キルギスからの便り(20) 小夜鳴き鳥

在キルギス共和国 倉谷恵子

 ウグイスが美声を誇り、ツバメは勢いよく民家の軒先へ飛んでいき巣作りを始めた。春は花が咲き、新緑が美しくなって生命力にあふれる季節だ。木々を飛び交う鳥たちもまた目や耳を楽しませてくれる。

 キルギスにも当然ながら鳥は生息していて、日本と同じようにカラスやスズメを住宅街で見かける。キルギスの鳥は人との距離が比較的近い。日本では、人慣れしたカラスは別として、普通の鳥は小鳥であれトビのような大型の鳥であれ、人の気配がすれば飛び去り、常に一定以上の距離を保っている。しかしキルギスでは電線や街路樹にとまっている鳥たちは人が近づいてきても、気にかける様子もなく同じ場所に留まっている。人をこわがることがあまりないように見える。

 このことを鳥に詳しい方に話したら、日本では野生の鳥を捕って食べていたから人を警戒するが、キルギスでは野生の鳥は捕って食べられたことがないから人を恐れないのでは、と言われた。そうなのだろうか。確かにキルギスでは肉をよく食べるけれど、野鳥を捕っていたという話を聞いたことはないので、あり得る理由かもしれない。

 ところで国が変われば民族が違うように、そこに生息する生き物の種類も異なるはずだ。日本にいてキルギスにはいない鳥、反対にキルギスにいて日本にいない鳥も多いのだろう。調べたことも聞いたことはないから詳しいことは分からない。

 ただ一度だけ、日本では聞いたことのない鳥の声で「ああ異国にいるんだ…」と少々感動的な体験をしたことがある。 

ビデオ録音しておけばよかったものを、ナイチンゲールの声だったと証明するすべはない。おそろしくピンぼけの写真しか残っていない。起きていたつもりが頭は半分眠っていた。

 それは昨年5月の初旬。新型コロナで交通が遮断され、国際線も飛ばない状態が続き、子どもの声が消えた学校の寮で悶々とした日々を過ごしていたある日の、フラワームーンと呼ばれた満月の夜だった。

 なぜか寝付くことができず、少しばかり苛立ち始めていた。キルギス滞在中はほぼ毎日疲れ果てて一日が終わり、ベッドに入るとすぐに眠っていたのに、その日の寝つきの悪さはおどろくほどで、かなりの深夜まで目が冴えていた。

 月明かりが部屋に差し込み、実に明るかった。私は我慢できずに起き上がった。授業もないし帰国のめども立たず、もう規則正しい生活をしていても何の意味もない。昼夜が逆転しても構わないのだから、夜中起きて過ごそうと思った。

 ベランダに出て校庭の上の空を眺めると信じられないほど明るい月が皓々と照っている。こんなに明るい夜があるんだと初めて知った気がした。

 何も考えずにベランダに立っていると、何かの音が聞こえてきた。人の話し声ではない。機械音でも自動車の音でもない自然の音だ。よく聞けば鳥の鳴き声だった。ピチョ、ピチョっという声だったろうか。1年近くたって私の脳裏から消えようとしているので正確な音を記すことができないが、「クワックワッ」という夜烏のような声でもなく、比較的かわいい声だったことは間違いがない。

 それにしても深夜に小鳥のさえずりを聞いたことなどない。聞こえてきてからしばらくして、はたと思った。

 これはナイチンゲールかもしれない!

 ナイチンゲールはヨーロッパに生息するヒタキ科の野鳥で、日本にはすんでいないが、俗に「小夜鳴き鳥」「夜鳴きうぐいす」などと呼ばれている。早朝や夕方、月明かりの夜など薄明りのもとでよく鳴くことからそんな別名がついているようだ。

 野鳥に詳しくもない私がなぜキルギスでそんな鳥の名を思い出したかといえば、ずっと以前に聞いたある歌の中でナイチンゲール、小夜鳴き鳥という歌詞が出てきたので、少しだけ調べたことがあったからだ。

 歌の作者も名前の美しさと、日本に生息していないということが聞き手の想像を膨らませると考えて歌詞に織り込んだのかもしれない。ナイチンゲールと言えば白衣の天使を思い浮かべ、小夜鳴き鳥というのもどことなくせつない響きで興味をそそられる。

 聞こえてきたのがもしナイチンゲールの鳴き声なら、いつか聞いてみたいとおぼろげに思っていた声を今、耳にしているのか、と少々興奮した。でもこれが本当にナイチンゲールだという確証がない。

 暗い部屋の中でウィキペディアをのぞいたら、サヨナキドリの項目に「ヨーロッパ中央部、南部、地中海沿岸と中近東からアフガニスタンまで分布する」と記されている。アフガニスタンはキルギスの南西にある国だけれどキルギスにも生息するのかぁ、などと首をかしげつつユーチューブで検索したら、ナイチンゲールの鳴き声が出てきた。聞いてみた。ベランダで聞こえた声とあまり違わない。というよりほぼ同じだ。やはりこの鳴き声はナイチンゲールと考えていいだろう。

 まさかキルギスでナイチンゲールの「小夜鳴き」を聞けるとは。海外では自国にない文化や自然に出合うことは楽しみだが、料理や建造物と違って、生き物というのはこちらが会いたいと望んでも必ずしも巡り合えるものではない。運というかタイミングがある。それが全く予期せぬ場所と時間で叶ったのだから、まさに異国に住む醍醐味だと思った。

 その翌日、日本へ帰国できる飛行機が今月中にキルギスに来るという知らせが入った。満月の夜のあの小夜鳴き鳥は、私に朗報を伝えたかったのだろうか? 尋ねてみたいが、日本にいてはナイチンゲールは鳴いてくれない。