《一言半句》表紙は替わったが・・・ 日本の政治は変わるか

 本の表紙は、その本を買うかどうか判断するときに重要な役割を果たす。タイトルと表紙デザインに興味をもってもらって初めて本を手に取ってもらえる。ところが、同じ表紙でも政党の表紙となると、どうもややこしくなる。

 「表紙を替えないと戦えない」「表紙を替えただけだ」と自民党総裁選の前後、与野党国会議員やマスコミなどが菅首相退陣と首相交代劇をこう評した。表紙とは自民党総裁=総理大臣のことだ。歴史を振り返ると、表紙を替える、替えないは首相が変わるたびに話題になっていることに気付いた。

 古くはロッキード事件で元首相・田中角栄氏が逮捕され、後継にクリーンイメージの三木武夫氏が就いたが、短命に終わった。リクルート事件や消費税導入で世論の離反を招いた竹下登首相は参院選を見据え、退陣を表明した。後継候補に白羽の矢が立った伊東正義総務会長(元外相)は「本の表紙を替えても駄目だ。中身を変えないと意味がない」と固辞した。中身とは自民党政治のことである。以来、政界では首相の顔を「表紙」と表現するようになったと記憶する。

 しばらくして、細川護煕首相の誕生、共産を除く野党連立政権が誕生するも、短命に終わり、羽田孜首相は3か月の超短命だった。近年では小泉純一郎政権、第二次安倍政権を除き、短命政権が常態化しているのが日本の政治なのだ。

 今回、派閥の首領たちや若手議員らがそれぞれの思惑で動き、菅首相は政権を放り出した。総裁選では派閥力学が働き、国会議員票を得て、地方の党員党友票を覆した岸田文雄首相が誕生した。岸田首相は内閣発足と同時に「臨時国会の会期末の14日に衆院を解散、31日投開票」を表明した。解散から投票まで17日間で戦後最短だそうだ。臨時国会も早々に閉じ、論戦から逃げるが勝ちと読んだのだろうか。

 記者会見で「新自由主義から新しい資本主義」「成長と分配の好循環」「令和版所得倍増」などを掲げた。経済学の本を開いても中身が分からない〝公約〟を真面目な顔で力説されても、国民は納得できるだろうか。

 内閣スタート時の世論調査結果は決して良くない。恐らく、多くの国民は派閥の宏池会の象徴、ハトを描いた表紙に目をとめ、ページをめくると、タカが飛び出し、困惑しているかもしれない。安倍・麻生氏など首領の顔、政治とカネ、説明しない政治、平和主義の封印…。表紙が変色し、中身を明らかにする議論もなかった。

 「表紙も中身もよくわからん」―前述の伊東氏なら、一喝するだろう。衆院は解散、総選挙に突入した。

                           (S)