《一言半句》鄙の国からの反旗―「ポストコロナの日本」を救う道
鄙。「ひな」と読む。都から遠く離れた土地、「田舎(いなか)」と辞書にある。例えば「鄙には稀な美人」、あるいは「辺鄙(へんぴ)」、都会から離れた不便な土地を表現し、都から地方を見下した言葉である。地方の人々は日本という国が造られて以来、鄙の国を受け入れながらも、コンプレックスを感じていた。
この中央からの発想に対し地方から見た「鄙の論理」を唱えたのが、参院議員から熊本県知事に転じ、後に総理の座に就いた細川護煕氏だった。地方の改革は東京を真似ることではない。地方人は自信を持ち、主張すべきは主張し、中央の間違いを正し、地方から日本を変えていこうと、地方分権を唱えた。
その原点は知事時代、バス停を数メートル移動するのに数年かかった経験だった。バス路線の許認可は国土交通省(当時、運輸省)が握っており、霞が関の壁は高く、固かった。行政の権限が中央省庁に集中し、県や市町村が身近な住民のための政策を進めようにも、霞が関の許認可が壁になった。国家権力が鄙を見下し、些細な権限も手放さないのだ。以来、細川氏は地方分権を掲げ、国政に復帰、改革が前進するも、やむなく首相の座を下りた。
全国知事会という組織がある。「闘う知事会」と評された時代もあったが、コロナ禍で政府と都道府県が対立する場面が多く、たびたびニュースになる。8月末、知事会の会長に鳥取県知事の平井伸治氏が就任した。平井知事と言えば、何かと駄じゃれを連発し、話題になる。日本一人口が少ない鳥取県、「スタバは無いが、砂場があります」と自虐的にアピールする。「鄙」の意地ではないが、ユーモアがある。平井知事は県独自の政策を打ち出し、成果を出している。クラスターを出した飲食店対応で新型コロナ特措法を補うため、独自の条例を制定した。リーダーシップに期待したい。
実はコロナ禍で政府が知事会に押し切られる光景はかつてないことでなかろうか。現場を知る知事の言い分に説得力があるためだ。根底には東京から拡散したコロナ、東京一極集中による人口爆発と感染爆発、企業や大学の集中、中央集権国家の象徴・霞が関。これらは戦後の復興期には効率的だったが、今や中央から国民、地方の実態が見えず、機能不全を招いている。財源や権限の地方自治体への大幅な委譲、いわば「大権」を求め、知事会や地方の人々が国に改革を迫りたい。
遠くは中世の西欧で感染症、ペストが蔓延し、大勢の人々が亡くなった。「神は守ってくれなかった」と文化や芸術、人間の解放を目指したルネサンス運動が起き、封建制社会から近代社会・資本主義経済が芽生えたのである。歴史に刻まれた感染症は社会を改革する「陣痛」と呼ばれる。日本を救うポストコロナは「鄙の時代」である。
(S)