キルギスからの便り(6) ひらがなの力

 例えばロシア語のアールは巻き舌で「ウルッ」と発音し、英語のアールよりもずっと鋭い。日本語の「ら」行をロシア語のアールでふりがなをふると、口の奥からひねり出したような音になってしまう。また「ん」をロシア語のエヌでふりがなをつけると「ンヌッ」という音になる。私は1年生に口を酸っぱくして何度も「ンヌッ」ではなく「ん」だと教えている。すると50音の最後の「ん」の文字と発音だけはやたらと面白がって覚えているのだが、気を抜くと「ンヌッ」と言う子どもが何人も出てくる。

 また日本人には簡単に聞き分けられる音の違いが、外国人には区別しにくいことも現地で教えてみて分かった。日本人には英語の「エル」と「アール」の違いが分かりにくいのと同様に、こちらの子どもたちは前述の「ら」行のほかに、「す」と「つ」、「か」と「は」の区別で迷うようだ。

 日本語の音に慣れ、発音と文字を一致させる練習のために、私は2年生の授業で単語の「口述筆記」を取り入れている。「すっぱい」「しょっぱい」など小さい「つ」が入る言葉や「さようなら」「おとうさん」など、のばす音が入る場合の発音と表記に慣れさせることも狙いである。

 日本語には同音異義語が多く、漢字を「読み分ける」「書き分ける」ことで意味をくみ取る必要があるから、日本人にとって国語の時間はもっぱら漢字を書く練習が大切になる。一方でロシア語や英語はアルファベットの組み合わせで音をあらわして表記するから「聞き分ける」必要が高く、こちらの国語にあたるロシア語の時間にはよく口述筆記をさせているようだ。

 ひらがなの口述筆記は意外に好評で、子どもたちは正しく書けるとうれしがり、間違っているとがっかりする。新しい言葉を教える際に口述筆記をしているので、言葉の意味もしっかり覚えてほしいが、筆記が終わって意味を説明する段階になると、大部分の子どもの集中力は切れて、目と耳はあさっての方向に向いてしまう。少々残念ではあるが、書く意欲があることは大いに評価したい。

 外国人ならひらがなの形も書き順も間違って構わないし、発音を完璧にする必要はないという考え方もあるだろう。確かに大人になってからの外国語学習ならば、実践を重視し、目的に合わせて「会話」や「読解」に力を入れればよい。

 だが小学校の低学年は、スポンジのような脳と聞いた言葉をすぐ口に出せる敏感な耳を持っている年齢だ。そして社会に出るまでに十分な時間がある。日本語を単なる言語ツールとして頭に入れるよりも、外国語の音を聞き分けられる耳を養いつつ、文字の美しさを追求する日本の文化まで伝えるためにも、基本となるひらがなはしっかりおさえてほしいと思う。

 先日、2年生から6年生の児童を対象に「美しい文字大会」が開かれた。正しくきれいな字を書いた生徒を学年別に1位から3位まで表彰するもので、子どもたちのやる気を引き出すのに一役買ったと思われる。

2年生から6年生の全児童を対象に行われた「美しい文字大会」で、2年生の児童が書いたひらがな。手本を見ずに全問正解し、かつきれいに書けた子どもはわずかだったが、他の2年生の児童にも努力のあとがみられて満足な出来だった。

 担当する2年生には手本を見ないで書かせたので、全問正解で、しかもきれいな字を書いた生徒は少数だったが、それでも私にとっては満足な結果だった。というのも、秋休み明けの11月に2年生だけを対象にひらがなの書き取りテストを行った時は読み5問、書き取り5問の10問を全問正解した生徒は2人しかおらず、しかも他の生徒の中にはあきらめきったような表情と空欄ばかりの解答用紙も多かったのだ。

 それが今回の大会では10問すべてを書き取りにして難度を上げたにもかかわらず全問正解者が増え、全問正解ではなくても何とか回答欄をうめる努力をしている子が多数いた。さらにたびたび注意してきた「す」「は」「ゆ」などの文字の形を守って、しかも「す」を回答できた生徒の全員が、くるりとまるめる部位を後付けせずに一筆で書いていたから、胸をなでおろしたのだ。

 ひらがなは日本人なら誰にでも書けて当たり前だから、一字一字を改めて振り返ることはないだろう。難しい漢字を書くことができれば、それなりに尊敬もされるが、ひらがなをきれいに書けるよと自慢する人はあまり見かけない。

 最近はパソコンやスマホで文字を「入力」してばかりで、他人の直筆を見る機会も少ない。親しくしながらも、その人の字を見たことのない友人、知人はたくさんいるのではないか。だから人目を気にして「きれいに正しい字を書こう」という気持ちもあまり湧かなくなっているように思う。

私は毎日黒板にひらがなを書き、子どもとともに発音することに喜びを感じるようになってきた。それは何も異国の子どもを教えているという理由からではない。

 小学校の先生をのぞけば、日本人の大人がひたすら「あいうえお」を口ずさみながら、ひらがな一文字一文字を書くことはまずない。意思の伝達ではなく、ただ純粋に日本語の文字を書き、口にすること。その単純な行為が喜びになるのはなぜなのか。言語学者でもベテラン教員でもない私には分からない。

 きっと文字には力があるのだろう。書いて口にするだけで、その力が心身に染み入っているのかもしれない。