とやまの土木—過去・現在・未来(44) 変貌する川の姿

 写真5は常願寺川における河床低下の現場の状況である。周知のように、常願寺川は上流域にわが国でも有数の崩壊地を抱え、そこから多量に流出してくる土砂が防災上の問題となってきた川である。1950年代から60年代にかけて、扇状地の中央部では天井川解消のためにタワーエキスカベーターを用いて多量の土砂が除去されてきた(https://webun.jp/item/7404913)。このような川で岩盤が露出し、さらに掘り込みが進んでいるところが見られるのは驚きである。

写真5 常願寺川岩峅寺地先の河床低下の状況(2012年8月12日撮影)。岩盤が露出し、さらに岩盤も掘り込まれている。

土砂の流出と人間活動

 上流から流送される土砂量を左右する要因の主なものは、土砂を流送する力の大きさと、上流域が土砂を生産しやすいか否かの二つである。前者は突き詰めていえば雨量である。雨が多ければそれだけより多くの土砂を流送する。ごく最近、雨の降り方が変わってきたのではないかと言われるが、数十年、あるいは百年から二百年程度の期間では雨量が大きく変化したとは考えられず、この面での影響は少ないと思われる。後者は山地自体が土砂をもたらしやすいかということであり、地質、地形、そして表面の状態がかかわってくる。脆い地質は崩れやすく、多量の土砂を供給する。

 概して日本は活断層や火山が多く、崩れやすい地質であると言っていい。地形については、起伏の激しいところ、高低差の大きいところで土砂は生産されやすい(崩壊による土砂生産)。雨が多く険しい山に囲まれた富山はこれらの条件に見事に当てはまる。

 表面の状態というのは裸地であるか植生に覆われているかということである。裸地斜面では雨によって表面の土砂が流送され、河川に至る(表面侵食による土砂生産)。崩壊に比べて地味な現象ではあるが、大面積にわたって裸地が存在すると雨の度に土砂が生産され、下流へ供給される土砂量は大きくなる。

 以上が土砂流出量に関わる主たる要因であるが、これ以外に人間活動による影響が大きく関わってくるようになった。過度な森林伐採や不適切な森林の取り扱いにより山地が荒廃して裸地化し、多量の土砂が流送されるようになった例は日本各地で古くから起こってきた。

 この傾向は太平洋戦争の後まで続いたが、それ以降は人工林の整備が進み現在の日本の山地の多くで森林が拡大し、表面侵食に起因する土砂生産量は低下している(太田 2012)。人間活動による影響のもう一つの大きなものがダムである。大型貯水ダムは水だけでなく土砂も貯め、下流への土砂流送量を減らす。

 野積川における河床低下の原因については学生が卒業研究で取り上げ、森林の整備による裸地の減少と治山・砂防事業によって土砂流出を抑えるダムが多数建設されてきたことが関係していると推測した(木下 2015)。いずれも流送土砂の減少に寄与していることは確実であるが、量的な推測や個別の現象との具体的な関係を推定するには至っていない。

 常願寺川本流では、流域の大部分が立山カルデラと弥陀ヶ原以東であり、伐採や植林などの営為はほとんど行われていない。写真5のような河床低下の最大の原因は数多く造られた砂防ダム等の影響を受けた結果であろう。

 河床低下は全国的に多くの河川で発生している。鬼怒川支流の黒部ダム下流における事例では、露盤河床はダム下流部から下流に向かって拡大していった(中村 2011)。常願寺川においても同様のことが懸念される。

 河床低下と河道内の樹林化は景観的にわかりやすい変化だが、さまざまな意味や影響を含んでいる。防災面では河床低下は橋脚や護岸を浮かせて橋や防災施設の破壊の原因となることがあり、樹林化は防災上問題となる流木の発生源となる。景観の変化はもちろん、そこに生息する生物にとっての生息環境としての変化ということも意味する。

 このように川の姿かたちの変化は様々なことの変化を含んでおり、今後どのように推移していくのか、それに対してどのように対応していくのかなど、河川管理を行う上の課題である。

川の姿の変貌からの教訓~富山は決して安全ではないこと!

 最後に河床上昇について触れておきたい。安政飛越地震(1858年)による鳶崩れとその後の天然ダム決壊によって多量の土砂が常願寺川下流域に流出し、その後の常願寺川荒廃の原因となったが、それ以降は顕著な河床上昇は生じていない。県内のほかの河川においても目立った河床上昇は起こっていない。しかし、すぐ近県ではつい最近、顕著な河床上昇が起こり、災害につながった。

 1995年7月11日~12日にかけて新潟県西部が大雨に見舞われ、姫川上流域で崩壊や河岸侵食が発生し、多量の土砂が堆積した。新潟県糸魚川市蒲原地区の姫川本流では河床が約10mも上昇し、JR大糸線等が被災した(写真6)。ここから数キロメートル上流の長野県小谷村来馬地区では、1911年に発生した稗田山の大崩壊に由来する大規模な土砂の堆積によって河床が上昇し、現在に至っても幅広い河原が広がっている。もちろんこれによって田畑や多くの家屋が埋没するなど、大きな災害をもたらした(井上ほか 2012)。

写真6 新潟県糸魚川市蒲原地区における姫川の河床上昇の状況。A:1987年8月26日撮影、B:1995年7月13日撮影JRの橋梁が埋まっているのが見える。(新潟県土木部 1997)

 1995年7月の姫川災害をもたらした豪雨は糸魚川から上越方面が中心であった。姫川流域は後立山連峰を隔てて黒部川流域と隣り合わせである。当時、黒部川流域でも多量の雨が降り護岸の欠損や発電施設、温泉の引湯管等に被害があったが、姫川ほどの大きな災害は生じなかった。豪雨をもたらす雨雲の中心が少し西側に寄っていれば黒部川流域での雨量は増大し、多量の土砂堆積、河床上昇による深刻な災害が起こりえたのである。

 2020年9月4日の北日本新聞の記事に、なぜ富山県は水害が少ないのかという小学生の疑問に対し、本学環境・社会基盤工学科の手計准教授が、富山では治水に対する整備をしてきたことと、近年結果的に降雨が少なかったということが偶然続いてきたことが原因であると解説している。

 また、この連載の第2回目(水荒の地、富山の特性と治水 )では、近年富山県では全国ニュースになるほどの大きな水害が起こっていないのは、著しい洪水に見舞われなかったという偶然と、工事のたまものという必然の組み合わせによる幸運の結果であると記した。

 富山は安全であるという根拠のない思い込みにとらわれることなく、川~変わりゆく姿~を見るときに、安全や防災、環境ということにも思いを巡らせていただければ、地域や自らの安全に対する理解も深まるだろう。

引用・参考文献
井上公夫・屋木わかな・北原哲郎・判田乾一・吉田俊康・野村昌弘・境和宏 2012 1911年の姫川・稗田山崩れによる天然ダムの形成・決壊‐上・下流域への影響と土地利用状況の変遷 砂防学会研究発表会概要集 pp.616-617
木下久綱 2015 野積川における河床低下の原因 富山県立大学工学部環境工学科卒業論文
宮本卓 2018 早月川扇状地河道における樹林化の把握 富山県立大学工学部環境工学科卒業論文
中村智幸 2011 鬼怒川黒部ダム下流における河床の露盤化 土木学会論文集B1(水工学) Vol.67 No.2 pp.54~59、新潟県土木部 1997 平成7年夏期豪雨水害 第3報 pp.14
太田猛彦 2012 森林飽和 NHK出版 pp.254

たかはし・ごういちろう 
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授。富山県黒部市出身。大学では農学部林学科砂防工学研究室に所属し、砂防工学、森林科学などを学ぶ。1983年富山県立技術短期大学農林土木科助手となり、2009年富山県立大学工学部環境工学科准教授を経て現職。砂防工事などの防災工事と自然環境の保全の調和を目指した工種・工法の研究を主たるテーマとする。農学博士。