《一言半句》異人たちの遺言―高岡再生のヒント
高岡市民は記憶にあるだろうか。生まれも育ちも高岡とは無縁。平成時代に〝旅の人〟とも言える、二人の異人が廃業寸前の財産を蘇らせ、あるいは新たな文化事業を創造した。その一人、国立高岡短期大学(現富山大学芸術文化学部)学長の蝋山昌一さん。東京都出身、大阪大学経済学部長を務めた金融、経済政策分野で著名な学者だった。
平成10年4月、短大学長に就任し、高岡暮らしが始まった。当時、高岡市と新湊市をつなぐ電車・万葉線はモータリゼーションの波に呑み込まれ、存廃の岐路に立っていた。赤字続きで行政、市民共々「廃線にすべき」に傾いていた。市民には万葉線はもはや、「無用の長物」に映ったのだろう。
だが蝋山さんの目には棄て難い宝に見えた。「廃線」の声に抗し、「万葉線は歴史的ストック」と訴えたのが蝋山さんである。市民の足だけではなく、産業や観光、文化、暮らしに大切な資源として、「もっと活用を図るべき」と呼び掛けた。県の「万葉線問題懇話会」の座長をも引き受けた蝋山さんの情熱に会議のメンバーはむろん、高岡、新湊市民らは気づかされ、空気が変わった。
単なるノスタルジーや愛着だけではない。蝋山さんの思いは多くの共感を呼び、万葉線は再生した。〝ドラえもん電車〟として、全国の子供たちや鉄道ファン、観光客に人気になった。成果は出たが、今日の万葉線を見て、蝋山さんなら、何と言うだろうか。「いやいや宝物がいっぱいの高岡。活用策がまだいっぱいあるよ」。
もう一人の異人、高岡市のタカギセイコー社長だった羽場光明さんだ。三重県出身、自動車のホンダ出身で労組委員長を務め、東南アジアの現地法人でも業績を挙げ、タカギセイコーに転じた異色の社長であった。
平成19年、羽場さんは国宝瑞龍寺を観て、ここに年間100万人の観光客を呼ぼうと、無茶とも思えるような提唱で驚かせた。羽場さんの情熱に打たれた地元の人々が結集し、高岡南部地域の人々やマスコミをも巻き込み県内全域でPRに奔走、その起爆剤が草の根の「瑞龍寺ライトアップ事業」である。お盆前の3日間で3万人の入場を目標に掲げたその年の夏、夕刻から夜の9時半までのわずか4時間で1万人が境内を埋める。
羽場さんはなぜ100万人に固執したか。北陸新幹線開業を見据え、新高岡駅に東海道新幹線の「のぞみ」号に相当する列車=「かがやき」号の停車は、高岡ひいては県西部の発展に欠かせないと見たのだ。その核が一級の観光資源、瑞龍寺だった。「年間100万人が足を運ぶ瑞龍寺、高岡」―こうなれば、「かがやき」号の停車案はJRも無視できないだろう。初の夏のライトアップ事業は3日3晩で54,000人が入場し、イベントは成功裡に終えた。「かがやき」の新高岡駅停車は臨時便1往復に留まったが、ライトアップ事業は春夏冬の年3回、恒例行事として定着した。
高岡に惚れた蝋山さんと羽場さんは無念にも鬼籍に入ったが、確かなのは突飛に思えるアイデアと判断力とその眼力であろう。とんでもないことを言う変人、まさに異人だった。伝統と歴史のあるまち故に激変を嫌い、この地の風土は得てして異人を排斥する。
今、人口減少に見舞われ停滞感が漂う高岡。かつて「何も変わらん。あかんちゃ」の意識を変えた「松柏後凋」の姿を残した二人の異人を想う。市井の中にも異彩を放つ人材が必ずや居る。そして、新リーダーを選ぶ市長選が間もなく始まる。
(S)