キルギスからの便り:クリスマスのようなお正月

在キルギス共和国 倉谷恵子

ビシュケク中心部の広場に飾られたヨールカ。夜には明るくイルミネーションされる。

 雪が舞い、外を歩けば日中でも顔が凍りそうな氷点下の日が続いた12月中旬、キルギスの街中では広場にもみの木が据えられ、店のショーウインドウに白ひげのおじいさんのイラストが貼られ始めた。クリスマスが近い。

12月中旬頃から店先には年末年始の飾りとしてジェドマロースのイラストが貼られ始める。

 だが待てよ、クリスマスなら師走も半ばに入ってからの飾りつけでは少々遅くないか。ロシア正教のクリスマスは1月7日だからいいのだろうか。しかしいわゆるクリスマスソングもあまり耳にしない。クリスマスのような雰囲気はあるけれど、何かが違う。では何だ? 

 答えは「ノーブィイ・ゴット」に向けた準備である。ノーブィイはロシア語で「新しい」、ゴットは「年」という意味で、新年や正月と訳されるが、日本語とは若干ニュアンスが異なる。

 日本人にとって新年や正月は年が明けた1月1日以降を指すが、キルギスでのノーブィイ・ゴットは12月31日の夜から1月1日にかけての年越しを含んだ意味合いがある。31日の夜に親戚や友人の家を訪れてごちそうを食べて歓談し、12時前後に花火を打ち上げて盛り上がる。花火はそこかしこで自由に打ち上げられるので、自分の部屋の窓に火の粉が落ちてくるかと思うほど、至近距離で見えることもある。

 明けて元日にはお祭り騒ぎもおさまり、バザールや食堂などは閉まっているが、スーパーや薬局、個人商店のなかには通常営業している店も少なくない。日本のように元日に店を開くか否かに大きな意味はなく、開ける店は開き、休みたい店は休む。

 ちなみに中央アジアでは古くから、春分の日にナウルーズと呼ばれるペルシャ暦の元日が盛大に祝われており、新暦1月1日を祝うのは比較的新しい習慣である。

 そしてキルギスにクリスマスを祝う習慣はほぼない。ロシア正教をはじめとするキリスト教の信者もいるので、まったくない訳ではないが、幼い子どもたちに「クリスマスを知っている?」と聞いても、きょとんとした顔をする。中高生くらいの年齢になれば皆「ダー(ロシア語で「はい」の意)」と答えるが、漠然としたイメージとしてとらえているだけで、イエス・キリストの降誕を祝う目的まで認識しているかはあやしい。大人もクリスマスにはあまり関心がない。

 国民の大半がイスラム教徒だからクリスマスはなくて当然だろうが、ならばもみの木や白ひげのおじいさんがなぜ出てくるのか。それはキルギスが旧ソ連だったことに関係がある。

 かつて社会主義体制にあった旧ソ連ではロシア正教、イスラム教はじめすべての宗教は抑制されていたため、クリスマスは祝われず、サンタクロースも存在できなかった。しかし楽しい冬の行事がないのは寂しいので、かわりに新年の祝いを盛大にし、クリスマスツリーとしてではなく、新年のシンボルとしてもみの木を飾ることが推奨された。

ビシュケク中心部の広場に飾られた大きなヨールカ(ツリー)

 日本語で分かりやすいよう「もみの木」と書いたが、ロシア語では「ヨールカ」と言い、厳密にはモミではなくトウヒの若木を指す。

 そしてサンタクロースにかわるキャラクターとして登場したのが、ロシアや東欧に古くから言い伝えられていた「ジェドマロース」という雪の精だ。ジェドは「おじいさん」、マロースは「極寒、厳寒」を意味し、白く長いひげをたたえ、魔法の杖を持ち、赤あるいは水色の裾の長い衣装をまとっている。スネグーロチカという孫娘とともに12月31日にプレゼントを運んでくる…らしい。

 西側諸国で育った人なら、ツリーと白ひげのおじいさんというシンボルを目にすればクリスマスを思い出す。日本人が門松やしめ飾りで正月を想起するように、シンボルは人のイメージを固定し、好むと好まざると脳裏に焼き付いたイメージは簡単に覆らない。同じツリーと白ひげのおじいさんであっても、旧ソ連に属していた人々にとっては、クリスマスではなく新年を祝うシンボルなのだ。

ビシュケク市内の大型百貨店の中に飾られたヨールカ。年末年始の飾りは1月中も続く

 この新年のシンボルであるヨールカとジェドマロースは1月下旬どころか2月になっても飾られていたりする。新学期も始まって完全に仕事モードに入っているにも関わらず、店先に貼られたステッカーの白ひげのおじいさんがのん気に微笑んでいるのを見ると、「早く片付けて季節のけじめをつけてほしい」と思わずにはいられない。

 だが長く飾り続けるのはロシア正教の旧正月(1月中旬)や中国の春節の祝いも兼ねているからだという。ロシア正教の旧正月はさておいても、春節まで同じ飾りにしておくのはいかがなものかと思うが、ヨールカもジェドマロースも宗教色のないシンボルだから許されるのだろう。

 キルギスへ来て最初の年は、この年末年始の雰囲気に違和感を覚えたものだった。教会が立ち並びヨーロッパ系住人が歩くロシアの街でなら、クリスマスのような風景も受け入れやすかったろうが、ここは中央アジアであってロシアではない。日本人と同じ肌色のしかもイスラム教を信仰するアジア系住民が大多数を占める国で、ヨーロッパ的シンボルが彩る新年はしっくりこなかったのだ。

 日本はクリスマスやハロウィン、バレンタイン等々、商売になりそうな海外の行事を何でも取り入れるが、1年の大きな節目である1月1日は門松としめ飾りが飾られ、神社に詣で、伝統を感じることができる。ヨールカが飾られたキルギスにいると、自国の伝統に浸れる日本の正月が少しうらやましく見える。

 1月に入ってから年末年始の話とは少々遅ればせだったが、皆さんは今年の正月をどのように迎えられただろうか。

 昨年度の私は12月30日に急きょ引っ越しをしたり、年明け間もなくウズベキスタン旅行に出たりとあわただしかった。大みそかと元日はキルギス人の家庭に招いてもらい、屋台でにぎわう街中の公園を散歩したり、親戚の家庭を渡り歩いてお腹いっぱいに料理を食べたりした。

 何でも見たい、いろんな所へ行ってみたいという願望のために腰を落ち着けることもなかった。動くことで精いっぱいだったから、キルギスのノーブィイ・ゴットの意味を考え、日本の正月に思いを致す余裕もなかったと思う。

 しかし今年度は再びキルギスに赴任するにあたり、「行動面も精神面もマイペースを守る」と決めていたから、年越しも動き回らず自分の部屋で静かに新年を迎えることにした。

 あちこちで無秩序に上がる花火を窓から見ていると、昨年は味わえなかった感慨がこみ上げてきた。それは自国の文化で彩る日本の正月への誇りであり、今の海外生活を精神的に支えてくれている日本の家族や友人への感謝の思いだった。そして手元にキルギス人の知り合いたちから新年を祝うメッセージが入るたびに、1年半前には何のゆかりもなかったこの地で、いつの間にか心を通わせる人が増えていたことに気付いた。

 「動」ではなく「静」を選択したことで、この国の習慣や自分自身を少しばかり客観的に見つめられるようになり、多くの人とのつながりを再認識する正月になった。