キルギスからの便り:非常事態下の生活が教えてくれたこと

在キルギス共和国 倉谷恵子

学校の厨房の窓際には芽の出た玉ねぎが並べられている。芽の部分をみじん切りにして料理の上に散らすと長ねぎ同様の味がする。

 門の外を知らない生活が3月下旬から40日近く続いた。コロナウイルスの感染抑制のためだ。長い間外出せずにいると、室内にいるのが日常で、外へ出るのは非日常ではないかと錯覚しそうになった。

 キルギスで非常事態宣言が下されたのは3月22日。国内で初の感染者が出た4日後だった。交通機関は国際線を含めてすべて止まり、夜間の外出は禁止、日中の外出も制限された。食料品店や薬局、病院以外の仕事は休止、学校や大学は春休み以後オンライン授業に移行した。法的拘束力があるため非常事態が導入された日から人の動きは速やかにとまった。国民に対する金銭的な補償はない。

 4月中旬には非常事態宣言の1度目の延長、4月末には2度目の延長が発表されて首都ビシュケクや感染者の多い地域では5月10日まで、外出を制限される日が続いた。今日(5月17日)現在、全地域で夜間外出禁止が解除され経済活動は段階的に再開されているが、広域移動や多数の人が集まる店舗の営業は認められておらず、バスや空の便も動いていない。

 感染者が出てから即座に移動制限の措置が取られたこともあり、爆発的な感染拡大は抑えられ、死者はつい最近10人を超えたばかり。世界100カ国が外務省の感染症危険情報レベル3に指定されるなか、キルギスはレベル2にとどまっている。

 だが決して終息の目途が立った訳ではない。国民にマスク着用や人との距離を保つ意識は希薄なような国民性だから依然予断を許さない状況で、現在でも最低限の買い物と人通りの少ない道の散歩以外は控えている。

 断っておくが私が門の外に出られなかったのは、国の非常事態宣言のためではない。万が一、路上で警察の取り調べを受けた場合のトラブルを避けるため学校側が外出の自粛を要請したからだ。国は外出を制限していたが、午前6時から午後9時の間の食料品の買い出しや通院なら身分証明書とルートシートを携帯の上外出することは許可していた。だから4月も下旬に入ると倦怠感からか路上へ出る人もかなり増えたようだ。キルギス国内でも私のようにほぼ完全に外出できなかった人間はまれだろう。

 何の前触れもなくその日の朝に外出禁止を言い渡され、軟禁状態に突入したことは、それこそ私個人にとっての「非常事態」だった。

 外出できない間、国際線の停止など様々な理由から精神的な浮き沈みはあったが、どんな時でもお腹はすく。食堂に備蓄された限りある食材で毎日料理をしていた。冷凍の肉や米、パスタなどはたっぷりあるが、新鮮な野菜はない。あるのはわずかな人参とジャガイモ、そして大量の玉ねぎ。3種類だけである。冬ならいざ知らず、春は気温が上がるので常温に置かれたこれらの野菜は「成長」していく。植物は生きているからこそ状態が変化するのだし、数少ない食料源だと思うと「悪くなる」とか「古くなる」とは書けない。

 芽がにょきにょき生えてきた。食べられる部分はしなびてくるが、芽は元気に伸びる。中でも玉ねぎの芽の成長には目を見張る。ここがポイントだ。日本ならおいしくないからと捨ててしまう芽の出た玉ねぎをキルギスでは食べる。それどころか食堂の台所では年中、芽の出た玉ねぎを窓際に並べて育てている。もちろん腐りかけた部分を食べたりはしない。食べるのは芽の部分。20センチ以上にもなった芽を「健康に良いよ」と言う。店頭でも多少芽が出た玉ねぎも普通に売られている。

 以前はおいしくない部分を食べるなんてと思っていたが、いざ食料も少なくなってくると、芽の部分は自分にとって貴重な「長ねぎ」に変化した。みじん切りにして生で料理に散らすと、少々刺激は強いが、ねぎそのものである。しまいには芽の部分を使うと何となく「和」の風味が味わえてうれしいなどと思い始めた。人は置かれた環境でいかようにも考え方を変えて柔軟に対応できるものだ。

レンズ豆は水に浸さずに使えるのでとても便利な食材。寒い日はスープを頻繁に作った。

 得意料理ができたことも収穫だった。レンズ豆のスープだ。豆は乾燥しているから長持ちするので比較的たくさん備蓄されている。レンズ豆は日本ではそれ程見かけないが、こちらでは頻繁に食される。栄養が豊富でほくほくした食感だ。水に浸さなくてもすぐに使えて便利、一時期は1日おきに作っていた。毎回それなりに仕上がるが、100点の味にはならない。肉を入れるか入れないか、入れるなら牛肉か鶏肉か、玉ねぎの炒め具合はどの程度か、豆は形がなくなるまで煮るか、形を残すか等々、試行しながら望みの満点の味に近づけるのが楽しみになった。

 料理とともに毎日の日課だったのは校庭の散歩である。ただ歩くだけでは飽きるかもしれないから、1日に1つ以上必ず新しい発見をしようと決めていた。すると不思議なもので必ず何かが見つかった。名前も知らない雑草の花が咲いた、虫が増えた、歩き方の面白い野良猫がいる、鳥が屋根裏に巣を作っている…等々。

校庭の隅に咲く花を眺めるのも大切な日課だった。4月も下旬に入ると草も勢いよく伸びてくる。

 コロナで人がおびえていても植物は季節が来たら花を咲かせ、鳥は木々の間を自由に飛び回る。自然の営みが単調な毎日に変化をつけ、滅入りそうな時も何とか気持ちを引き上げてくれた。

 5月から近所のスーパーやバザールへ行けるようになったが、長く閉じこもる生活を続けていたら、門の外へ出る日は正直腰が重かった。何しろ感染リスクがほぼゼロの環境を離れ、人の多数いる場所へ入っていくのだから、財布とバッグを持ちマスクを着けるまでに心の準備が必要だった。

 しかし、いざ通りへ出ると多くのことに感動し、当然だったことを再認識した。最大の感動は「壁にぶち当たらずに歩けること」だった。4月末までは運動不足を補うために校庭を散歩していた。校庭は広くはないが一般の家の庭に比べれば決して狭くない。ジョギングもできる。しかし三方は背丈以上のコンクリートの壁、正面は金属格子の高い柵と門に囲まれているから、しばらく歩けば必ず壁に突き当たって引き返すか曲がらなければいけない。この状況に慣れてしまっていたから、道がどこまでも続き、目の前に立ちはだかるものはない。見上げる空の広い世界は、解放された証のようだった。

歩けば、必ず壁につき当たる。敷地内に限られた散歩の宿命? だ。

 当然だったことの再認識はいくつもある。まずは食料を手に入れる手段。前述の通り生野菜や嗜好品は口にできなかったし、食料は食べれば減るだけで湧いてはこない。スーパーやバザールには食料が豊富に並び惣菜もお菓子もある。現金を払えば自分の好むものを手に入れられることが、実にありがたいことだと思った。

 逆に言えば都市生活をする多くの人たちは、食料を生み出す環境を備えていない。お金と引き換えなければ食料は得られないのだ。非常時に備えて手元に置いておくべきはまず食料だと気付いた。お金ももちろん必要だが、使える環境がなければ用をなさないと身にしみた。

 キルギスでは首都からほんの少し離れただけで、牛や羊を飼い、野菜を育てている家庭がたくさんある。牛や羊を飼うほど本格的ではなくても、ちょっとした菜園を持ち鶏やウサギを飼育する家庭は珍しくない。100%の自給自足はできなくても、多少なりとも自ら食べ物を生み出す環境を備えている。お金を基本にした都市型の生活よりも、いざとなると生きる力は強い。

 再認識したもうひとつは、人との出会い。外出禁止が解けた3日後、近くの歩道で若い女性2人とすれ違った時に香水の香りがした。私は香水をつけないから普段から関心はない。しかしこの時、なぜか「自分とは違う人が生きている」という思いが一瞬頭に浮かび、他人と共存しているのだと感じた。

 閉じこもった生活のなかでは自分の使う石鹸やシャンプー、自分が作った料理、自分が淹れるお茶、コーヒー…いつの間にか自分だけの匂いが漂う空間で生きていたのだから。それが久しぶりの人とのすれ違いで、匂いという感覚によって他人が大勢いて世の中が成り立っていることを否応なく気付かされた。

 非常事態宣言は解かれても、非常態勢はまだ終わっていない。世界中で先の見えない日が続く。だが自由を制限されながらも、しっかり食べて、ほどほどに動いて、わずかでも感動する心があれば、悲観論者にならずに生きていける―このひと月半の非常事態生活が、そう教えてくれた。