とやまの土木─ 過去・現在・未来(27) 地形と都市計画

富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科准教授 星川圭介 

 都市の成り立ちはしばしば地形的要因から説明することができます。NHKの番組の影響もあってそうした地方史の地形的考察が少し流行りのようにもなっていますが、ここでは現在進行形の都市計画においても地形が大きな影響を与えていることを取り上げてみたいと思います。

地形の制約と市街の拡張力

図1 東京都中心部の地形と交通網
国土地理院基盤地図情報より作成

 東京は起伏に富んで坂が多いといわれますし、「市谷など『谷』が付く地名はかつての谷である」などという東京の地名由来をめぐる話も近頃よく耳にします。そうした東京の地形事情は図1を見れば一目瞭然です。東京の都心部は丘陵と河成低地にまたがって広がっているのですね。江戸城(皇居)は丘陵と低地の境目に築かれたわけで、靖国神社から九段下への坂道は丘陵から河成低地へと降りる道なのです。

 ここで考えて頂きたいのは、地上から見渡す限りではそうした原地形を想像することすら難しいくらいに、地形とほぼ無関係に街並みが広がっているということの意味です。丘陵といってもそれほど傾斜の大きなものではなく、富山県でいえば射水市の太閤山(図2)くらいのものですが、それでもある程度は斜面の切土や盛土などの造成工事が必要だったでしょうし、平野部に比べれば市街地を形成していく作業が困難であったことは想像に難くありません。

図2 ニュータウン建設前の太閤山
国土地理院昭和32年発行1/25000「高岡」

 高度経済成長期に形成されたニュータウンの多くが丘陵上に位置しているのは、都市近郊でも丘陵地は宅地化が進んでおらずまとまった土地が確保できたからです。江戸周囲では丘陵の造成だけでなく河成低地の埋め立ても必要でした。重機もない時代に地形のいかんにかかわらず市街化を進めてしまった江戸という街の拡張力に感嘆させられます。

シラス台地に制約された鹿児島

 鹿児島は「シラス台地」と呼ばれる火山堆積物からなる地形が大部分を占めます。江戸時代の農民たちは限られた平野部でコメを栽培して年貢として納める一方で、シラス台地の上でサツマイモを栽培して命をつないできました。水源がないうえに土壌の養分も乏しく、台風時の強風にまともにさらされるシラス台地において唯一栽培可能なのがサツマイモだったのです。

図3 鹿児島市中心部の地形と交通網、建物分布
国土地理院基盤地図情報より作成

 こうした環境は当然、人間の居住にも向きません。そのうえシラス台地は土砂災害のリスクが極めて高い地域でもあります。居住域はシラス台地を避けた海岸沿いの狭い平野に限られてきました[1]。

 シラス台地の住宅開発がニュータウン事業によって急速に進んだのは、住宅の強風対応等が進んだ1970年代以降です。図3には鹿児島市周辺の地形を現在の鉄道網(黒線)と建築物(灰色)とともに示しています。鹿児島中央駅東側の台地の上にも建築物が広がっている様子が確認できます。

図4 鹿児島市のDID人口密度とDID面積

 こうした台地における宅地造成により人口集中地区(DID)の面積は1970年代を境として大幅に増加し、DIDにおける人口密度は1960年代の一平方キロメートル当たり12,000人台から6,000人台半ばにまで低下します(図4)。12,000人台といえば東京都心の周辺部である大田区や葛飾区に近い値です。当時は高層の集合住宅が少なく、かなりの過密状態にあったはずで、過密の解消がシラス台地への居住地拡大の原動力となったといえるでしょう。

 ただしその後、1980年代以降はDIDの拡大と人口密度の減少に歯止めがかかっています。先に述べた通りシラス台地は土砂災害の危険性が高く、対策に多くの費用を要しますし、1970年代以降にはシラス台地の崩壊による人的被害が相次いでいます。1970年代のニュータウン開発はそうした費用やリスクをある意味受容しつつ行われたわけですが、6,000人台という人口密度で開発費用やリスクによる抑制効果と居住域拡張のポテンシャルが均衡するに至ったといえます。

 人口密度を低下させながらDIDが拡張する現象は中心市街地の空洞化や「スポンジ化」につながる都市の課題としてよく取り上げられています。しかし鹿児島市の場合はあまり心配する必要はないかもしれません。

図5 全国の路面電車の一日当たり利用者数
国土交通省鉄道統計年報(2016年度)運輸成績表より作成[2]

 全国の路面電車の一日当たりの利用者数を示した図5を見てください。鹿児島市電は市の人口60万人弱という規模ながら長崎に次いで6位と健闘しており、市電の利用を前提とした地域社会がある程度維持されているといえます。その原因は、上記の人口密度の維持が一つの大きな理由でしょう。さらにそれに加えて台地と平野が形作る市街の空間構造も要因として挙げられます。

 台地上のニュータウンにはそれぞれの地域の住民を集客対象とする中小規模の商店はありますが、市全体から広域に集客するような商業施設は見受けられません。用途地域による規制に加え、谷によって細かく分断された台地という地理的条件がそもそも広域の集客に不向きなのでしょう。小売店や飲食店の多くはJR鹿児島中央駅や昔からの繁華街である天文館周辺地域に集中しています。