キルギスからの便り(10)「無事、帰国しました」
在キルギス共和国 倉谷惠子
非常事態宣言下のキルギスでの生活について2回にわたり書いたが、一時帰国するにあたって簡単に報告したい。
キルギスを発着する国際線が停止しているなかで帰国がかなったのは韓国のチャーター便のおかげだった。現在の日韓関係は良好とは言えないようだが、このような事態にあたり両国間の協力に感謝せずにはいられない。チケットの購入に際し支払い期限に余裕がなく、しかも首都のビシュケク市内にある代行業者の事務所で直接支払う必要があった。
私と同僚の2人はビシュケクから離れた地域に住んでいるうえ、バスが動いていないため事務所まで行くことがむずかしかったが、ありがたいことに今回の日本人の帰国を世話してくれた在キルギス日本大使館の領事が建て替え払いに赴いてくれたのだった。
キルギスの空港の国内線、国際線の発着は停止しており、空港は閉鎖中である。出発当日、空港へ向かう送迎の車が検問にあった場合トラブルになりかねないとのことで、日本人搭乗者26名は全員そろって空港へ行く段取りがなされた。
その日の朝、日本大使館からの迎えの車に乗りビシュケク市内で他の日本人と合流。外交車両が先頭と最後尾になって車列を組み、領事が最後尾の外交車両に乗って指揮をとりながらゆっくりと空港へ向かった。幸い、懸念された検問もなくスムーズに空港へ着いた。
チャーター便は定員180名でほぼ満席。日本人搭乗者の大部分はJICA関係者で緑色の公用パスポートを所持する人たちだ。韓国人を中心に日本人やキルギス在住外国人若干名を乗せた飛行機は、5月30日昼にキルギスを発ち、同日夜に仁川(インチョン)に着いた。チャーター機は食事の出ない格安航空だったが、在留韓国人の方々の計らいで搭乗前に韓国風海苔巻き「キンパ」が各自に配られたおかげで機内でお腹を満たすことができた。
仁川では入国せずに乗り継ぎのまま空港内で一夜を明かし、31日の朝に商用便で日本へ出発。昼前に成田空港に着いた。9カ月ぶりの日本だが喜びにひたる雰囲気はない。何しろ帰国者は「コロナウイルスに感染しているかもしれない人」として扱われるのだから。入国手続きの前に待っているのはPCR検査だ。

成田空港でPCR検査の前に渡された要請書。帰国者は2週間にわたり指定された場所で待機し公共交通機関を使わないよう伝えられ、「検疫官から説明を受けました」という旨の署名を求められる。
キルギスはこれまで外務省の危険情報レベル2にとどまっていたが、帰国が迫った5月下旬になってレベル3に引き上げられ、日本への入国に際して検査が課せられることになった。機内で記入しておいた、体調や日本での滞在場所に関するアンケートを携え、前の人と距離をおいて検査待ちの列に並んだ。記入内容の確認の後、いよいよ順番がまわってきた。細長い棒を片方の鼻の穴の奥まで差し込まれると、ツンとした痛みが走って反射的に涙があふれそうになった。検査員が「鼻をかみますか」とティッシュを差し出してくれたが、鼻水はほとんど出なかった。
検査を終え、5、6人ごとに係員に先導されながら入国手続きと荷物の受け取りに向かう。普段ならスーツケースを転がして晴れ晴れと出口を出て空港を後にするはずだが、今回はまだまだ解放されない。帰国後の2週間は公共交通機関の使用を控えるよう要請されているので、自家用車での迎えがない限り、その日のうちに自宅へ帰ることはできない。
荷物を受け取り、空港内の指定された待合室へ移動し、検査結果が出るのをひたすら待つ。自動販売機も動いておらず飲み物も買えない限られた空間で半日近く、ソファに腰かけて時間をつぶしかない。もちろんソファとソファの間隔は1人ずつ離されている。検査結果は午前中に到着した便の乗客は当日夕方、午後着の場合は翌々日に知らされる。私たちの便は午前着だったから夕方まで空港で待機していたが、午後着の便の乗客は指定のホテルに移動して結果を待つようだ。
公共交通機関を使えないとなると、空港から離れた場所に住む帰国者は、空港周辺のホテルで2週間の滞在を余儀なくされる場合が多い。国や企業から派遣された海外赴任者なら所属先から宿泊費が出るだろうが、私のようなボランティアは完全に自己負担である。幸いなことに3日後に家族が自家用車で迎えに来てくれたから助かったが、もし15泊していたら福沢諭吉が何枚も飛んでいったと思うと、帰国者の懐事情を嘆かずにはいられない。
ホテルの予約も自己責任で行わなければいけない。私たちの乗った飛行機は午前11時20分に成田着の予定だった。飛行機が少しでも遅れれば午後着になり、指定ホテルでの結果待ちを余儀なくされる。予約したホテルのキャンセルの手続きも必要になる。これは少々面倒だ。結果としては予定通り午前中に空港に着いたのだが、私は万が一の場合を考えて、空港に着いてから予約する心づもりでいた。検査結果が分かる夕方まで時間はたっぷりありホテルの手配など何とでもなる、と余裕の構えだった。

待機期間中に滞在した成田空港周辺のホテルの朝食。コロナウイルス感染抑制のため食堂でのビュッフェ形式はなく、すべてプラスチックトレーに入れてパックされ、部屋に持ち帰って食べるようになっている。
だが、ここで予期せぬ事態が起こった。携帯電話が使えないのである。実は昨秋キルギスでスマートフォンを買い替えたのだが、日本で契約しているSIMカードを入れようとしたら、カードの大きさが違っていて入らない。こんなことは買い替えの際に確認すべきことで、今さら空港の待合室で気付いている自分にあきれかえった。仕方なく空港のフリーWi-Fiをつないで予約を入れようとしたのだが、Wi-Fiの電波が不安定なためなのか、予約の送信ボタンを押しても延々と処理されない。いら立ちを抑えながら何度やり直しても上手くいかず、結局、同じ便で帰国した友人に電話を借りて予約を入れた。
ホテルを決めて一安心、機内で出たお菓子をつまんだり、本を読んだりしているうちに検査結果を知らされる時間が来た。係員から一人ずつ言い渡される。熱もなく体調は良好だったが、結果を聞く直前は何となく落ち着かないものだ。「陰性です」の一言に安堵した。
5月にチャーター便搭乗が決まってからしばらくは成田到着後の身の振り方ついて明確な情報も得られず、流動的な事態に対して漠然とした不安を抱え、心身ともに疲労がたまっていたからだろう、成田のホテルにいる間はぐっすり眠っていた。
自宅に戻った後、敷地から一度も外へ出ることなく待機期間を過ごし、6月15日に晴れて自由の身になった。キルギスで軟禁生活が始まったのが3月下旬だから約3カ月間にわたって制限された生活を送ったことになる。今、感じているのはコロナへの恨みではない。帰国に際してお世話になった方々や身を案じてくれた友人たち、温かく迎えてくれた家族に対する感謝の気持ちばかりである。
2020年6月20日