とやまの土木-過去・現在・未来(33) 感染症疫学情報集積の場としての下水処理場
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科講師 端 昭彦
はじめに
楠井教授 (当時、現名誉教授) の寄稿「公共用水域の水質と下水道」(2019年3月25日) では、汚水・排水の浄化施設としての側面から下水道について触れられていましたが、本稿ではまた違った角度から下水道の役割を紹介したいと思います。まず近代下水道成立の経緯です。
西欧では産業革命以降、都市への急速な人口流入が起こりました。ここで、し尿が街中へ投棄されたことにより、深刻な不衛生状態に陥ったことが知られています [1]。胃腸炎、下痢症を引き起こす病原微生物は、基本的に感染者の糞便中に高濃度で含まれます。町中にし尿が溢れるというのは、つまり人々が病原微生物に囲まれて生活するということであり、当時の西欧ではコレラが深刻な社会問題となっていました。

図1 下水道の役割とその変遷
[1]、[2]、[3]、[4] を基に著者作成。本稿は特に「公衆衛生」と「土地の清潔の保持」に深く関わります。
このような背景から、病原微生物を隔離、生活圏外へ排除するための施設として下水道が成立・発展してきた経緯があります(図1)。日本においても明治期にはコレラや赤痢などの感染症により、年間10万人単位が命を落とすこともありましたが、上・下水道の普及に伴いこれらの感染症患者数は大幅に減少しています [5]。2019年3月の時点で富山県の下水道処理人口普及率は85.3%であり [6]、県内で出るほとんどのし尿は下水道を通して速やかに生活圏から排除されています。
下水を用いた疫学調査の特徴とその実例
感染性の胃腸炎や下痢症に関しては、特に軽症である場合、感染者が病院での検査を受けないことも想定されるほか、無症候の感染者も存在します [7]。また、検査で病原体が同定されないこともあり [8]、臨床検査のみでは見過ごされてしまう感染者・病原体が存在します。このような不顕性の感染者がきっかけとなった感染流行も報告されています [7]。
下水処理場での調査により、このような不顕性感染の発生が明らかとなることがあります。下水処理場は一般的に数万から数10万人に由来するし尿を受け入れています。下水処理場の処理区域にこれら病原体の感染者がいる場合、感染者から排出された病原体は下水処理場へ送られます。すなわち、下水処理場での水質調査を行うことで、不顕性感染も含めた地域内の感染症の流行状況を把握できると期待できます。
ノロウイルスは冬季のウイルス性胃腸炎の主要因として知られています。一口にノロウイルスと言っても、その内実は非常な多様性に富む集団からなります。ヒトに感染するものとして大きく分けて3種の遺伝子群が知られており、さらに細かく30以上の遺伝子型に分類でき、またさらに細かく遺伝子亜型レベルでの議論がなされることもあります。臨床的な検査では、その時期に流行している遺伝子型 (亜型) が突出して高頻度で検出される傾向にありますが、一方で、下水試料の分析では、臨床での流行型が必ずしも優占になるとは限りません。また、検出される遺伝子型もより多様性に富む傾向にあります (表1)。

表1 下水試料と臨床検体で見られるノロウイルス遺伝子型の比較
[9] より著者作成。
2013年から2016年にかけて行われた調査 [9] では、同地域内の下水試料及び胃腸炎患者の臨床検体中のノロウイルスの分析が並行して行われています。ここでは総計20種類の遺伝子型が同定されましたが、このうち8種類は下水からのみで見つかったものであり、一方、臨床で見つかったものは2種類のみでした。ノロウイルスは度々新型が発生し、これが大規模な感染流行を起こすことがありますが、ここでの調査では、このような新型が臨床で発見される1年前に下水から同定されています。
また、同調査では下水中のノロウイルス濃度と、地域内での感染者数が連動することも示唆されています。これらの結果は、下水中でのノロウイルス濃度の監視により、地域内での感染流行を早期検知できることも示唆するものでもあります。これらを背景とし、仙台市では下水中のノロウイルス濃度の上昇が生じた際に、「下水中ノロウイルス濃度情報」として発信するシステムが運用されています [10] (図2、図3)。

図2 下水中のウイルス濃度を基にした注意喚起システムの例
[10] を基に著者作成。

図3 胃腸炎患者報告者数と下水中のノロウイルス濃度の関係
(大村達夫 東北大学教授より提供)
このような下水 (水) を利用した疫学調査は下水調査型疫学研究(Water Based Epidemiology: WBE) と呼ばれます。臨床検査においては、基本的に個人個人から検体を採取し調べていくという手法になりますが、下水調査においては、処理区域内の人口 (数万から数10万人単位) の情報を1試料でカバーできます。
一方で、下水処理場においては1個人の便が区域内で出る大量の下水で希釈されているため、例えば「区域内で1人しか感染していないような病原体を検出できるのか」といった検査感度の問題も存在します。また、感染者がいることは分かっても、何人が感染しているのかや、さらには誰が感染しているのか、といった情報は得ることができません。したがって、WBEは臨床検査に取って代わるものとはなり得ませんが、臨床検査のデメリットを補完可能な手法であると言えます。
新型コロナウイルス対策としてのWBEのポテンシャル
新型コロナウイルス (SARS-coronavirus-2) 禍は各国で「戦争」とも形容される被害をもたらしています。症状に下痢症が含まれることや、下痢症の有無にかかわらずウイルスが感染者糞便中に含まれることがあると判明して以来、新型コロナウイルス対策としてWBEが世界中の水中ウイルス研究者に注目されることとなりました。
オランダでの例を皮切りに、特に人口あたりの感染者数が多い国を中心に下水からの新型コロナウイルス検出が報告されています [11]。WBEにより無症候患者の発見が容易に実現し得るため、感染終息の判断材料等にWBEを用いることができるかもしれません。この他、あまり考えたくはありませんが、終息後の再流行というシナリオを考えた際にも、WBEにより感染者の早期発見、対策の迅速化が期待できます。
また、感染者のプライバシー保護が度々問題となっていますが、この点に関しては、先ほどWBEのデメリットとして挙げた「感染者が特定できない」点がメリットとして活きてくるとも考えられます [12]。一方で、新型コロナウイルスは、従来水中ウイルス研究者たちがメインの相手としてきた胃腸炎ウイルスとは大きく異なる点にも注意が必要です。便に排出されるウイルス数はノロウイルスよりも数桁低いと考えられ [13]、また、ウイルス粒子の表面構造も大きく異なるため、試料の前処理法についても検討が必要となりそうです。
おわりに
水を介した新型コロナウイルス感染事例は報告されていないものの、糞便にウイルスが含まれてしまう以上、少なくとも潜在的には水を介した感染リスクは存在してしまいます。この点については、WHOが発表している水、衛生、廃棄物の管理に関するガイダンスを参照いただくこととし [14]、本稿では詳しくは触れませんが、下水道がこのようなリスク低減に大きく貢献している点については強調しておきたいと思います。感染者の糞便を大量の下水で希釈しながら処理場へ集めることで、糞便を介して高濃度のウイルスに接触する機会は大幅に削減されているはずです。
新型コロナウイルスに対する下水処理の有効性については報告がありませんが、胃腸炎ウイルスと同等と仮定すると、国内の一般的な処理方式で100分の1程度には濃度を減らせるだろうと考えられます [15]。新型コロナウイルスに限った話ではありませんが、下水道が機能しなければ糞便や水を介した病原微生物感染のリスクが跳ね上がるのは間違いありません。
し尿汲み取り業者等の方々も含め、リスクの見えない下水と日々向き合い実務にあたっておられる下水道関連の方々への感謝は忘れるべきではないでしょう。
参考文献
[1]国土交国通省 都市・地域整備局 下水道部。下水道の歴史。https://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/data/basic/rekisi.html
[2]国土交通省。下水道の役割。https://www.mlit.go.jp/mizukokudo/sewerage/mizukokudo_sewerage_tk_000601.html
[3]国土交通省 近畿地方整備局。下水道の役割としくみ。https://www.kkr.mlit.go.jp/kensei/town/gesui/sikumi.html
[4]日本下水道協会。下水道の歴史。https://www.jswa.jp/sewage/history/
[5]⾦⼦光美編著「⽔道の病原微⽣物対策」丸善株式会社、2000。
[6]富山県。富山県の下水道、2020。
[7]東京都感染症情報センター。ノロウイルスによる集団胃腸炎の発生・拡大への不顕性感染者の関与。東京都微生物検査情報 (月報)。第26巻、11号。2005年。
[8]Finkbeiner SR, Li Y, Ruone S, Conrardy C, Gregoricus N, Toney D, Virgin HW, Anderson LJ, Vinjé J, Wang D, Tong S. 2009. Identification of a novel astrovirus (astrovirus VA1) associated with an outbreak of acute gastroenteritis. J Virol 83:10836–9.
[9]Kazama S, Miura T, Masago Y, Konta Y, Tohma K, Manaka T, Liu X, Nakayama D, Tanno T, Saito M, Oshitani H, Omura T. 2017. Environmental surveillance of norovirus genogroups I and II for sensitive detection of epidemic variants. Appl Environ Microbiol 83 (9): e03406-16.
[10]下水中ノロウイルス濃度情報発信サイト: https://novinsewage.com
[11]Kitajima M, Ahmed W, Bibby K, Carducci A, Gerba CP, Hamilton KA, Haramoto E, Rose JB. 2020. SARS-CoV-2 in wastewater: State of the knowledge and research needs. Science of the Total Environment. Accepted.
[12]Murakami M, Hata A, Honda R, Watanabe T. 2020. Letter to the Editor: Wastewater-Based Epidemiology Can Overcome Representativeness and Stigma Issues Related to COVID-19. Environmental Science and Technology. 20045880.
[13]Hata A, Honda R. 2020. Potential sensitivity of wastewater monitoring for SARS-CoV-2: comparison with norovirus cases. Environmental Science and Technology. Accepted.
[14]国立保健医療科学院生活環境研究部。2020。新型コロナウイルス(COVID-19ウイルス)に関する水、衛生、廃棄物の管理 暫定ガイダンス (仮訳)。
[15]Haramoto E, Kitajima M, Hata A, Torrey JR, Masago Y, Sano D, Katayama H. 2018. A review on recent progress in the detection methods and prevalence of human enteric viruses in water. Water Research. 135:168–186.
はた・あきひこ 東京都出身。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻 博士後期課程修了。京都大学、東京大学を経て現職。専門は水中の健康関連微生物。