とやまの土木―過去・現在・未来(50) 土木における河川環境の保全(上)

富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授 高橋剛一郎
ダムはじゃま?

 筆者はもともと渓流釣りをやっていて、渓流を歩いていた。砂防ダムの入っていない渓流は非常に少なかった。ダムは人(釣り人)が行き来するにしてもとても面倒なもので、ましてそこを生息場所としている魚にとっては個体群の分断をもたらし、最悪の場合はその渓流における絶滅の原因ともなる。釣り人の多くはダムはじゃまであると悪態をついていた。

 筆者は大学では農学部林学科で学んでいた。林学科は森林、林業を対象としている。林業のための分野が中心であるが、森林の性質や機能も重要な対象分野であり、森林があることによって水資源の涵養や土砂流出の緩和や土砂災害防止なども対象としている。後半にあげた機能は治山や砂防という分野に含まれている。

 砂防工学講座に所属していた筆者は砂防ダムの目的や機能を学び、その必要性は十分理解していた。しかし、現実に渓流を歩いて多くの現場を見るにつけ、果たして本当にこの砂防施設が必要なのか、必要としてもこのような構造でなければならないのかとしばしば考えた。指導教授が低落差のダムで防災効果があると唱えていたこともあり(東, 1982)、防災機能を損なうことなく、かつ魚にも障害を与えない砂防、ダムを設けなくても防災の目的を達成できるような砂防のあり方があるのではないかと思うようになった。こうしたことから、砂防ダムのない川を目指すための研究を行いたいとの思いを教授に伝えた。

 何とかその思いは認められ、まずは砂防ダムと魚の関係についての実態と魚道の整備状況を卒業研究として行うこととなった。農業土木の学科に属していた私の後輩は農業用取水堰堤と魚道のことをテーマにしたいと希望したが、後輩の指導教授は認めなかったことに比べ、私の指導教員はなんと寛大であったことだろうか。あのときの卒業研究のテーマが私の現在の研究に繋がっており、勝手なことばかり言う学生の主張を認めて下さった我が指導教授の度量の広さに感謝するばかりである。

 卒業研究を行っていたときの思いは今も変わっていない。いや、もっと強くなっているかもしれない。魚道の項でも述べたように、今や富山ではサクラマスはごくわずかしか獲れていない。かつてのようにサクラマスがたくさん川に戻り、上流域まで遡上して産卵できる川、そしてもっともっとおおらかにサクラマスを川で釣れる川の復活を強く願っている。

 ということで本稿では私の研究テーマに焦点を当て、土木と環境保全、特に河川における各種土木工事と自然環境保全について述べたい。まずは、いささか大上段になってしまうが、我が国における川での環境保全の取組を整理しておきたい。その流れをおさえた上で具体的な技術的課題や問題点を述べることにする。

河川環境の保全を取り巻く情勢

 ダムをはじめとした河川工事が河川の生物に大きな影響を与えていることに対しては、特に漁業者や釣り人などにとっては大きな問題であった。また、いわゆる自然保護関係者にとっても関心の的であった。とはいえ、過去においても個別的な場面での問題提起や反対運動はあったが、大きな社会的な高まりになっているとはいえなかった。河川行政も問題意識を表に出してはいなかった。社会の意識が変わり、行政も少しずつ変わり始めたと感じられるのが1980~1990年代である。

 河川における土木事業は河川の利用と防災の二つに大別できる。河川開発という用語がある。土木の分野でこの用語は、概ね河川の水を利用できるようにするための開発である。具体的には、発電や各種産業のための用水を得られるようにするためのダムや用水路の建設などが中心となる。

 河川工事のもう一つの重要な役割は防災である。洪水が氾濫して被害を及ぼさないように河川を整備することや、土石流などによる土砂災害への対策などを行うことである。このように、利水と治山・治水が河川における土木工事の大きな柱であった。

 これらの工事は古くから行われてきたが、その過程で河川環境の保全はほとんど考慮されることはなかった。魚類に対する配慮としては、ダムが造られるようになってからその移動障害が意識され、魚道が設けられるようになった。すなわち、ダム技術が進んで大型のダムが設けられるようになってから魚道が造られるようになった。

 日本では魚道の起源は大正時代である。しかしながら、魚道が設けられていないダムのほうが圧倒的に多い。近年は魚道が付けられることが増えているが、新設の魚道でも不備なものが数多く存在し、真に機能する魚道技術を本格的に開発しようとしたかについては疑問があると言わざるをえない。このように、長い間河川における環境保全は十分に位置づけられていなかった。

 日本において、河川行政については河川審議会が重要な役割を果たしている。この審議会が1981年に『河川環境のあり方について』という答申を出した。この答申で述べられている“河川環境”の内容は水質や河川空間の利用(要するに、河川敷の利用法など)が中心であり、このときは生物の生息環境としての河川環境は意識されていなかった。つまり、河川行政において河川の生物は基本的に意識されていなかったということである。

 社会の雰囲気として、生物を含めた河川環境の保全の機運が高まってきたのは1980年代になってからという印象を持っている。その頃ヨーロッパにおける近自然河川工法(ゲルディ, 1997)が日本に紹介され、河川の生物を含めた自然性を尊重するという理念と、それを具体化する技術の存在が知られるようになった。そして、この技術に倣った工事が国内においても実施されるようになった。

 このような状勢は行政にも影響していった。1990年から、建設省(当時)は河川環境を広く把握することが必要であるとして河川水辺の国勢調査を開始した。また同年11月には同省から『多自然型川づくりの推進について』との通達が出された。この通達は河川が本来有している生物の良好な生息・生育環境に配慮し、あわせて美しい自然景観を保全あるいは創出することを目標とするものである。

 国際的には1992年の地球環境サミット(リオデジャネイロ)において生物多様性が中心課題の一つとして取り扱われ、生物多様性条約が出され、1993年5月に日本はこの条約の締約国となり、同年12月に発効した、この地球サミットは従来一般的でなかった生物多様性の重要性を打ち出したという点で画期的であり、日本の政策面にも大きな影響を与えた。

日本における環境政策の転換

 リオの地球環境サミットという国際的な舞台で生物多様性の重要性を謳った日本政府は、これ以降生物多様性の保全や環境問題に対する姿勢を強化させる方向に向かった。主な対応を挙げれば、環境基本法公布・施行(1993)、環境政策大綱策定(建設省 1994)、生物多様性国家戦略(第一次)策定(1995)等がある。環境政策大綱とは、建設省の環境政策の基本的な考え方を明らかにし、中長期的に展開すべき政策課題と施策の展開の方向等を示したものである。

 これらの基本法や大綱、戦略は基本的に理念を示すものである。より具体的な施策につながるものとして挙げられるものが、1997年の改正河川法である。上述したように、河川行政において生物の生息や河川生態系は従来位置づけられていなかったが、この改正により法律の目的の中で河川の生態系保全を明記したことは画期的である。

 治山事業や農地整備事業においても河川環境を改変する工事を行っているが、これらについては森林・林業基本法(2001年施行)と食料・農業・農村基本法(1999年施行)において森林・林地や農地の多面的な機能の重視を打ち出し、環境保全について従来より踏み込んだ考え方を示した。砂防事業を規定する砂防法は改正を受けていないが、環境保全の重視という流れを受けてこれを尊重するようになっているのは当然である。

 理念と基本的な法律が変わり、果たして現実の河川や渓流でどのようにその転換が実現しているのかが次の課題となる。これについては次回の報告としたい。

引用・参考文献
ゲルディ, クリスチャン 1997 近自然河川工法 (福留脩文訳) 102p. 信山社出版
東 三郎 1982  低ダム群工法  387pp 北海道大学図書刊行会

「土木における河川環境の保全(下)」に続く)

たかはし・ごういちろう 
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授。富山県黒部市出身。大学では農学部林学科砂防工学研究室に所属し、砂防工学、森林科学などを学ぶ。1983年富山県立技術短期大学農林土木科助手となり、2009年富山県立大学工学部環境工学科准教授を経て現職。砂防工事などの防災工事と自然環境の保全の調和を目指した工種・工法の研究を主たるテーマとする。農学博士。