【YKK六甲】働く意欲支える×障がい者雇用の未来 自分の意志で人生設計を描ける会社に 

社員目線で環境整備

車いす3台が横に並んで通れる広い廊下

 平屋建ての社屋は明るく、工場入り口に入るとまず一直線に見通せる廊下に驚く。車いす3台が横に並んで通れる広く開放的な造り。廊下にはタッチパネル式の掲示板が設置され、連絡事項や社員のスケジュールが分かるようになっている。地震などの災害発生を知らせるパトライトは共有スペースなど14か所に、目線の高さに設置して分かりやすい。

ゴミの分別はイラストで解説

 給湯室の流し台はレバーによる昇降式で高さが調節できるほか、車いすの人が押しやすい高さにボタンが配置された自動販売機も置いてある。ゴミは分別しやすいよう、イラストで表示。分別に迷ったものは「迷い箱」に入れることにし、後日担当社員が写真などで正しい分別を知らせるなど、環境への配慮も徹底している。

 「川に行く機会がない」という社員からの声をきっかけに2010年、工場敷地内にビオトープ(人工の小川)をつくった。今では川魚が泳ぐまでに環境が整った。ビオトープ周辺の植栽の剪定は、創業時から在籍する社員が担当、定年後も雇用を延長して勤務を続けているという。

 朝礼では手話を介して社長以下全社員が毎週月曜、順番に3分間スピーチを行う。手話は入社7年目の社員の呼びかけで始まった。毎月コンプライアンス委員会や提案会も開催する。提案会は、社員の「こうしてほしい」「こうだったらいいのに」といった意見を会社に提言する目的で、自由な意見を尊重するためにも、社長や経営幹部は参加しない。

 3カ月に1度、危険予測トレーニングも実施している。イラストを紹介し、この後どうなるか危険を予測しようという問いに対して、「素晴らしい発想力を発揮するのは障がいのある社員で、幹部らが勉強になるケースが多々ある」という。障がいや不自由さ故に非常に注意深く、また周囲をよく見ており、「安全意識は私たちよりも高い」(小山工場長)という。月に1回の地域清掃、毎週金曜の昼食後の車内清掃も全員が参加する。

働く意欲 ハードで支える

 社員は神戸市近郊に住む人々がほとんどで、電車のほか自転車や自動車で通勤する。個人の状況に応じた就業形態は、「働き方改革」が言われるかなり前から取り組んできたことだ。

 ある時、車いすの社員が自宅の引っ越しを機に通勤に時間がかかるようになり、午前8時30分の始業時間に間に合わなくなってしまった。在宅勤務にしたのだが、外注やパート扱いになってしまっては社員としてのモチベーションが下がってしまう。

 そこで「隣の部屋にいる感覚で仕事ができるように」と、パソコンやプリンタなどの周辺機器をネットワークでつなぎ、カメラで互いの顔や会社の様子が見えるようにした。

 わからない点があれば、会社にいるオペレーターがパソコンを遠隔操作し、説明を受けながら仕事を進めることもできる。「ハンディキャップで働けなくても、働きたい気持ちがあればハードで助けよう」(小山工場長)と取り組んだことだった。この在宅勤務のほか短時間勤務など、今では当たり前となっていることをYKK六甲は、YKKグループの先駆けとして10年以上前から率先して行ってきている。

自身で判断、仕事のエキスパートに

 2007年からは障がいのある人たちの会員制交流サイト「FamilyM(ファミリーム)」の運営をスタートさせた。聴覚に障がいのある社員のネットワークを広げ、情報を共有、交換したいとの思いから生まれたものだ。

 今年4月からはYKK工機技術本部の手書き図面をスキャンし、デジタル保管する業務も始めた。YKK創業時からの写真やフィルムもデジタル変換し、保存している。さらに、YKK六甲の5年先、10年先の収入の柱になるようにと、スマートフォンやiPadで使うコンテンツやポインティングデバイス、紙媒体に代わるデジタルカタログの製作などにも乗り出している。 

 これら新規事業開拓に携わっているのは、創業時からのメンバーである崎濱健一さんである。入社当時、崎濱さんは聴覚の障がいゆえに「自分は上には上がれないと思い、面白くなかった」そうで、上司は当時の崎濱さんを「とがっていた」と冗談交じりに振り返る。

 ところがある時、バイクで事故に遭って負傷し、復帰した際、当時の社長から手紙を渡された。そこには「あなたはこれからのYKK六甲を背負って立つ人だから、身体には気を付けるように」と書かれていた。それを読んだ崎濱さんは「この会社は公平だ」と感じたという。

 その後、結婚し、子どもも生まれたことで守るべきものが増え、さらに意識が変わり、今日まで頑張ってこれたという。現在、現場のリーダーとして、新型4色機「アニカラー」を導入した際も工場内のレイアウトや動線づくり崎濱さんが中心になり考案。同僚や後輩らには、自身で判断して動けるよう、そしてエキスパートとして育つよう指導する立場になった。