キルギスからの便り(3) ロシア語入門者の嘆き

在キルギス共和国 倉谷恵子

ロシア語で「売家」と書かれた看板がかかっている住宅。私が住む住宅街では「売家」をあちこちで見かける。

 キルギスにきて生まれて初めて体験したことはたくさんある。馬に乗って川を渡った、ユルタ(キルギスの伝統的な遊牧民の住居)に泊まった、馬乳酒を飲んだ等々、その時の感動とおどろきは語り尽くせない。そんな中央アジアならではの体験を差し置いても、ずっと忘れられないのが「くるみ拾い」である。キルギスでなくても、日本の里山でもできそうなことだが、脳裏に焼き付いて離れないのは、私のロシア語学習の苦労と結びついているからだ。

 当時のホームステイ先の庭には大きなくるみの木が1本あり、10月から11月初旬にかけて、たくさんの実が落ちていた。最初は、10月中旬のよく晴れた気持ちの良い休日で、ステイ先の小学3年生、1年生の姉妹と一緒だった。彼女たちは私の勤める学校の生徒で、時折日本語も交えながら楽しくたわむれ、バケツいっぱいに集めた。途中で姉妹は拾ったくるみの殻を石で割り、私に食べさせてくれた。これまで日本で口にしたくるみとは違う、さわやかな味がした。木の実もやはり、古いものより落ちた直後のものは美味しいのだと知った。

 問題は2度目である。11月の初旬、秋休みが始まり、姉妹が出かけて、私は一人でくるみを拾っていた。11月に入ると気温はぐっと下がり、晴れていても日陰では顔や手が冷たかった。当時の私は、環境の変化に対応しきれず小さな風邪を引きずりながら、ロシア語が話せずにコミュニケーションの不自由さを抱え、心身ともに疲れていた。だから秋休みは体を休める時間と決め込み、くるみ拾いは気晴らしのはずだった。

 しかし庭に出ると、ただ拾うだけでは時間の無駄だ、などと時間の亡者のような考えが湧いてきた。何かしなければ。そうだ、数を数えよう。ロシア語でくるみの数を数え始めた。1~20くらいまでは何とか言えたが、その先が当時の私には至難だった。くるみを拾ってバケツに入れるまでは2秒でできても、数を言うには5秒以上かかり、なかなか先に進めない。

 体が常に動いていれば温かいが、体の動きが止まって頭だけを働かせると冷えてくる。次第にくるみをつまむ指が冷えて、鼻水が出てきた。数を言えないもどかしさでイライラし、その日のくるみ拾いは、気晴らしどころか、やけになったロシア語入門者のあがきと化し、風邪の快復は先送りされた。拾ったくるみは200個を優に超えていたが、100以上を正確に数えることはできなかったはずだ。

 くるみ拾いから1年がたった今でも、私のロシア語力の伸びは微々たるものだ。キルギス人自身が「非常に複雑」と語るほど、ロシア語は一筋縄では習得できない。入口から何日歩き続けても頂上が視野に入ってこない険しい登山道が続いている。

 ロシア語が複雑と言われる所以は、大雑把に言えば、単語の数と変化が圧倒的に多いことにある。まず名詞が「格変化」なるものを起こして、単数形、複数形それぞれで6通りに変化する。日本語で「鉛筆」という言葉はどんな文脈で使われようと「えんぴつ」と書き、「エンピツ」と発音する。「えんぴた」「えんぴち」「えんぴて」「えんぴと」などと変わることはあり得ない。英語にしてもpencilが複数形でsがついてpencilsに変わる程度だ。

 しかしロシア語は綴りも発音も変わる。鉛筆は「карандашカランダッシ」という男性名詞だが、これが文意によって「карандашомカランダショム」、「карандашаカランダシャ」、「карандашуカランダシュ」、「карандашеカランダシエ」、「карандашиカランダシ」「карандашовカランダショフ」、「карандашамカランダシャム」、「карандашамиカランダシャミ」、「карандашахカランダシャハ」に変化する。発音をカタカナで書いても正確に伝わらないが、キリル文字だけでは想像がつかないと思うのであえて記した。女性名詞、中性名詞の変化の規則はまたこれと異なっていて、それぞれ覚えなければいけない。

 人名や地名のような固有名詞も変化する。「富山」なら「トヤミ」「トヤム」「トヤマイ」「トヤミエ」になる。冗談のようだが大真面目だ。こんなに変化して本来の地名がちゃんと伝わるのか不安になる。

 動詞は「私、あなた、彼・彼女、私たち、あなたたち、彼ら」の6通りで人称変化するうえ、同じ意味の動詞に完了体と不完了体というものがあり、セットで覚えて使い分けなければいけない。入門者にとっては完了体・不完了体のどちらを使うべきか判断できないことも多く、頭を悩ます。

 さらにやっかいなのは、移動動詞「行く、go」には幾通りもあること。徒歩で行く、走って行く、乗り物に乗って行く、飛んで行く、泳いで(航行して)行く、はいずって行く…などの違い。そしてそれは一方向へ向かうのか、あるいは方向を定めないのかという違いである。「私は美術館へ行きます」という簡単な文章でも、慣れないうちは、どの「行く」を使うのか考えなければいけない。日本人にしてみれば、誰が行くのか、歩いてか、乗り物に乗ってか、一方向か往復運動かなどは、文脈から推測できると思うのだが…。

 これ以外にも名詞を修飾する形容詞や所有代名詞はもちろん、人称代名詞、数詞、順序数詞、指示代名詞、所有代名詞など大部分の言葉に変化が起こる。これだけ言葉が細分化されていて、それをアルファベットの音だけで区別しようとするのだから、自然と一単語が長くなる。「長い単語を山のように覚えて、それらをほぼすべて変化させる」となれば、習得の道のりは険しくなる訳だ。

 英語の場合、単語を並べればなんとか通じるし、読解の際も、完璧に訳せなくても言葉を拾い読みして大意をくみ取ることはできる。だがロシア語は辞書に載っている言葉をそのまま並べるだけで文章は作れない。文中で初めて見る言葉をそのまま調べても辞書には載っていない場合が多く、拾い読みもむずかしい。

生徒用のトイレに貼られた注意書き。ロシア語で「手を洗いなさい」と書かれている。

 学校の生徒用の洗面所に「помой рукиパモイ ルキ」という貼り紙があるのだが、赴任した当初この貼り紙が読めなかった。рукиが「手рука」の複数形だとは分かったが、помойって何のこと? だった。これは「洗うпомытьパムィッチ」の単数命令形で、要は「手を洗いなさい」という簡単な文だ。貼ってある場所から文意は推測できそうだが、当時の私には動詞の活用が分からず、お手上げだった。

 住宅街のあちこちで見かける「продаю дом(プラダユ ドム)」というたった二言の看板だって、「売家」だと判明するまでに時間がかかった。すべてこの調子だから、1年前の私には、街中のポスターや案内板、商品パッケージに書かれた文字は単なる記号にしか見えなかった。

 ロシア語の複雑さを書き連ねたのは、今もろくにロシア語を話せないことの弁解と思われそうだ。確かに…。いや違う。私が日本語を教えている相手は、このような言語を日常的に話す子どもたちであることを理解してもらいたかったのだ。

 地域や年齢、家庭環境、教育レベルなどによって学習者を取り巻く状況は異なるから、教師はそれに応じた教え方をしなければならない(と私は思う。どんな相手も同じように教えればよいと思う教師もいるだろうが)。日本語教師は国内外にいるが、私の置かれた立場はかなり特殊である。その特殊な日本語教育の現場についてはまた次回。

 この原稿を書いている間に初雪が降り始めた。ちょうど1年前のくるみ拾いの頃のようだ。でも今年の私は去年とは違う。寒さに震えて鼻水を出し続けたり、コミュニケーションがとれないもどかしさにいら立ったりしない。

 言葉が分からなくても、身の程を心得て動き、誇りと余裕を持って人と接していれば、焦りはなくなるものだと知ったからだ。