴォログがスメタナによって滑らかな口触りになる。分離させて別々の製品にしたものを改めて一体化させたのだから、おからに豆乳を加えるがごとく、おいしくなる道理だ。

ボルシチに添えるのがスメタナ(左)の使い方の定番
ぺリメニというロシア版水餃子にもよく添えられるが、私は透明なスープに白いスメタナが入って濁ることが何となく許せなかった。味は決して悪くないので、きっとぺリメニ自体に飽きてそう感じたのだと思う。一方、ボルシチに加えるのは大好きだ。真っ赤なスープにスメタナが入ると絵具を混ぜたようにピンク色になって愉快で、ビーツの酸味が中和されてぐっと食べやすくなる。その際にスメタナを塗った黒パンもあればなおうれしい。
学校の食堂などではボルシチにわずかなスメタナが最初からのせられて出てくるのが何となく残念だった。まずはスメタナなしのボルシチを一口、二口食べてから、おもむろにたっぷりのスメタナを入れるのが私の好みだけれど、スメタナの量と投入するタイミングを望み通りにするには自宅で食べるしかない。
スメタナはロシア語である。キルギス語では「カイマック」という。辞書にそう書かれているし、スーパーで売られている製品のパッケージにも「сметана(スメタナ)」と「каймак(カイマック)」が併記されている。
でもキルギス人は時々「スメタナとカイマックはちょっと違う」と言う。何が違うのか尋ねても「カイマックの方がおいしい」とか「スーパーでスメタナなら買えるけど、カイマックはどうかなあ」とか「カイマックは純粋だけどスメタナはそうじゃない気がする」というあいまいな説明ばかりで、明確な違いが分からない。
「純粋ではない気がする」というが、スーパーで買うスメタナにしても添加物などは使われていない。例えれば日本のスーパーで売られている「プレーンヨーグルト」にも生乳100%の製品と、脱脂乳なども含まれている製品があるようなものだろうか。一部のキルギス人が便宜的に使い分けるスメタナとカイマックの違いが今ひとつ分からずにいた。
しばらくして、その違いを自分なりに理解できる日が来た。バザールの入り口付近で自家製のトヴォログとスメタナを売る店をのぞいた時のことだ。トヴォログはあらかじめビニール袋に小分けして並べているが、スメタナは注文を受けてから200ミリリットル程のプラスチックカップに注ぎ入れていた。注ぐ?そう、液体である。
それまで食べたことのあるスメタナは、どんなにやわらかくてもバターナイフですくえる固体だった。しかしそこで売られていたスメタナはどろっとした液体だ。カップにほぼ目一杯に入り、簡単なふたをしたものが手渡され、これを上手に縦に保ったまま持ち帰らないと、こぼれてしまう。
なんとかこぼさずに寮の自室に到着し、早速スプーンですくってなめてみると、濃厚でありながらいくらでも食べられる。ほとんど発酵しておらず酸味はない。日本だと純粋な乳製品は高価だから、コーヒーに入れたり果物にかけたりと少量を色々アレンジして使うことを考えるだろうが、安価に手に入るキルギスではそんな発想にならない。スメタナだけをひたすら口に入れ続け、さすがに食べ過ぎたらお腹をこわすと我に返ってふたをしめた。
翌日カップの中をみると、すでに固まっていた。おなじみの固体のスメタナだ。だがやはり酸味はほとんどない。濃厚なディップを作るような気分でナッツやドライフルーツを加え、冷たくないアイスクリームさながらに食べた。
スーパーで売っている製品とは味が違う。なるほど、キルギス人はきっとこれをカイマックと呼んで通常のスメタナと区別しているのだ。確かに「おいしい」、「バザールでなら買える」、「純粋で何も加えられていない」という意味も分かる。
自家製のスメタナ、いやキルギス人が言うところのカイマックが実においしいものだと改めて感心したが、一方で、生まれて初めて口にする味とも思えなかった。なぜだろう。キルギス滞在中は分からなかったが、今、冷静に振り返ってみて気付いた。
このスメタナ(カイマック)は日本で言うところの「生クリーム」だったのだ。厳密に言うと「空気に触れながら自然に乳酸発酵してスメタナになりつつある生クリーム」である。
実はキルギスのスーパーで生クリームと称するものを目にしたことがなく、酪農が盛んな国でバターもヨーグルトもチーズもあるのに、なぜ生クリームが売られていないのかと不思議だったが、今になって謎が解けた。「広義のスメタナ=生クリーム」だったのだ。
日本で生クリームといえば製造工場でしっかり衛生管理されパックされたものであり、乳脂肪の含有量も調整されている。酪農家による作り立てをおそらく殺菌もしていないプラスチック容器に目の前で注いでもらって購入する機会など皆無だ。キルギスで食べた自家製スメタナ(カイマック)つまり生クリームの味に感動したのも当然である。
今回、この記事を書くにあたって改めて日本のサワークリームや生クリームを食べようと思い、スーパーの乳製品売り場をのぞいてみた。すると、食品添加物や植物性脂肪が含まれた生クリーム類似製品ならたくさん置いてあるのに、生乳だけでつくられた純粋な生クリームやサワークリームはなかなか見つからず、あっても数が非常に少なかった。需要と供給のバランスが反映されているのだから仕方がないか。
キルギスには日本ほど豊富にチーズケーキやシュークリーム、プリンなどのスイーツはなかった。でも目をつぶっていても純粋な乳製品を簡単に手に入れられた。日本とキルギスどちらが本当の贅沢なのか。問いたくなるが、日本の生活を楽しむためにも、比較するのはやめておこう。