とやまの土木―過去・現在・未来(39) 魚道の話 ~失敗しない魚道を造るために~
富山県立大学工学部 環境・社会基盤工学科教授 高橋剛一郎
まずは富山の名産ます寿司から話を起こそう。全国のデパートなどで催される駅弁大会などで人気の上位を占める富山のます寿司であるが、その起源は神通川に遡上してきたサクラマスを原料としていたことはよく知られている。神通川河畔にはこれを名物とするお店が並び、今も富山市内に数多くの製造を手掛けるお店がある。しかし、今やその原料は神通川や富山湾で獲れたサクラマスではなく、さらにはサクラマスですらないものが多い。
2014年度に私の担当するゼミにおいて富山のサクラマスと河川環境を取り上げた際に、県内のます寿司製造業者さんにアンケート調査を行った。原料について要点をまとめれば、アトランティックサーモンやトラウトサーモンなどのサクラマス以外のマス類が主体であった。また、有効回答七者のうちサクラマスが100%であったのは二者のみで、それもすべて富山県以外のサクラマスであった。今や富山の名産であるます寿司は富山産サクラマスはほとんど使われていないというのが実態である。
なぜこのようなことになってしまったのか-それはサクラマスが獲れなくなった、すなわち資源量が激減したからである。
サクラマスはサケ科に属している。サケ同様、川で生まれ海に下って成長し、産卵のために川に戻ってくる。サケと異なるところとしては、海に下るまでに1年半程度河川で成長すること、一部の個体は降海せずに河川にとどまること、さらにサケよりも上流域まで遡上して(図1)産卵を行うことなどがあげられる。

神通川におけるサクラマスの遡上確認地点。〇は野本(2009)、*は聞き込みによる。数字を付した図形はダムを示す。現在はこれらのダムがサクラマスの遡上を阻んでいるが、ダム建設以前は上流部まで遡上していたことがわかる。田子(2009)の地図に加筆
降海する前の個体と生涯河川にとどまるものを合わせてヤマメという。成長してから川に戻ってくるのは春で、産卵期まで半年程度を河川の中で過ごす。遡上はエサはほとんどとらない。河川での生活期間が長いことは、河川環境の変化の影響を大きく受けることを意味する。

2006年11月26日付け北日本新聞の一面に掲載された。
2006(平成18)年11月26日の北日本新聞第1面に、神通川におけるサクラマス資源の減少を悲痛に伝える記事が載った。神通川で漁獲されるサクラマスの量が、昭和の終わりから平成7年頃までは年3~7トン程度であったものがその後1トン程度に減少し、ついにこの年の漁獲高は0.3トンになってしまったというのである。サクラマスの体重を3kgとすれば、わずか100尾しか捕獲できなかったということになる。明治期の漁獲統計では年間160トンもあったものがほとんど絶滅に近い状況になってしまった。
この激減の原因には河川環境の悪化、近縁種の放流による遺伝子汚染など様々なことが考えられるが、富山県水産研究所で長年サクラマスを研究してこられた田子康彦所長によると、最も大きな原因はダムの建設による遡上の阻害である(田子 2009)。1941年以降神通川にいくつものダムが造られ、現在はサクラマスの遡上範囲は17.1%に減少し、それ対応して神通川での漁獲量が減少していった(図2)。

図2 神通川におけるサクラマスの漁獲量と遡上可能範囲の割合(ダムのなかった年は100%)(田子 2009)
ダムによる魚類の遡上障害を解消するものとして魚道がある。たとえダムが設けられても魚道がつけられ、それが機能すれば魚の資源は守られるはずである。しかし現実には上述したようにサクラマス資源は減少しており、魚の移動障害や生息域の分断を解消していないことは明らかである。
魚道は河川を横断して魚の移動、特に遡上を妨げるダムや堰堤が造られるようになってからその必要性が生じ、小山(1967)によれば日本での実質的な魚道の始まりは大正に入ってからとされる。100年程度の歴史があることになるが、まだまだ技術的な練度は高いとは言えない。富山県内にもいくつも魚道が設けられているが、残念ながら機能していないものが多数見受けられる。今後、魚道の新設や既設の魚道の改修を行う際に、今度こそ機能的な魚道を造れることを期待しつつ、そのための知見をまとめておきたい。
ここでは、まず富山県内における過去の失敗事例を観察し、その教訓を得ることからはじめよう。その第一弾として、庄川の大ダムに付けられた小牧ダムと祖山ダムの魚道をあげる。庄川峡のダム湖畔に、船でしか行けない温泉があることはご存知だろう。その船の出発地点がそのダム湖の最下流で、そのダム湖をつくっている小牧ダムである。
小牧ダムは1930年に完成した堤高79.2mのダムである。昭和初期に造られた大ダムとして有名であり、建設当時は東洋一の高さで東洋一のダムと呼ばれた(http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0816)。ダム直下に遡上してきた魚をためる集魚池を設け、こことダム湖をインクライン方式のエレベーターで結んで魚を遡上させるエレベーター式の魚道を付けた。同時期に小牧ダムの上流に建設された祖山ダム(堤高73.2m)の魚道とともに、1931年より稼働された(竹林・貴堂 1995)。

表1 小牧ダムと祖山ダムの魚道を遡上した魚の数(竹林・貴堂 1995 )
両ダムの魚道において上流に遡上させた魚の数がわかっている(表1)。これを見れば、これらの魚道が機能しなかったことが明らかだろう。当時の庄川はダムで分断されていなかったことから、多くのサクラマスやアユなどの魚が往来していた。したがってここに付ける魚道に対してはとりわけ漁業面からの大きな期待がかけられていたと思われる。しかし、その期待に反して結果的にこの魚道は撤去されてしまった。
この失敗の原因についての検証はほとんど行われていないので、正確な因果関係を説明することは難しい。小牧ダムの上流には少数であるとはいえサクラマスやアユは到達しているものの、これらのほとんどが祖山ダムの魚道に行きついていないことから、ダム湖での減耗があったことは確実であり、魚類の生態の理解が不十分なままでの設計・施工であったといえる。
また石田ほか(1991)は次のように高ダムでの魚道の問題点を指摘している。
『わが国で10m以上のハイダムに設けられた魚道として池田ダムの魚道はよく知られている。がしかし、その他のハイダムにおける事例はあまり多くないのが実状である。カナダ、アメリカにおいても、魚道が有効であるダム上下の水位差は約30mが限度とされ、しかも、この両国での遡上はサケ、マスであってアユよりも大きく、遊泳力も大である』。
このような知見から、そもそもこれほどの大型ダムに魚道を付けること自体に無理があったといえるだろう。近年ではサンルダム(北海道、天塩川水系、堤高46m、2018年竣工)のように比較的堤高の高いダムにも魚道が設けられていることがあるが、竣工間もないことからその効果や問題点の検証は現在行われているところである。参考までに付記しておくと、サンルダムの魚道は約7kmのバイパス水路を通じてダム湖上流部に連絡する構造となっている。