キルギスからの便り(11) 果物天国
在キルギス共和国 倉谷恵子

果物が山のように積み上げられたバザール、キロ単位で売られている。
コロナ騒ぎであわただしく一時帰国してから40日ほどが過ぎた。日本の生活は衣食住いずれにおいても快適だ。だが、1つだけ彼の国の生活を日本に持ち込めるのなら叶えたいことがある。果物のキロ単位での購入だ。バザールで山のように盛られたりんごや西洋梨、桃などを袋一杯に入れて手に下げて帰り、皮をむかずに手あたり次第かじりたい。
日本では果物を来客に供する時はたいてい皮をむいて食べやすい大きさに切るが、キルギスではめったに皮をむかない。宴席では大きな脚付の皿に果物がそのままごろごろ盛られていて、客は手に取ってまるごとかじっている。彼らは「りんごやなしの皮をむいてしまったらおいしくない」と言う。
学校に果物や菓子を持参することが禁じられていないので、どうかすると子どもたちは授業中でも果物を手にしている。「授業中に食べてはいけません」と何度も注意するが、懲りない子どもがたくさんいる。そんな時、同じおやつでもガムやスナック菓子をほおばる姿に比べて、りんごや梨をかじろうとする姿は何となく微笑ましく見える。こわい顔で注意をしながらも、7、8歳の子どもが果物を持つ様子を内心かわいらしいと思う。果物は自然とのつながりを感じさせるためだろうか。
日本の果物のおいしさは折り紙付きだが、値段もそれなりだ。形はほぼ均一で傷はなく、甘さは糖度計で計測され保証されている。丹精込めて栽培されて丁寧に輸送された、まるで芸術作品のような果物を無駄口に食べる贅沢はできない。スーパーの青果売り場でさくらんぼやいちごが1パック500円以上で売られているのを見るたびに、店員が商品に傷がつくことも汁が出ることも気にせずビニール袋にどっさり赤い実を投入して秤の上に置いて重さを図り、1キロ200~300円で売っていたキルギスのバザールを思い出す。帰り道に20分近く歩いて部屋に着く頃には、袋の中はいちごの赤い汁で満たされていた。
高地であるキルギスは果物の栽培が盛んだ。特にりんごやあんず、すもも(プルーン)、さくらんぼなどの木は一般家庭の庭先でも多く見かける。日本ほど虫やカビの害がないので農薬を使わなくても実をつけるし、収穫期における台風や洪水などの自然災害も少ないから果物栽培に適しているのだろう。
日本で桜の花見をする頃にキルギスではあんずやすももの花が咲く。枝ぶりを整えて木を剪定する文化はないので、街路樹も庭木も枯木立の姿は褒められたものではないが、花が咲けばそれなりに美しい。春には街中や住宅街に咲くあんずの花を見て花見気分を味わっていた。
実を楽しむのは夏から秋。地元のバザールには色とりどりの果物が並ぶ。帰国直前の5月下旬でもすももやさくらんぼがバザールに並んでいたが、まだ隣国からの輸入品が大部分だった。地元で採れた果物がおいしくなる季節に帰国するのは残念だったが、その分日本の果物を味わうことができている。
新学期に赴任した9月は西洋梨やりんごが出回り始める頃で、イシククル湖周辺で採れたりんごを毎朝のように食べていた。秋から冬には大量のりんごを積んだ自動車をかたわらに停めて路上で量り売りする姿をあちこちで見かけるようになる。私は傷の少ないのを選んで5、6個袋に入れるだけだが、大抵の客は数キロ単位でまとめて買っていく。重い袋を両手に下げて徒歩やバスで家まで帰るのは大変だと思うが、りんごに限らず食料品はいつもそのようなスタイルで買うから慣れているのだろう。
一昨年ホームステイをしていた時、雪の降る前にすももを拾う手伝いをしたことがある。クルミやギンナンなどは地面に落ちた実を「拾う」が、果物は木からもぐものであって「拾う」ことはあまりない。だがその家庭ではもっぱら地面に落ちたすももを拾っていた。高い木に登らないので安全な作業だけれど、さすがに実は柔らか過ぎるほど柔らかくなっている。
しかもいつから土の上に転がっていたのか分からないものを食するのは遠慮したかった。他の家庭でも落ちた実を拾うのが普通なのか、この家庭だけがやっていたのかは分からない。1週間後、食卓に薄緑色の半透明のジャムが食卓に並んでいた。何のジャムか知らずに口にしてみたら結構いける。「おいしい」と私が言うと、その家のおばあちゃんは「うちの庭のすももよ」と答えた。
普段のこの家庭の調理の様子から察するに、そう丁寧に食材を洗ったりはしないはずだ。あの土や枯葉の上に転がっていたすももを口にしたのだと思うと何となく複雑な気分になったが、おいしいことに間違いはなかった。

たらいいっぱいに作るマリーナのジャム。熱い紅茶とともになめるとおいしい。
ジャムといえばキルギスでもっともポピュラーなのはラズベリーである。ラズベリーはロシア語でマリーナと言い、木になっている実もジャムなどの加工品も総じてマリーナと呼ぶ。たらいいっぱいのマリーナの実に砂糖をたっぷりまぶしておくと水分が出てくるので、マッシュポテトを作る道具で混ぜながらつぶせばマリーナのジャムのできあがり。火にかけて煮詰めることはしない。
多くの家庭でマリーナのジャムは脚のついたガラスの器に入れられて、ハチミツとともに一日中食卓に出ている。窓から入り込んだハエが器の端に止まっているのを頻繁に目撃したが、見て見ぬふりを通した。日本人ならジャムをパンにつけたりヨーグルトにかけたり、手作り菓子の材料にしたくなるが、キルギスではジャムをそれほど応用しない。スプーンにすくって直接口に入れることが多い。ロシアンティーのように紅茶を飲みながらジャムをなめる。
「風邪にはマリーナ」とも言われているようで、私もステイ先で寝込んだ時に熱い紅茶にマリーナジャムをたっぷり入れて飲むように指示された。熱を下げる効果があるそうだ。不思議なことに風邪が治ると「マリーナは紅茶に入れずに、なめてからお茶を飲みなさい」と言われた。なぜ食べ方を変えるように言われたのか謎だが、別々に口に入れた方がマリーナと紅茶それぞれの味が分かるからおいしいと思う。
果物の加工品としては「コンポート」もよく飲まれる。コンポートとは一般に形を残したまま砂糖で煮込んだ果物を指すが、キルギスでコンポートと呼ばれるのはジュースのような飲み物だ。瓶やペットボトルに入った市販品のほかに、家庭でもよく作られる。
どの方法で作るのが本来のコンポートなのかは分からないが、私が知っているのは2通り。1つは砂糖と水が入った瓶にあんずやぶどうなどの生の果物を浸しておくもの。日が経つにつれエッセンスが水にしみ出すので、果物の風味と甘みが水によく移った頃に飲む。もう1つはりんごなどスライスして乾燥させた果物を水に入れて煮出すやり方。お茶を沸かすようにいつでも作れる。
どちらの方法で作ったコンポートもまろやかでやさしい味だ。学校の食堂では毎日のように出されていた。ジュースや清涼飲料水に比べるとぼんやりしたあいまいな味に感じるので「とてもおいしい」とまでは言えないが、食事中に飲んでも他の食べ物に影響しないし、飽きがこない。

バザールでよく売られているドライフルーツ。右上から時計回りにプルーン、種なしあんず(アプリコット)、トマト、種ありあんず。
ジャムやコンポートとともに忘れてはならないのがドライフルーツだろう。干しぶどう、プルーン、干しあんず、乾燥トマトなどだ。ドライフルーツは日本だと新鮮な果物以上に高価だが、キルギスでは安く手に入るのでナッツとともにたくさん常備していた。バザールには輸入品も多く売られているので国内産を確認して買っていた。おやつにつまんだり外出の際にバッグの中に入れておくと便利で、スナック菓子より健康的だ。
干しぶどうはぶどうの種類や大きさ別に何種類もあるし、あんずも種つきと種なし、よく乾いた硬いタイプと半乾きタイプがあって味が違う。種ありの硬い干しあんずは熱いお茶に入れてふやかすことで風味がお茶に移り、お茶がおいしくなるとバザールの店主が教えてくれた。そして実を食べた後は種を割って杏仁も食べられる。アーモンドさながらに香ばしく、果実とナッツを両方味わえて一石二鳥だ。
日本では果物は季節を感じる食べ物として菓子や食事にさまざまな形で応用され、色の鮮やかさ、香りの良さ、舌触りを楽しむ。食への好奇心と新規性を大切にする日本人ならではだと思う。だが、時には鮮度や味にこだわることなく、ありのままの果物を口に入れる野性的な食べ方もしたい。品の高い果物に囲まれた日本人のわがままである。